
彼岸ひなことなし?
「彼岸ひなことなしやから!」
祖母から母へ、母から私へと伝えられた謎の言葉である。
なんでも彼岸月には、家の棟上げをしてもよし、仏具やお墓を買ったりしても悪いことはおきないとか。
この彼岸ひなことなしの「ひなことなし」とはどの字を当てはめているのだろうとずっと思っていて、ネットで調べてみたがまったくヒットすることなく、何が何やらなまま「彼岸ひなことなしやな!」と言ってたりする。
非なことなし。
否なことなし。
火なことなし。
悲なことなし。
それらしい漢字を入れてみても、まぁ意味は通じるように思う。
要するに、彼岸月にやることは問題なく上手くいくから案じなさんなということに繋がる言葉なのだと思う。
反対に盆月には新しいことをするなと言われたりしていた。
車を買う、家を買うなども避けておけと身内の者たち皆が言っていた。
彼岸に天に召される人は、本当に寿命で仏になるべく亡くなるなどとも言っていて、父方の祖母が3月に亡くなった時も、悲しいはずなのに、皆が彼岸月に逝ったのは寿命だとホッとした表情をしていたのを覚えている。
こうした言い伝えは住む地域や宗派で全然違う捉え方になるものだろう。
家族がなかった2人の伯母が亡くなったのは、9月と3月の彼岸月であり、「彼岸月なら誰かれと身内の者がお墓参りに足を運ぶから寂しくないわね。」とこれまた「彼岸ひなことなし」だという意味から皆が安心している様子がわかったのだった。
もう一人独り身だった伯母がいたが、亡くなったのは8月16日だった。
火葬場も休む日と言われている「地獄の窯も総休み」に亡くなり、大安、友引と忌の日には避ける日を2日あけて、ようやく天に召されたのは亡くなった日から3日後だった。
盆月に亡くなったやないの。
そう思っていた私だった。
しかし不思議なことに、亡くなった祖母の法要の年回りが全て伯母の年忌と重なるようになっていたのだ。
亡くなった月も祖母は7月、伯母は8月だったので、家族のいない伯母は祖母の法要にくっ付いて皆が集まる時に一緒に法要をするようになっていた。
なるほどなるほど。
「彼岸ひなことなし」に被らず、盆月に亡くなった場合でも、こういう巡り合わせになることもあるわけだ。
独り身の娘をずっと案じていた祖母は、母親の力でそういうふうに事が回るようにはからったのかもしれない。
そういえば。
死んだ人のことを話したり、不吉な話をしたりするのも。
「彼岸月やからこんな話するけど。」
「彼岸ひなことなしやから!」
皆が口々に言っていたこともいつもと変わらぬ平穏無事な暮らしと、身内が皆で集まり故人を偲ぶことで、皆がそれぞれ頑張って生きていることをご先祖様に知ってもらい、安心してもらう意味もあったのかもしれない。
「彼岸ひなことなし」
春の彼岸に故人を偲ぶ夕暮れである。
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