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レールがある道もない道も、ハンドルを握っていることに変わりはないから

noteで、「社会人1年目の私へ」というタグイベントが開催されている。

社会人を正社員としてしまうと、わたしには一年目がない。自活という意味でいうなら、この仕事を始めたときだ。はじめから社会人といっていいのだろうか…と(収入面で)もやもやしてしまう部分はあるけれど。まあ、開業届を出した年、でいいのかな。

前回のnoteでも仕事について書いているのだけれど、わたしは長らく「働くわたし」のイメージを持てなかった。仕事に楽しさを感じるものではない、と呪いのような固定観念に縛られていたせいだ。楽しいのはアルバイトやパートだからであって、正社員になると楽しんでいてはいけないのだ、くらいに思っていた。

バカなのだろうか、と思う。フルタイムバイト時代だって、共に働いていた店長は仕事を楽しんでいたじゃないか。何を見ていたのか。いや、見ていなかったのか。思い込みによるフィルターは、とても怖い。

大学中退後、バイトで繋ぎ結婚出産、その後パートを挟み今の仕事を始めた。いわゆる「一般的」なルートを歩んでいない立場だ。一年目がこの間にあるのかないのか、やっぱり開業一年目まで社会人歴0年だったのか、よくわからない。だから、いつのわたしに声をかければいいのかわからないのだけれど、少なくとも、いつのわたしであっても「大丈夫、そのまま考え続けて動きなよ」と伝えたい。

考え続けて動き続けることは、目には見えなくても財産になる。「好きなものに触れられるから」と始めた雑貨屋でのフルタイムバイトだって、家計の現状打破のためだけに始めたパートだって、無駄にはならなかった。

キャリアアップだなんてことは考えもしていなくて、いつも近い未来にやってくる課題をどう解決するのかばかり。だけど、その時々でがむしゃらに動いた結果が、今だ。少なくとも、十年前のわたしから見るとかなり上出来だ。

唯一ずっと大切にしていたのが、「これだけは無理」を省くことだった。

あれもこれもどれも嫌、無理。それはちょっとさすがにお話にならないだろう。反対に「これだけがやりたい」という強い思いがあれば別だけれど、多くの人が「これだけは」がないから迷っているのではないかと思っている。

ただ、「無理」を見つけることは「いい」よりも容易い。「無理」を突き詰めていって、「絶対無理」がわかれば、残りはすべて選択肢になる。

わたしが「絶対無理」なのは人間関係だ。人間関係さえよければ、仕事上のつらさには割と耐えられる。肉体労働も慣れない仕事も、人がよければ取り組み続けられた。

反対に、友人には「仕事上の人間関係なんて割り切れるからどうでもいい」派もいる。彼女は「仕事内容が満足できればよし」タイプだった。

答えなんてない。やれフリーランスだの副業だの社畜だのと取りざたされることがあるけれど、どこにも自分にとっての正解なんて載っていないのだ。

「今のわたしにできること」。そして、「絶対嫌なものだけは除外すること」。このふたつの軸で何かを選んできた。それでいい。それでよかった。考えて悩んで、動く。焦点は近い未来でも構わない。進んでいけば、自ずと遠くに移動するから。

あと、どんどんレールは固定されなくなってきていると思う。踏み外したら人生落第、なんてことはない。「ふつう」じゃなくても、思考力と行動力さえ投げ捨てなければ、それなりに生きていけるよ。少なくとも、今のわたしは生きているよ。

どうなろうとも自分の人生だ。できるだけ悔いがないよう、ハンドルを握りしめていたい。

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卯岡若菜
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