見出し画像

10年という月日

3.11から今日でちょうど10年となった。
10年という月日で常識や価値観や当たり前に持つものも全てが変わった。ましてや今の世の中を想像など出来なかった。
 人それぞれに10年の歩みがあれども、今日という日に寄せる思いは誰もが同じであると思う。そして10年という年月が私に何を与えたのか。
私にとってのこの10年はあまりにも大きい10年だった。この間に様々な出会いと別れ、挫折や苦悩、喜びを経験しまた新しいスタートラインに立とうとする自分がいる。
 10年という年月はそれほど重く大きく、また時代の一区切りであるだろう。
 ここから震災当日の話をしていこう。
 震災当日小学校6年だった筆者は、卒業式を間近に控えながらも学校閉鎖により自宅にいた。インフルエンザが学校中で流行し、自身もインフルエンザになりながらも震災当日の数日前に症状は治っていた。
 学校からの決まりで学校に行けず外にも出られなかったので、同じくインフルエンザから回復した兄と2人で、仲良くトイストーリー3のDVDを見ていた。
 その時だ。突然大きく揺れ始め、揺れは次第に大きくなっていく。初めて経験する大きな揺れに混乱しながらも、机に潜った後になんとかトイレへ逃げ込んだ。
 それから揺れは5分ほど続いて収まったが、家に置いてある家具などが倒れていて辺りは揺れの激しさを物語っていた。
 ちょうど金曜日で平日だったこともあり、両親は仕事に出ていたため揺れた恐怖に慄きながら、帰りを待つこととなった。
 揺れが落ち着いてしばらく経ち、状況を把握しようとテレビをつけるとそこには想像を越えた映像が映し出されていた。
 黒い津波に飲まれる田畑や街の光景が映し出されているのであった。
 あまりにも現実離れした光景にただ、固唾を飲んで見つめることしかできなかった。今でもその時の映像ははっきりと脳裏に焼き付いている。
 ここまで筆者の震災当日談であったが、東京にいた筆者でさえこれだけのエピソードがあるのだから、被災地の人々はどれだけの恐怖や思いを持っていたかは想像に難くない。
 被災地の人々の気持ちにまっすぐに寄り添うことはできないかもしれないが、このように思い起こし伝えることは微力ながらわたしにも出来るだろう。
 次の10年で震災を知らない人々が増える。そのために今もこれからも伝え、語り継いで行くことが私たちの使命だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?