仕事は楽しいですか

仕事はつらいもの。生活のため、つらいことに耐え忍ばねばならないもの。

そんなイメージがあった。子ども時代に、父から植え付けられたものだ。母は「お父さんがお仕事がんばってくれてるから、ご飯が食べられるんだよ」とよく言った。おかげで、お金のありがたみ、お金は仕事をせねばもらえないものらしいということは理解できたけれど、鬱々とした疲れを抱えて帰ってくる父の姿や「子どもはええなあ」という言葉に、当時のわたしはどのような影響を受けていただろう。

大人はどうやらつらいものらしい。子どもの今だって十分につらいのに?そんなのもう、絶望感しかない。なまじ、父は「好きなこと」を仕事にできた人だったから、なおさらわたしを陰鬱とさせた。好きなことを仕事にしても、どうやらこんなにもつらいものらしい、と。

好きな仕事、と一口にいっても、内容は多岐にわたる。業界なのか、実際に手がける分野なのか。父は業界には入れたけれど、実際のポジションは出世とともにだんだん理想とかけ離れていったのだろう。組織に属していると、意思だけで希望の場所には留まれない。母は、「仕事ができる人だと評価されたことへのありがたさは感じているみたいだけど、やりたいことからは離れていっちゃってるんだよね」と父について話した。

ただただ我慢比べをすることが仕事。それが社会人。そう思うようになったわたしは、「社会人に向いていない」烙印を父や彼氏、今の夫から押されていた。自身でも、積極的に社会人になりたいとは思わなかった。出ずに済むなら出なくていい。専業主婦で不満はない。生活さえ、できれば。

巡り巡って、「ビジネス」や「社会」から程遠いところにいたはずのわたしは、今さまざまな企業に足を運んだり、企業のプレゼンを聞いたりしている。人生はおもしろいものだ。誰がこんなわたしを想像しただろう。

いろいろな場所で働く人たちの話を聴いているうちに、存外仕事を楽しんでいる人がいることを知った。もちろん、全部が全部本音ではないかもしれない。「やめてやる」と思う日だってあるかもしれないし、日曜の晩には憂鬱になり、今はゴールデンウィークを心待ちにしているかもしれない。

だけど、話しているときの目はキラキラとしている。それなりに、かもしれないけれど、仕事に楽しみを見出していることが伝わってくる。そして、その「それなりに」を見つけられることが、とても重要なことなのだと思う。

「楽しそうでいいね」といわれる。わたしの仕事のことだ。

楽しいはイコール楽ではない。けれども、たまに「混同しているのでは」と感じられる人がいる。目の前のこの人が求めているのは、楽しさなのだろうか。それとも、楽さなのだろうか。そういったことだ。

楽ではない。だけど、すり減るようなつらさはない。仕事は楽しい。大人は楽しいと思う。

「それは、好きなことを仕事にできているからでしょ」といわれるかもしれない。否定はしない。けれども、楽しい仕事は別に心底好きなものじゃなくたっていいのだ。そのことを、「いや、この仕事をすることになったのは行きがかり上なんですけどね」と活き活きとした表情で話してくれる人に出会うたび、思う。

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卯岡若菜
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