夏草のひとりごと #1 ダイヤモンド・キックオフ
最近、面倒くさい人って一言で表すとどんな人なのか考えることがちょこちょこある。
仕事をしていて後輩や移動してきた人なんかに色々説明しなければいけない際に、余計なことを付け足すと面倒だと思われそう。面倒だと思われると、その後のコミュニケーションで相手にされなくなるリスクがある。だから気を付けなければならない。
でも本当はここまで説明しときたかったナァってなると、もしや本質的に自分って面倒な人なのかなと考える訳だ。
実際、自分に関しては本筋からどんどん逸れてく説明してる人見てると疲れるし、「面倒だな」ってちゃんと思ってしまうから。
ここで僕の考える面倒な人の定義。
・他者に対してやたら物事のディティールまでの理解を求める(仕事に限らず)
・自分が発散あるいは納得できるまで他者を付き合わせる
大きくこの2点は看過できない。
けれどもこれがくどくならないケースがあって、それを当てはめる言葉は少なくとも自分の語彙には今は無いのだけれど、価値観が合うってところだろうか。
価値観があっているとその人の話ってずっと聞けちゃうよね。面倒にならない。オタク友達ってだけじゃなくて、全般的にそうだと思う。
その判断が出来る目を養うことこそコミュニケーション能力の向上なんじゃないかなーと思っている。
高校の頃、ダイヤモンドにはどうして高値が付くのか甚だ疑問でそれについて考察したメモを書いた(勉強しろと言いたい)。
その物質自体の希少性、磨く際の技術、色々その価値を決める要因がある。一貫して共通するのは、見る人にウン、価値あるねと言い切る人が居なければどこまでいっても石ころになる可能性があるということだ。
すなわち、話してる話題にもそういう価値の違いがあり、それを見出せるかどうかで話してる内容から面倒かどうかも結構変わると思われる。
ところでこれが1つ目の記事になるんだけど、やっぱり自分は面倒だな笑