多井隆晴という存在
2018年に産声を上げた競技麻雀のナショナルプロリーグ
「Mリーグ」
麻雀好きと言うには強すぎる腕を持つ事で有名な初代チェアマンの
藤田晋氏が発起したこの壮大なプロジェクトも
2023-24シーズンで6年目を迎える
常にその中心に居続けているのが
藤田氏のお膝元のチームである渋谷ABEMASから
初年度にドラフト1位で指名を受けた
RMU代表 多井隆晴である
2022-23シーズン 渋谷ABEMASは悲願の初優勝を果たし
自他ともに認めるトッププロとなった。
その実力を持ってしてもなお
ここに至るまでの道のりは決して楽ではなかったようだ。
詳しい経緯は長くなるので割愛するが
入会して結果を出し続けていた日本プロ麻雀連盟を
退会せざるを得ない出来事があり
それから短くない期間、表舞台から姿を消していた。
その間も腐る事なく麻雀の勉強だけでは飽き足らず
アナウンス学校に通ったり、ボイストレーニングをしたりと
先を見据えて行動し続けてきた。
その苦しい時期に自身を動かす原動力となったのは
諦めず麻雀を世にもっと普及させたいという強い思いだろう。
ともすれば、そのビッグマウスゆえに
誤解されがちなキャラであるかも知れない。
だが、過去に残してきた実績を含めて
その実力はプロの誰しもが認めるものであり
本人的には自分が自分を強いと言って何が悪いんだくらいの感覚であるように思う。
私自身、渋谷ABEMASのいわゆる”箱推し”であった為
多井さん一人に特別な感情は持ち合わせていなかった。
ある時までは。
2023年 年明け
私はなんとなく体調不良を感じていた。
数週間ごとに時折、立っていられないどころか寝そべってすらもいられない痛みが襲うようになり、そしてその間隔も次第に短くなっていった。
ある日の夜中に始まったその痛みは形容のしようもないほどの苦しさだった。
意識が徐々に遠のいていくのがわかり、救急車を呼ぼうとしたが
前日に救急車が出動しすぎて足りないというニュースを見たせいだろうか
半分パジャマのような恰好で家を出た私は、最後の気力を振り絞って
自力で救急外来へと向かった。
お医者さまには「下手したら死んでたよ ちゃんと救急車呼んで下さい」と
こっぴどく叱られた。
検査の結果は良くないものであった。
人生で初めての入院になった。
仕事を始めてから10連休すら取った記憶が無く
暇な時間の使い方もよくわからなかった。
そんな入院中暇すぎる私にとって
大好きなМリーグを見る時間だけが唯一の楽しみだった。
2022-23Мリーグファイナルシリーズ初日
初戦はひなたん(日向藍子プロ)が展開に恵まれずラスを引く。
連続の逆連帯は避けたい2戦目に出てきたのは多井さんだった。
東2局、親の萩原さんからダブリーが入り
みんな流石に参った様子だった。
それでも、多井さんはこれに立ち向かって行った。
奇しくも萩原さんと同じ待ちである58p待ちでリーチを掛け
見事にこれをツモあがり、結局トップを取ってゲームを終わらせた。
追いついてリーチを打つ瞬間、自分の鳥肌が立っていたのを
よく覚えている。とてつもなく感動していたのだ。
翌日、私は先生に手術したい旨を伝えた。
手術どころか入院すらした事がない私は
当初、手術をかなり渋っていた。
人生結構やり切った感もあり、特に死んでしまっても困らないと
本気で思っていた。
だが、前日に見た多井さんの麻雀を
もう少しこの先も見ていたいなと思うようになっていた。
そして、何かを成し得る為には時には勝負しなくてはいけないんだと
親のダブリーに立ち向かった多井さんを見て納得していた。
ファイナルが終わり、渋谷ABEMASの優勝を見届けた後に行われた手術は
ひとまず成功した。
体調が完璧なのかと問われるとそうでもない日もあるが
今も毎週Мリーグを楽しんでいる。
私は感謝の気持ちを伝えたくて
渋谷ABEMASのオフィシャルサポーターになった。
オンラインサロンにも加入した。
チームで使われるのれんの名入れにも1番高いお金を出した。
お金を出してどうこうなる話ではないが
自分を救ってくれた人たちにそれくらいしても
バチは当たらないだろう。
豊洲で行われた渋谷ABEMASの優勝トークイベントにも申し込んでみた。
ABEMASの4人と記念撮影が出来るチケットを買ったので
そこで感謝の気持ちを伝えようとしたが
緊張しすぎて棒立ちのまま終わってしまったのをよく覚えている。
長蛇の列が出来ていたが、その列から撮影する人が来るたびに
「お待たせしてごめんなさいね」とABEMAS4人の中で一番声掛けしていたのが
多井さんだった。
これだけいろんなものを成し得たのにこんなに腰が低い人なのかと
youtubeなどで見せる姿と全く違うので心底驚いた。
元々負けず嫌いの私は、多井さんにどうしても感謝の気持ちを伝えたくて
渋谷オクタゴンという雀荘で月イチで行われている
”たかはる塾”なる物に向かった。
調べた感じ、多井さんの楽しい話が聞けるイベントのようだ。
小さな頃からサッカーしかしてこなかった私は雀荘に入った事もなく
かなりキョドりながら初めて雀荘に足を踏み入れた。
途中、デモ対局のような物があった。
「麻雀打った事ない人ー?」と多井さんが言うので手を挙げると
私を含めて丁度3人で、なんとその3人と多井さんで一局限定で雀卓を囲む事になった。
といっても手牌を開けた状態の本当のデモである。
にもかかわらず、初雀荘で対面に多井さんが座っている事実を受け入れられず、第一ツモの自分の指の震えに笑うしかない程だった。
ちなみに対局はよくわからないまま多井さんがツモり
4000オールで終わったw
3時間近く皆で楽しく多井さんの話を聞いたあと
ご一緒に写真を撮らせて貰える時間とサインが貰える時間があった。
多井さんの著書を持参していた私はそれにサインをお願いした。
多井さんがペンを走らせている途中に
「ファイナルを病室で見てて、多井さんのあの押し返しを見て
手術を決めて成功したから、今こうやって遊びに来れてます」
と伝えると、ペンが一瞬止まり、少し驚いた表情で私を見た。
「多井さんは命の恩人です ありがとうございます」と伝えると
またペンを走らせはじめ、とても優しい顔で
「良かった良かった これからも一緒に楽しい事やりましょうよ」と
声を掛けてくださった。
恐らくなんとなくМリーグを見ている人には
ヒールのようなキャラと思われていると思う。
感じ方は人それぞれなのでそれでも構わないと思う
だが本当は誰よりも心優しい人だと思っている。
いつか多井さんが麻雀を辞める日が来るかもしれない
YouTubeの配信を見ているとそんな風に思う時がある。
想像するだけで寂しくもなるが
麻雀を広めて行く為に散々尽力してきたのだから
やりたくなくなったら自分の好きな事をして欲しいなという気持ちもある。
周りの人間がなんと言おうと
ともすれば麻雀を辞めようとも
多井隆晴と言う男は私にとって
命の恩人でありヒーローなのだ。
不世出のスーパースターの麻雀を観れる喜びを
もうしばらくは噛み締めていたい。
スイカゲームを楽しそうにプレイする多井さんを見ながら
そんな風に思う毎日だ。
美味しいものを食べて「美味しいね」と言い合う瞬間が 人生で一番幸せです その場所を探す為に毎日働いてます