【怪談手帖】せんせい【禍話】
知り合いのAくんは僕と同じ全く霊感のない人で、そんな彼から聞いた話である。
つい先日、海岸方面から来るバスを待つ停留所で一人のお婆さんと出会った。
坂下からえっちらおっちらと上がってくると、バスの到着時間について聞いてきたのだという。
時刻表アプリを参照して説明したところ、お婆さんは話し相手に飢えていたらしく、そのまま一方的に喋りかけてきた。
「そういう時はスムーズに聞き役に回れるタイプなんですよ、俺」とAくん。
少し前に夫を亡くし娘も独立してしまったと聞いて、淋しいんだろうなと同情もした。
海岸沿いの観光名所の近くに住んでいるというから地名を聞くと、ああそこかとすぐわかったそうだ。
「いやでもねえ、そこってすっかり寂れきってる一画なんだよね。あの辺まだ人が住んでたんだって思いましたね」
滅多に帰ってこない娘への心配半分、愚痴半分という感じの話を一通りした後、だんだんと『人間とは』『幸福とは』みたいな話題になっていったという。
「やっぱり人と人との繋がりを疎かにしたらだめ。そういう事を大事にするのが本当の幸せよ」
最初はAくんもよくある人生論みたいなもんだろうと思って、うんうんと相槌を打っていた。
ところが。
「亡くなった人に対しても同じなのよ」
お婆さんがニコニコしながらそう言ったあたりから妙な調子になってきた。
「仏壇にお水とかご飯とか毎日供えるでしょ?そういう事もただ形だけでするんじゃなくて、本当に相手がそこにいると思ってやってたらね。
仏壇の中にちゃんと『いる』のよ」
「い、いる…?ですか…?」
そう聞き返したAくんにお婆さんは頷いた。
「あの人の目がね、ぱちぱち瞬きしてたりね。
もっとちゃんと出来た日にはね、お仏壇の中に、こう、小さいテレビみたいな窓が開いてて、それで川の砂利の中に立ってたり、お堂に座ってたり、あの人の様子が見えるの」
『あの人』というのは亡くなった夫の事だという。
「信心深い人なのかなってのと、これ大丈夫かなってのと半々で聞いてたんですがね」
少し身構えたがお婆さんは構わずに話を続けた。
「先生はね、心を込めていけば、もっとちゃんと見えるようになるって。
結局人間の幸せってそういうところにあるって仰ってるんですよ」
先生。
急に出てきた名前に訝しく思って尋ねたところ、お婆さんは今話してる幸せについての論は、その『先生』と言う女性に教えて貰ったのだと言う。
「まあそこで、あーそういう感じかあってなって…。楽しく聞いてたんだけど一気に萎えちゃって。ほんと、申し訳ないんですけどね」
Aくんは僕と同じで怪しい宗教だとか、セミナーの類いが殊更嫌いなのである。
すっかり警戒したAくんに気付く事もなく、お婆さんはその先生は家の近くにある◯◯寺の跡に住んでいる事、週に何度か話を聞きに行っている事などを説明した。
「で、そこでまた、あぇ?って引っかかってね」
というのも◯◯寺の跡というのはAくんも知っていた。
文字通り昔は寺があったが、もう長い間廃墟である。最近あの辺には行っていないけど変わったのかなと思い素直に告げると、お婆さんは「今は綺麗なお家よ」と答えた。
それで『先生』はその中に『お面』を被って座っているのだという。
「お面って…、何のお面ですか?」
「うーんとねえ」
お婆さんは両手をぬっと出して、顔をぺたりと完全に覆ってしまった。
突然の行動にAくんが固まっていると、
「どういうお面とかじゃないのよねえ。何かの真似とか誰かの顔とかじゃないのよ」
とお婆さんはいないいないばあの『いないいない』で止まった状態のまま話を続ける。
「そうよねえ。そう思うわよねえ。前が見えないって事でしょ。私も最初はそう思ったんだけどねえ。
でもね、本当にちゃんとしてたらそういうのは関係ないんですって。『見える』んですって!
先生はねえ、貴方若いのに本当に姿勢が良いのよ、見ててハッとするくらい背中が真っ直ぐで!
ああいうお行儀って大事よねえ。そういうところに人間の大事なところって現れるのよねえ。
ああ、そうそう。
だから私も先生の『顔』、見た事ないのよ」
ちょうどその時待っていたバスが来たのでAくんは逃げるようにそれに乗り込んだ。
窓から見ると、お婆さんはバス停の前に立ち尽くしたまま、まだ両手で顔をぺたりと覆っていた。
「何かやばいなって思ったんですけどね、深く考えるのはやめましたよ。
人に話を聞く時ってそういう引き際が大事だと思うんですよね」
彼はそんなことを言ってあははと笑った。
問題の寺の跡については、後に近くで用事があった時についでに寄ってみたそうだが、彼の記憶にある廃墟のままであったという。
出典
この記事は、猟奇ユニットFEAR飯による青空怪談ツイキャス『禍話』内の (シン・禍話 第十二夜) 余寒の怪談手帖『せんせい』(48:06~)を再構成し、文章化したものです。
※原題「御面先生」
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(この記事のお話は、「禍話叢書・壱 余寒の怪談帖」に収録されています)
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