超えられない格差と無自覚の差別意識「映画『パラサイト 半地下の家族』」
宮下草薙の宮下さんがツイッターで「素晴らしかった」と言っていたこの映画。
韓国映画は多分過去一度も観たことがないのですが、その言葉に誘われて、近所の映画館で観てきました。
---
「半地下」の、狭く劣悪な環境のアパートで暮らす、全員失業中のキム一家。大黒柱だが甲斐性なしのギテク、その夫に喝を入れる元メダリストの妻チュンスク、大学受験に失敗し続け、皮肉にも「受験のプロ」となった兄ギウ、美大を目指すが予備校に通えず腕だけが上達する妹ギジョン。
細々とした内職などで日々の生活を何とか送っていた一家の長男・ギウの元に、大学生の友人から「自分が留学する間の家庭教師の代わりをお願いできないか」と依頼される。
ギウが向かった家庭教師先、パク一家の住まいは高台の大豪邸。大企業の社長ドンイクと美しく純真な奥様ヨンギュ、年頃で可愛らしい姉ダヘと芸術の才能を秘めた弟ダソン、という、何もかもが自分達の家族とかけ離れた、絵に描いたようなエリート一家だった。
「受験のエリート」であるギウは、経験と持ち前の話術でパク一家の信頼を得ることに成功する。そしてギウは言葉巧みに、パク一家の生活の中にキム一家のメンバーを、お互いが家族とバレないように、少しずつ「寄生」させることに成功する。
そんなある日、パク一家の留守を任されたキム一家は、パク一家も気づかなかった、大豪邸のある「秘密」を見つけてしまうーーーー。
---
以下、ネタバレを含む内容の為、閲覧にはご注意下さい。
観終わった後、何とも言えない鈍い重さが頭の片隅から離れなかった。
どうしようもない格差。そこからのし上がろうと藻掻く姿。それでものしかかる変えられない現実。
ギウの企んだ「計画」に、パク一家があっという間に飲み込まれていく様が、鮮やかで見事で、恐ろしくてたまらなかった。
ギウはヨンギュの家庭教師→ギジョンはダソンの家庭教師→ギテクはドンイクの運転手→チュンスクはパク一家の家政婦として、それぞれ家族ということを隠し、関係性の薄い他人同士として振る舞い、パク一家に寄生していく。
純粋で、他人の悪意など疑うこともなく、言葉巧みに騙されていくパク夫妻。唯一、ダソンだけが、4人に同じ「におい」を嗅ぎ取り、繋がりを怪しんでいた。
この映画に度々登場してくる「におい」というキーワード。
日々の生活の「におい」は、自分たちが置かれている立場における「におい」と紐付いている。
よく「犯罪のにおいがする」などの表現を使うが、まさに「半地下のにおい」という表現が、いろんな意味合いを揶揄していて印象深かった。
キム一家は、貧しくはあるが、決して底辺の暮らしというわけではない。
住まいはある。ギリギリ暮らしていける。何か新しいことを始めようとする時に、身支度を整える予算はある。
何とかそこから抜け出そうとする根性、その為なら手段を選ばないという強欲な精神を持ち合わせている。
まさに住まい通りの「半地下」の状態だ。
「地下」に位置する暮らしをしていたら、チャンスをくれる友人も、それに備えるだけの知識や予算も、現状から抜け出そうとする意気もないだろう。
パク家の豪邸の「地下」に棲み着いてた、キム一家が巧妙な罠を使い追い出した元家政婦・ムングァンの夫・グンセの暮らしが、まさにその状態だった。
今の生活を受け入れて、ただ日々を生きていく。棲み着いていることを知りもしないパク家の主・ドンイクに、感謝を捧げながら。
何となく、ブラック会社から抜け出せない社員や、DVを受けても別れられない配偶者を思い出した。
本当にどん底にいると、そこから抜け出そうという気力さえもなくなってしまう。
パク一家の留守中、家に侵入し豪遊していた「半地下」のキム一家は、偶然知ることとなった「地下」に棲み着くムングァンとグンセに脅され、自分たちが寄生して手に入れた生活を守る為、二人を半死半生の目に遭わせ、地下室に閉じ込める。
大雨の為、突如帰ってきたパク一家をギリギリのところで何事もなく無事迎え入れるが、脱出し損ねたチュンスク以外のキム一家はリビングのテーブルの下に隠れ、脱出するタイミングを見計らう。
リビングには、豪邸の庭で遊ぶダソンを見守りつついちゃつき始めるパク夫妻。
そのリビングのテーブルの下には息を潜めるキム一家。
その地下には頭を打ち死を待つムングァンと、助けを求め必死でモールス信号を送るが気付かれないグンセ。
パク夫妻だけが、今この家で何が起きているのかを知らない。
その後、何とかパク家を脱出したキム一家だが、外は大洪水。
必死で家に辿り着くと、半地下の住まいは水没。自分たちの生活は一晩で消え去った。
じわじわと浸水していく中、その場にいないチュンスク(家政婦としてパク家に残った)のメダルを守ろうとするギテクが切なかった。
着の身着のまま、命からがら避難所に辿り着いたキム一家に、翌日、高台に住むパク一家は何事もなかったかのように、ダソンの誕生日パーティーを行う為の来訪をそれぞれ頼む。
パク一家の行動には、嫌がらせや傲慢な意図は何一つない。ただ、自分たちが行いたいことの為に、純粋に仕事や好意的な意図の依頼をしたというだけだ。
「上流階級にいる人間は格差に気づいてすらいない」という現実を、生々しく見せつけられた。
それでもキム一家は、パク一家の依頼を受け、何とか身支度を整え豪邸に向かった。
ギウは、誕生日パーティーの隙を見て、地下に閉じ込めたグンセにトドメを刺そうとしたが失敗。地下室から脱出したグンセはパーティーに乱入、大混乱になる。
ショックで倒れたダソンを病院に連れて行く為、ドンイクに車を出すよう頼まれた運転手のギテクだが、ドンイクのグンセに対するある行為を見て、衝動的にドンイクを刺し殺してしまう。
これは、ドンイクがギテクに向けていた無自覚の差別意識への怒りに加え、ギテクの「俺はグンセ側の人間ではない」という憤りもあったのだろうか。
それとも、グンセを同じ立場として見て、侮辱されたことへの憤りなのだろうか。ここは正直分からなかった。全てを含めた衝動なのかもしれない。
そして映画のラスト。あれはハッピーエンドなのか。バッドエンドなのか。
私はバッドエンドの方の解釈をした。
どんなに強く心に未来を描いても、おそらくは残念ながら目標を達成することは出来ないだろう、という予感。
これは観る側の心理状況や、これまで歩んできた人生、今自分の周りで起こっている環境に、受け取り方を委ねたのだと思う。
幸せは主観的なものであり、格差を知らなければ、変えられると思わなければ、それぞれの家庭は幸せと感じながら生きていけたのかもしれない。
そう考えてしまう自分にぞっともした。
それでも何とか変えていこうと計画を立てるギウの逞しい精神が、私の予想を裏切りハッピーエンドに繋がることを願う気持ちも少なからずある。
フィクションではあるが、きっとどこかで形を変えて、似たようなことが起きているのだろうと思わせる、生々しい作品だった。