山将舞台企画旗揚げ公演「刃鋼 HAGANE」
※個人の観劇感想記録なのでネタバレにならないようにお気をつけて
旗揚げ公演と聞くとわくわくしちゃう。絶対力入ってるから。
2024.3.20〜24
名古屋市名東文化小劇場
山将舞台企画旗揚げ公演「刃鋼 HAGANE」
千秋楽に伺いました。
実力者揃いであることがわかっていると自然に上がったハードルを当たり前のようにこえてくれるそんな作品。
一人一人の太刀筋がちゃんと重いんだ…棒を振り回してるんじゃなくて刃のついた武器を構えてる。
それで切り結んで音と照明が合わさると余計にそれを避けた時のドキドキ感、くらってしまったときのこちらのショック…凄まじかった…。
何で私一回しか観れなかったんだ…!Blu-ray先に予約して正解でした。もう一度見るのが凄く楽しみです。
全体を通して
動きのリンク、セリフのリンク、状況のリンクが凄く心をかき乱してくるんです。
リンクしているけれど違う部分の違いが余計に沁みて、涙が溢れそうになりました。前と同じなんじゃなくて、前と変わってしまったことが凄く重い。
太吉さんと翔太郎さんの関係がね…すごくいいんです…
こうやって人って、周りの見守ってる人からしたら決めないでほしい覚悟を決めて、進んでいってしまうのかなぁなんて思いました。
脚本が、みんなのいろんな背景を内包していて(だからこそこの人はこの行動をとる、とか。こういう思いになる、とか。)観終わった後に、凄く前日譚や後日談が気になってます。今。
翔太郎さんだったらなんで、若くして道場を開かせてもらえたのか。(戦いに出ただけ、ってことは無さそう。強かったらみんな願いを叶えてもらえるのか、って思うので。)
刀が(正に)太刀打ちできない戦いを潜り抜けて、それでもなぜそう思う…?って。
初音さんと翔太郎さんはどこでどうやって出会って、何があって一緒に動こうとしたのか。
兄弟子たちも入門した経緯が気になりますし、新兵衛なんか特にそう。
蛇足も天狗党の乱を生き残ったわけで、あの言われ方だと天狗党側だったのでは??(パンフ見たら元宍戸藩士だし…)
天狗党の乱は水戸藩で起きてて、師匠は元水戸藩士…え、って。
天狗党の乱のWikipediaはっときます。
気になったこと全部は書ききれないんですけど、セリフ一つ一つにあるであろう背景が!その言葉じゃ収まってない部分が!すごくある!!!
あの刀、の話。
なまくらだけど一撃入れば、妖刀すらも斬ることができる怪物。一撃のために沢山の人たちの支え、犠牲が伴ってしまう。
もし、新兵衛が翔太郎の成したかったことを追いかけて行った場合、これから新兵衛にはまた犠牲を生まないと本懐が遂げられないのか瞬間が来てしまうんじゃないか…とちょっと思ってしまいました。時代背景のことを考えると、余計に。
したい、でできるの?
階段落ちってしたい!でできるもんじゃないって認識だったんですけど、できちゃうらしい。プロなら、名古屋山三郎さんならできちゃうらしい。緊迫した立ち回り自体、狭目なところでやっていて階段上で事切れてどうなるんだって思ってたらこれ。息を呑むってこういうことなんでしょうか。
それぞれに遂げたかった思いって色々あって、それを思ったら一概に誰が悪いとかそういう話じゃきっとないから(敢えて言うなら時代?)彼が倒れたときも悲しかった。憤りすらあった。
みんな遺される人の気持ち考えてよぉ…。覚悟してたってさ…遺していっていいわけじゃないんだよ…。
あんなに美しい千代枝さんを身請けするだけしといていなくなるなんて…(恐らく、亡くなってるし…一応、おそらくと言わせていただきますけども。)
最後のシーンで思ったこと。
鍛刀と新兵衛の動きふと思ったことなんですけど鍛刀と鍛錬って同じ"鍛える"って字なんですよね。
新兵衛鍛えられていって、どうなっちゃうのかな…もう兄弟子も翔太郎もいないのに…
太吉さんの刀を代わりに振るう人になるのかな
もう本当にすっごく面白かった。前日譚知りたい。本当に。