テウトとタモス

テウトとタモス
魚村晋太郎 

 今年の関西は空梅雨で雨が少なかつたが、地方によつては豪雨に襲はれたところもある。各地で被災された方方にはこの場を借りてお見舞ひを申し上げる。
 九州北部豪雨の数日前、私の所属する短歌結社がこの時期に隔年で行つてゐる九州歌会が佐賀県であつた。本州のメンバーは前日佐賀に入つて歌会が終はるとすぐに帰途につく人が多いのだが、私は歌会の後に佐賀在住の大先輩Tさんたちと少人数で飲むのがここ何回かの恒例になつてゐる。
 Tさんは精悍な感じの人だが根つからの文人で古今東西の博識が会話からあふれ出す。この日も酔ひがまはつてきたころTさんはギリシアの古典「パイドロス」の一節を語り始めた。文字を発明した神テウトが神の王タモスにそのことを告げたところ、タモスは人人が文字を使うやうになると書かれたものに頼つて自分で記憶することをしなくなるだらうと言つてテウトを戒めたといふ一節である。
 その日の歌会では「陶」の題で題詠があつた。本当はルール違反なのだが、Tさんは「陶」の字を使ふ代はりに陶淵明の詩句を引用した歌を出詠した。その趣向に私を含め誰一人気づかなかつたのである。実は私も題から連想して陶淵明の詩を幾つか読み返してゐた。そのことを酒席で告げるとTさんは「パイドロス」の一節を語り始めたのである。インターネットなんかに頼つてるから知識が身につかないのだよ、といふ戒めであらう。実際私は陶淵明の詩をネットで拾ひ読みしてゐた。
 佐賀でTさんたちと別れて博多で夜行バスを待つ間、一人で入つた居酒屋で不思議な場面に遭遇した。カウンターの角をはさんだ隣の席でイケメンの男の子と髪を青く染めた女の子が片言の英語で話しながらしきりにスマートフォンをいぢつてゐる。男の子のスマートフォンの画面にはハングルが、女の子の画面には日本語が大きな字で表示されてゐる。暫くしてどうやら事情がのみこめた。男の子は地元の日本人、女の子はたぶん韓国からの旅行者で、片言の英語をスマートフォンの翻訳アプリで補ひながら会話をしてゐたのである。男の子が女の子を口説いてゐるやうで、女の子の方もまんざらではなささうだつた。
 夜行バスに乗つてから私はTさんの話を思ひ出してゐた。タモスが翻訳アプリの発明を知つたら果たして何と言ふだらうか。

 「京都新聞二〇一七年七月三一日季節のエッセー」より一部改稿 
   *文中「Tさん」とあるのは玲瓏の先輩の塘健さん。亡くなつた
笹井宏之さんが投稿してゐた佐賀新聞歌壇の選者でもある。

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