ありがとうサバイバー

「自分が何人もいる」ことが、多くの他者にとって理解不能であることは知っている。

つもりで、解離性同一性障害について取り上げたYouTubeのコメント欄を見て、本当にそうなんだなあと思った。
体験していないことは理解できない、自分から遠いことはわからない。わたしも、手がない人のことはわからない。その辛さは想像することしか出来ない。

そういうものである。だから、何を言われようが知ったことでは無い。DIDのことはDIDになったことがある人間にしかわからない。

戦うまでもなく、ただ、僕らは、淡々とそれを治すために、それが「ある」ものとして向き合っていくしかない。「ない」ものにした途端に治療は止まる。虫歯は無いと思ってもそこにある。歯を蝕み続ける。

DID経験者の治療者が何人いるか知らないが、私は「仲間」に治療をしてもらっているのだなと思う。「知っている」人、似た痛みを経験した人間。その痛みは病から来ることだけではなく、「病を持っていることによって虐げられる痛み」も。
それは、それだけで救いだ。その事そのものが救いだ。

ありがとう、生き抜いてきた治療者のひと。

あなたがなんとか生き抜いてきたから、私はこうして安心して治療を受けられる。自分のことを否定せずにいられる場所をもてる。
それはあなたが「知っている」からだ。
あなたがその身にうけた痛みと私の痛みは全くおなじではないとしても、ただただ、あなたの「かたち」が私に似たようであるということが、私を救っている。

ありがとうサバイバー。
私の命はあなたに守られている。

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