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ディベートが弱ければ無力と思った話

ディベートが好きでインターネットにある論戦はほとんどすべて見たと思う。「ひろゆきvs◯◯」「セッション論争」「三島由紀夫vs東大全共闘」などなど。まあこの辺はディベートというよりレスバだけども。

俺が論戦に興味を持った理由には明確な原体験がある。

小学5年生の時、クラスで「歯磨きスローガン」を決めることになって、全員が出した案を多数決で絞っていくことになった。

決勝戦に残ったのはこの2案だった。
A「朝昼晩 しっかりと歯を 磨こうよ」
B「目指そうよ 太陽みたいに 綺麗な歯」

当時の自分は「A案はカス、誰でも思いつくうんこスローガン」と思っていて、B案を推していた。

A案が決勝まで残った理由は簡単で、クラスの人気者が考えた案だったから。人気投票で勝ち上がっただけのゴミ案。少年の俺はそれにすごく腹が立っていた。

決勝戦だけは多数決ではなく話し合いで決めようとなったけど、クラス全体が「人気者が考えたA案でいいんじゃないか」みたいな空気になっていた。

その空気が腹立たしくて、俺は「A案はありきたりだからB案がいいと思う」と発言した。そしたら、人気者とその小判鮫集団から猛反撃を受けた。

「太陽みたいな歯って意味がわからない」「歯が太陽みたいになったら溶けちゃう」とか反論を受けて、「ぶち殺すぞ、ゴミめら・・・!」と思った記憶がある。

今の俺だったら「太陽みたいっていうのは比喩表現にすぎない」「倒置法と体言止めが使われているB案の方が技巧的」とか色々反論できたと思う。

でも、小学生の俺は「A案よりB案がいいと思う理由」を全く説明できなかった。「絶対に俺の感覚が正しいのに」と思って悔しかったのを覚えている。

結果、多数決で決めることになり、人気票を持っているA案が通った。

このときに、自分の論にどれだけ自信を持っていても、その理由を言語化できなければ無力ということに気づいた。歯磨きスローガン事件以降、自分の思考について「他人に説明するとしたら」を考える癖がついたと思う。

その癖がつきすぎて、「なんでゼルダの伝説は面白いのか」を急に聞かれても1時間ぐらいペラペラ喋れると思う。

まあ、「言語化能力」が過剰に持て囃される最近の価値観もどうかとは思うけど、この能力は磨いておいてよかったな。

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