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Fallというよりboil そしてまた明日

或る短編を読んでいた。側にタバコ。あとは細長いラングドシャ。チョコレートが入っている。おそらく準チョコというやつ。それはサクサクと歯応えよくてあっという間に残り2本となり、短編はとある夫婦の夜に起こったほんの小さな物語に移っていた。

ショートショートストーリーであるにも関わらず絶妙に構成されていて、たった3ページほどでこの夫婦の物語が映像の様にはっきりと見えた。この小説家は天才だと思いながら余韻とともにベッドに横になる。勿論短編はまだまだある。

さて、次の話はどんなのかと期待しながら
私は別タイトルの次のページを寝転がったまま指でめくった。

と、
その時

突然、湧き上がってきた。

『彼がとても好き!』

本を読む時の飲み物に
今日はハーブティーをマイボトルに入れている。
その中身が半分になってしまったので
先述の話を読みながら電気ケトルでお湯を沸かしていた。

『あっ。彼がとても好き!』

そう思った時にケトルの湯は最高潮の音を立てて
沸点に達した。

ボコボコボコボコ!

私は今心に突き上げた感情を受け止めるべくぼんやりしていた。

ボコボコボコボコ!!

『はぁ??』

沸点が終わらない。普段はここでパチンと音がしてボタンが解除になるはず。

『はぁ??今、何て言った?』

昨日の夕方

私は職場の残務処理に追われての残業をしていた。
素っ気ない蛍光灯はオフィスを昼間も夜も照らしている。
それが自分の役割と言わんばかりに、とても淡々とした明かり。何の疑問もなく流れるオフィスの空気とともに。

ふと気配を感じて私は凝り固まった背筋を振り絞るべく後ろを振り向いた。無論デスクの椅子に腰掛けたまま。
そこに見慣れた後ろ姿。厳密に言えば見慣れた制服。社内の電気系統(配線やWi-Fi、蛍光灯やその他の電動のものたち)に不具合や新規のものがあれば来る部門の制服を着た彼がいた。

後ろのデスクの配線に不具合があるらしい。
きっと誰かが内線を入れたのだろう。

オフィスには私と彼の2人きり。今まで主任もいたはずなのに。

彼は私よりずっと年下で
とても聡明な顔立ちをしていた。
どちらかといえば華奢な背中で
何も言わず。黙々と細かい作業を続けている。

彼とは何度も話したことがある。
ほとんどが業務のこと。たまに、ふざけて笑い合うことも。ある業務用のソフトの使い方を教えて貰っていた夕方、『ここを押すと拡大されます。』
と、言って
画面をどんどん拡大していった。
カチカチとクリックするマウスの音
ただそれだけで私達はゲラゲラ笑った。

『そんなん使う場面ないから!』と。

ある研修で一緒になった時に前で話す上司の顔を
共通の職員に似てると言った。退屈な会議の時には向かい合った上司のことを
『これからデュエルですよ』
と、真顔で言った。…他の人から見ると特に面白くもないだろうそんな絡みが私はとても好き。

『作業中ですか??』
その背中に向かって私は言った。
インディゴブルーの制服は、それを着てる人が全員彼に見えてしまうほど、私の頭にイコールでインプットされていることにその時気づいた。

『はい!作業中ですね』

後ろ姿なので表情は見えないけれど
決して笑顔ではないことは分かる。
私は続けて話しかける

『機械に強いんですねぇ』
…そういう仕事なんだから当たり前だ!と今なら突っ込める。でもその時の私は
『何か話さなきゃ』と、咄嗟に思った。そこにどんな期待があったのかは分からない。でも、彼がそこにいると何故か春の土の香りがそうさせる様にワクワクと何処かしらを動かして彼と同じ空間を作りたくなる。

『うーん。強いつもりではあります!』

デスクの下のどう見てもよくわからないカオスのような配線ボックスを覗き込んで
彼の背中は低くなったり
また高くなったりした。
『こちょこちょ』をしたかったけど余りに空気が違いすぎるので歴とした社会人の私はそれは流石にマズイと自分を嗜めた。

幾つかの短い会話をした。
会話の間だけ
私は彼の背中をみつめた。
大きい様なまだ小さくて幼い様な
不思議な透明感と強さを静かに感じた。
…気配の様な。

ケトルは蓋が開いていたのだ。
水を注いだ時にうっかりと閉め忘れたみたい。
沸騰は止まらない。
私が蓋を閉めないのなら。

沸騰したお湯をしたためたケトルの蓋は閉めずにそのまま持ち上げた。
ケトルから上がる湯気はとてつもなく熱くて触れたら火傷を負うコトは当然だから私はとても注意深くそれをマイボトルへ注ぎ込む。

立ち上るハーブの香りに心を躍らせながら
作業を終えてフロアを出る彼の後ろ姿を思い出した。
『お疲れ様でした!』
と、言った私に
いつものように『お疲れ様でした。』と、言った後
ほんの少し振り向いて
『また明日。』
と、小さな声で言った。

『また明日』と、私は勤めて明るく言って
何故か腰より下で手を振ったのだった。

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