![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/2071533/rectangle_large_ddc037993dae6371a57bf7505f0c26de.jpg?width=1200)
離乳食開始はいつからが正しいのか?
なになに?コレステロール値は高くても問題はないだって⁈
最近になってそんな研究結果が出たとかなんとかの話題がテレビでやっていた。
『コレステロール下げなあかんねん。』
亡くなった身内である祖母や伯母たちが皆口を揃えて言っていたのを思い出す。
こうした真逆の研究結果みたいなものが出てきたとき、食事制限を強いられたり指導を受けたりして、好きな食べ物を我慢した人たちの努力や辛さをどうしてくれるのだろうか。
そしてそのことが原因で受けた苦痛に対する責任は誰が取るのだろう。今までこれらのことに責任を持って謝罪した人なんて見たことがない。
赤ちゃんの離乳食の開始時期や赤ちゃんに良いと指導される内容もどんどん変化していて、常識とされている方法が一転、安全や配慮にかけている、非常識な育児や環境だ!などと言われだすのだから、その都度時代の流れで振り回される側はたまったものではない。
長女、ドカ弁が産まれたのは1999年。
離乳食をいつから始めるか、雑誌やレシピ本を参考に月齢に合った方法で与えようと懸命に勉強していた新米ママだった私。
『赤ちゃんが3ヶ月半になれば果汁や野菜スープを始めてみましょう。まずはスプーン一杯から。』
そんな私の様子を見ていた母が
『離乳食⁉︎あかんあかん‼︎そんなんまだまだ早い‼︎腸なんか壊したら大変なことになる‼︎』
全否定で止めにかかった。
『なんでよ!本に書いてあるし‼︎』
そんなことでやいやい親子で言い合いになるのが面倒でしょうがなかった。
『親の言うことと茄子の花に万に一つのあだがない!』などと何が何やらな言い伝えなんかを持ち出し、自らの経験からの育児法を譲らない母に腹を立てながらも、一応子育ての先輩の意見を立て、離乳食開始時期は生後6ヶ月を目安に始めることにしたのだった。
そんなことは忘れてしまったくらいドカ弁がガツガツ食べるように成長し、2歳を過ぎた頃、愛子さまがお生まれになった。
可愛らしい愛子さまのご誕生に日本中がフィーバーしていた。
たまたま母と一緒にテレビを観ていると、雅子さまが愛子さまへの離乳食についてお話されていたのだ。
生後3カ月を過ぎた頃の愛子さまに、そろそろ離乳食の準備を始める、というような内容をお話されていたと記憶している。
『ほら‼︎皇室の赤ちゃんだって離乳食3カ月過ぎたら準備するって言ってはるやん!』
今は時代が違うんだ!とここぞとばかりに母に言ってやった私。
『えーっ!いや、やっぱり早すぎると思うけど…。皇室の方針がそうなら今は早い方がいいのかもしれへんけど…。』
納得できないような顔をしながらもようやく新しい育児の方針を受け入れようとした様子の母。
無認可保育所でうつぶせに寝かされていた赤ちゃんが亡くなった事故があったとき、うつぶせに寝かせていたのが原因なのではないかという報道が流れるのを見た母が言った。
『うつぶせ寝は肺が強くなっていいって言われてた時代もあったんよ。今度はうつぶせ寝があかんことになってるの?』
WHO世界保健機関の方針に従って、政府が指針を白から黒にひっくり返すオセロのような極端さで、私たちの命や健康への指導を変えること。
仕方ない事情もあるのだろうが、せめてその時代時代で指導方針を打ち出す決定を下した時の責任者及び関係者は、
『当時の最先端の研究結果では、たしかにこういう指導をしていましたが、現在の進んだ研究の結果、以前の指導は間違っていました。誤解なきようよろしくお願い致します。』
このくらいの説明をきちんと国民の私たちに示してもらいたい。
腹八分目は理想であるが、コレステロール値に縛られ食事制限をしたままこの世を去った方々だって、それほど厳しい食事制限をする必要はなかったわけだし、余生の食べる楽しみを奪われずにすんだかもしれない。
不幸な事故が起きた保育所も、もしかしたらうつぶせ寝を良しとした指導を受けていた時代の責任者の指導のもとで保育の仕事をしていたとするならば、それが誤りで危険だということを、誰にでも分かるきちんとした説明と発表がされていれば悲しい事故は防げたかもしれない。
今回気になって、離乳食開始時期について今はどうなのか調べてみた。
なんと!
2007年4月からの離乳食ガイドが変わり離乳食の開始時期は、生後5ヶ月過ぎないし6ヶ月頃からに変更されていた。
母が言っていたことが正解に戻っているではないか!
自分の子育てでは正解とされていたことも、わずか8年の間に不正解になっていたわけだ。
知らぬ間に改正されているかもしれない健康や命に対する常識のオセロ法。
私たち国民一人一人が『知る、知っておかなければならない。』という意識を持ち続けていなければ、うっかりしている間に黒が白に、白が黒になっているかもしれないのだ。