ジグザグ歩きのウォークラリー

東京の街中では、目的地にまっすぐ向かえない。

大阪からわたしに会いに来てくれた幼馴染は、「平日の昼間でも、東京ってこんなに人多いん?」と言った。ランチ時ではない時間にもかかわらず、カフェの窓から見える交差点は多くの人で行き交っていた。「多いのがデフォやなあ」と、コーヒーを飲みながら答える。大阪も市内であれば歩きづらいけれど、わたしたちの住んでいた街は郊外で、歩くのに苦労するような場所ではなかった。

新宿で、渋谷で、大手町で。仕事で訪れる場所はどこもかしこも人混みで、わたしは人の隙間を縫ってジグザグと歩く。駅から離れるにつれて道幅が広くなり、人がまばらになって楽になる。

Googleマップが示す住宅街のなかの道に入ると、思わず息が漏れる。ああ、ようやく酸素が吸えた。自分のペースで、前方を気にせず歩ける心地よさ。駅に近い場所では、そうそう感じられない。

人生は人混みに近い。

ゴールは見えない。いつまで生きられるのかわからないし、先行きもわからない。それでも生まれてしまった以上、亀の歩みであっても進まねばならない。ある意味で人混みよりハードモードだ。Googleマップに目的地を入れることもできない。

目の前にさまざまな障害物やイベントが発生し、わたしたちはそれらを一つひとつクリアしていく。遠くが見えなくてどこに向かえばいいのかわからなくても、目の前のものは見える。目の前のものには対処できる。

目先のものばかり見ていたらいけないよ、といわれる。数年先の自分を考えて動かないとダメだよ、と。そうなのかもしれない。だけど、長期スパンで物事を考えることが苦手なわたしは、遠くはぼんやり見えているままにして、目の前数メートル先までにあるものをしっかと見る。

ジグザグと歩いていくうちに、ぼんやりしていた輪郭がくっきりしてくる。ああ、当面の目的地はあそこだ、とわかる。でも、まっすぐには進めない。時間も、力も、時にはお金も不足しているから。

だから無理だ、ではなくて、だからジグザグ歩きをする。時間をかけながら、あちこちにルートをズラしながら、最終的に目的地に辿り着けたらいい。雑踏のなか、目指す駅ホームに向かうときのように。それを死ぬまで繰り返す。最後のゴールはどんな景色なのだろう。

小中学生時代、ウォークラリーを何度かしたことがある。チェックポイントを通過しながらゴールを目指す、あれだ。

どこに向かうべきなのか、今はまだわからなくていい。時代もわたしも変わるから。考えながらジグザグと歩いていくうちに、きっと向かう先が見つかる。目的地にまっすぐ向かえないときがあってもいい。向かえないことに、むやみに焦らなくてもいい。短気は損気。まずは今日の一歩を大切にする。

かくいうわたしは、今見えている目的地に向かって歩いている途中だ。

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卯岡若菜
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