夏草のひとりごと #26 最高の暮らしを追究するという我儘
寝て、ご飯食べて、本だの動画などを見て、時々星を見て、寝て。ゲームとかやっちゃって。気ままに小説も書く。
――という、趣味100%の生活をふとした時に何度描いたことか……。
年をとってくると何故だかこういう理想をあくまで理想として口に出すだけでも「おいおい、大丈夫かぁ?」って具合の空気を感じる。
何でだろうなぁと思って話を深めると別に理想自体に文句がある訳じゃないらしい。「そのためにこっちは色々努力してるんだよ!生産性のないこと言ってんじゃないよ良い大人がァ!」という趣旨っぽいことが段々分かってきた。所謂FIRE(Financial Independence, Retire Early;経済的自立と(会社などの)早期リタイア)というものを目指してる人が数多くおり、そのために努力しているらしい。
確かに、なるほど。と納得。
かつ、まあ自分も目指している方だなとも思う。
しかしあくまでも僕の最高の暮らしの究極系はそういった面倒なことを考えないことにある。
明日、明後日、明々後日……何日経っても「余裕はあるけどちょっと経済気を付けなきゃなぁ」とかそのレベルの葛藤さえせず、砂の一粒さえ自由気ままに扱うが如く調子で自分の思い通りに生きてみたい。
今、疲れているからそういう自由を追い求めているのだろうか。
そういう訳じゃない気がしているけれど、完全に否定はできない。
これは自由が欲しいという意味では無く、我儘というやつなのかもしれない。
厄介なのは我儘ということはなんだかはた迷惑な奴だみたいなレベルであり、悪いことじゃないということだ。
だからついふとした時に追い求めてしまう。諦めるべき下らない理想かもしれなくても、考えちゃう。
最後に僕のバカバカしい願望。
叶うかどうかは置いといて、死ぬまで考え続けていれば壊れそうもない壁もぶち抜けてしまうんじゃないかというギャンブル思考で、まだまだ究極のぐうたら最高の暮らしを夢見ている。