弱さを受け入れながら前へ進む、Aqua Timezの世界
Aqua Timezが解散するらしい。
TLに流れてきた公式アカウントの「お知らせ」ツイートを見たとき、わたしはまさかそれが解散の報告だとは露ほども思わなかった。
何の根拠もなかったけれど、なぜかわたしは、Aqua Timezは解散とは無縁なバンドだと思っていたらしい。それは、きっと彼らの醸し出す雰囲気が仲睦まじかったからかもしれない。
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Aqua Timezは、わたしが初めてライブに行ったバンドだ。ライブといっても、ライブハウスで行われるものではない。甲南大学の学祭ライブだった。
チケットを買って、Aqua Timezが好きだと言っていた好きな人に贈ったら、一緒に行くことになったのがきっかけだった。
チケットは2枚買っていたけれど、プレゼントのつもりだった。あわよくば、を考えていなかったわけではないけれど、ほかにAqua Timez好きの友達がいるようだったから、誘うつもりで渡したわけではなかった。
このとき、わたしはまだ告白もしていない。勘付かれていたのではないかと思うけれど。
ライブ当日より前に、諸々の流れで告白することになってしまった。ライブのことなんて、頭になかった気もする。1週間後、OKをもらえたから良かったものの、フラれていたらどうするつもりだったんだろう。今、他人事のように思う。
好きな人が好きなものを知りたくて、自分も好きになった。そのひとつが、Aqua Timezだ。
そして、このときの好きな人は、今の夫だ。
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大阪、神戸。
関西地方を中心に、何度ふたりでライブに足を運んだだろう。
何曲、カラオケで歌ってきただろう。
鬱で大学に行けなくなり中退したあの頃、Aqua Timezの歌詞はわたしの心のよりどころのひとつだった。
作詞を手がけるボーカルの太志は、「歌を作って歌っていなければ生きていけない人種」なのではないかと、わたしは今でも思っている。わたしが書かねば生きていけないのと同じように。(わたしは創作ではプロではないけれど)
当時は、わたしのメンタルの弱さや希死念慮を「理解できない」と言っていた彼。その言葉が虚構であったことは、Aqua Timezが好きだということから推し量れたのにな。そう、彼が調子を崩したここ一年で思っていた。彼にとっては、わたし以上に精神的なよりどころであったはずだ。
今のわたしたちは、あの頃のわたしたちではない。それと同じように、仲違いをしたわけではなくても、Aqua Timezもまたどんどん変化していったのだろう。その先に解散があるとは、彼らに限っては予想していなかったのだけれど。
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仕事中の夫に、「これ、見た?」と解散の知らせをLINEで送る。きっと、見るのは数時間後だろうけれど。
好きになった曲は、きっと、これからもずっと好きだ。でも、もう新しい曲を聴くことはなくなるのか、と思うと、自分の中の10代後半から20代が終わってしまうようにも感じられて、なんだかとても、寂しい。
願わくば、メンバーのこれからが、よりよい時間でいっぱいでありますように。音楽を続けていくのなら、よい音楽ライフを送れますように。
たくさんの曲と楽しい時間を、ありがとう。
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