
秋口のコンシェルジュ#28 例えば小石に命を賭ける人もいて。
表題の人、漏れなく自分も入る。
小石というのは例えで、具体的には自分が大事にしている物とか事の話である。
僕は音楽が好きだから音楽が聴けなくなったら相当毎日が苦しくなるだろう。
一方で、音楽なんて全然聴きませんよという人もいる。だからその人から見たら僕にとっての音楽は何に役立っているのか分からない石ころと同じという訳だ。
僕から見てそれは僕的には石ころみたいな話だな…と思うこともある。
共感性が弱くなるから会話が進みにくくちょっと面倒臭い。
とどのつまり、こんな風にいくらでも目線や価値観で変わるんだからいちいち共感にこだわらなくていいなと最近思った。
世の中が本当にそうなっているかは分からないけど、いいことも悪いことも共感して貰わないといけない空気があるように感じて。
感覚は共に出来ないので、そういうときは共感ではなく共通する点を探すと揉めないのではと思っている。
共通点は共感点と違って事実だからね。
音楽が好きかどうかまでいけば共感なので、音楽を知っているか?までで止めとくとか。
これくらい会話ってこじれないようにするのが面倒なので(少なくとも僕は)、人は世間話に天気の話をするのだなと勝手に腑に落ちているのだった……。