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夏草のひとりごと #14 パラレル・リーバー
五月、京都の鴨川に遊びに行った。
川の流れがずっと続いていて、レンタルサイクルで友人と漕いだけれど、海へと続く先端までは辿り着かなかった。
時々、対岸を渡り歩ける飛び石が川に敷かれてあって気まぐれに止めては行き来した。
一つ飛び石のコーナーが見つかってはしばらく漕いで……を繰り返す。
そんな川遊びにどこか人間関係に近いものを重ねた。
普段は絶対に交わらない対岸同士の文化が、さほど安全が保障されたわけでもない数個の石で危なっかしく行き来する。
渡る前と渡った後でどちらの道を選んでまた先に進んでいくかは人による。
大事なものを(実物で言えば借りた自転車)置きっぱなしにしたまま対岸で過ごしていく訳にもいかず、しぶしぶ戻ることだってある。
その二本線が交わることは絶対にない。
橋がかからなければ交流は叶わない。
分かり合いたい人が対岸にいる。
向こう岸での人生を大切にしている人がいる。
時々手を振ってコミュニケーションを取って、飛び石で近くで触れ合う。
やがて時間が経って帰りが近づくと、「じゃあどうする?」ってなってまあ、お互い元居た場所に帰りますかってさようなら。
いや、ついていくよって、どこに?ってなっちゃうし。
一人一人大事にしている価値観はホームだから。
じゃあ、石なんて渡らないでずっとそのままでいるの?と言われたら、きっと面白くならないからまた渡ってしまうんだろうな。
対岸の景色はいつもの景色で食傷気味になった目を癒すのかもしれない。
川の岸の関係をこんな風になぞらえて、何が言いたいのかって。
寂しいんだろうな、飛び石の真ん中でようやく会えた君とお別れするのが。
だってまたそれぞれ長い道が始まっていくから。
だったらそっち行っちゃえって。行けば?って感じだよね。
行ける人もいるんだろう。
でも僕は元の道にも同じくらいとか決して比べたくはないくらい大切なもの置いてあるから行きたくない、行けない。
いっそ急流に流されて先にいってしまえば、いつか先端で追いつくのを待っていてもいいのだろうか。
平行線な川べりの散歩にいつか答えが見つかるといいなって思っている。