『お母さん、大丈夫?』のように気遣う発言がある。
PHPの増刊号『心の強い子、くじけない子の育て方』が出てきた。日付は2010年5月号。今から5年前、何故それを買ってまで読んだのか?子育てに悩んでいたのかもしれない。
チェックテストを丁寧にしている記録が残っていた。長女ドカ弁が5年生の頃の様子である。
やさしさ得点15点心の強さ得点12点。
理想的な成長を遂げているという結果であるが、当時はそんなふうに思えなかった。
どうして納得できなかったんだろうと思い、テストのチェック項目をもう一度見直してみた。
やさしさ得点の質問の中に
『お母さん、大丈夫?』のように気遣う発言がある。
という質問があり、この質問に対して私は『あてはまらない』に丸をつけていたのである。
その他のやさしさを問う質問を見ると、母親である私以外の人には思いやりを示す発言や行動がほとんど『あてはまる』になっていた。
もしかしてこれが悩みの原因だったのだろうか?当時を振り返って考えてみた。
ドカ弁は母親の私を気遣う発言はほとんどなく、外面はとても良いが私にはあまり思いやりを示す子ではなかった。
対して次女のちゃっかりは、外面は良い方ではなかったが、母親の私には優しく『ママが世界で一番好き‼︎』と泣かせることを言ってくれる子だった。
そうだった‼︎本当にそんな小学生だったなぁ、ドカ弁は。
冊子に折り目がつけられたページがあるのに気づき、開いてみた。
マラソンランナーの有森裕子さんが、子ども時代の話とお母さんの存在について書かれた文章が載っていた。
あまり自分に自信がなかった小学生の頃、三者面談で担任の先生が有森さんのマイナス面ばかりをお母さんに話されたそうで、有森さんは下を向いて落ち込んでいたそうだ。
すると有森さんのお母さんが先生に向かってこう言ってくれたのだという。
『先生がおっしゃる裕子の悪い所はよくわかりました。でもこの子にもいい所があるはずです。ひとつでもいいからおっしゃっていただけますか?』
思い出した。このお母さんの言葉が素晴らしすぎて捨てずにこの冊子を取っていたのだった。
この記事がきっかけで、少しずつドカ弁の気持ちに寄り添おうと思い直し、小学生から中学生までの6年間の彼女のバスケ人生のサポーターになり、ケガをしないよう、体調を壊さないようにと食事や栄養に気を配る生活を意識しだしたのだった。
つい先日、高校生になったドカ弁が言ったひと言にハッとする出来事があった。
鍋をして、〆の雑炊を食べたいとドカ弁が言い出した。
私はうどんで〆をしたので、もうお腹はいっぱいであったが『じゃ、ドカ弁作ってよ!』と頼んでみたのだ。
『いいよ!』
気持ち良い返事をしてドカ弁が塩加減、卵の塩梅などを全て取り仕切り、ホカホカの雑炊が完成した。
食べてみると、塩加減が抜群でフワフワした溶き卵の具合もパーフェクトである。
『ドカ弁!めっちゃ美味しいやん‼︎』
自然にそう口に出た言葉を聞いたドカ弁が目を輝かせて万歳して喜び、こう言ったのだ。
『ウチ、ママにそんなに手放しで褒められたの初めてかもしれへん‼︎褒め慣れてないからビックリしたけど、ウチ、めっちゃ嬉しい‼︎』
言わずとも私の愛情はドカ弁には届いていると思い込んでいたが、彼女は親からの手放しの褒め言葉を欲していたわけである。
ドカ弁からすれば、『子の心親知らず』だったというわけか。
そう考えれば、小学5年生のドカ弁の『お母さん、大丈夫?のように気遣う発言がある。』のやさしさチェック項目が『あてはまらない』になってしまっていても当たり前だったわけである。
この鍋の〆の雑炊作りを褒めた結果、私たち親子に小さな変化があった。
『ママ、ママの唐揚げはみんながめっちゃ美味しいって言ってるで!』
『ママ、ウチのお弁当はスゴイって評判やねんよ!』
なんと、毎日のようにお弁当のおかずについて今日も美味しかった、みんなに褒めてもらえるんよ!などと私を気遣う感謝の言葉を言ってくれるようになったのである。
自分が変われば相手も変わる。
母親が変われば子どもは変わる。
こんなささやかな褒め言葉で親子関係が深まるとは。
当たり前のことに気づくまでに、実に16年の歳月が流れていた。
5年前までわからなかったことが5年経つとわかっている。
今が辛くても未来では笑っていられる。そんな希望を感じられる瞬間がある。
だから今日もごはんを作る。
子育ての中での失敗や葛藤はいずれは過ぎ行く過去の積み重ねであり、これを繰り返す中で親も子も育つのだろう。
子育てに手応えが持てず、焦っていた5年前の私に言ってあげたい。
『あんた、ぼちぼちと頑張りや。ちょっとドカ弁を喜ばしてあげたらどう?上手くいくかもしれへんよ。』