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反日種族主義2章 片手にピストルをもう片方の手に測量機を
1910年、日本は朝鮮半島を併合した後、8年にわたり朝鮮半島の土地調査をし始めました(朝鮮土地調査事業)。総面積2300万ヘクタール、人の生活空間が487万ヘクタール、残りは山地。1960年代以降韓国の教科書ではのうち全体の半分が国有地として日本に収奪されたと記されています。別の教科書では農地とはいわずに全国の土地の40%が日本に収奪されたとも書いてあります。この「土地の40%収奪」が後に国が指定する教科書に使われ1974年から2010年まで韓国民は40%と教わってきました。でも実は誰もこの40%について証明した人がいません。
そもそもどうやったら収奪なんてことが可能なのでしょうか。韓国ではこう教えてきました。「当時の朝鮮人は所有権の意識が薄弱で申告が何であるかもわからない」それを日本が利用して申告されていない土地を全部収奪したというのです。しかし、著者の研究によると朝鮮王朝の500年間、3年に一度ずつ戸籍を申告していたそうです。また、土地を「命綱」だとも例えていたそうです。貧しくて死にそうになっても土地さえあれば助かるという考えだったそうです。申告漏れなんてありえなさそうですね。1945年に日本から解放されたわけですが土地を収奪されて27年、なぜ「返せ」という人が一人もいないかったのでしょうか。
しかし、土地調査事業において所有権紛争がなかったわけではありません。人の住める487万ヘクタールのうちの12万ヘクタールなのですが紛争があった記録があります。この紛争に関してある教授は「片手にピストルを、もう片方の手には測量機を」というタイトルの本を書きました。日本人が土地の所有を主張をする朝鮮人をピストルで脅しながら測量調査を進めたというわけです。しかし、実際はピストルは山の獣から身を守るためのものであり調査班がきちんと測量を終え「これはあなたの土地ですよ」と土地台帳を見せてあげると朝鮮人たちはむしろ自分の土地が公式に登録されたといって喜んだらしいです。命綱が保証されたわけですからね。片手ピストルの題名で本を書いた教授、実は役所や裁判所にある土地台帳を閲覧した記録がなかったそうです。著者は「この本自体、自身の幼いころからの先入観に基づいていかにも論文であるかのように書かれた」と表現しています。もちろん、この本は韓国ではベストセラー、学術賞を受賞するまでになりました。韓国の方は現在韓国で使われている土地台帳が日本の土地調査事業により作られたものをベースとして作られているのを分かっているのでしょうか。
土地調査により朝鮮半島のところどころに鉄の杭が打たれています。政治家たちは選挙の時期になると山に登りそういった杭を探し当て、抜くことで反日精神のパフォーマンスをするそうです。私たち日本人にとってはなぜそれが反日パフォーマンスにつながるのか意味不明ですが韓国ではこの鉄の杭は「日本が朝鮮の精気を抜くために打ち込んだもの」と思われています。風水的な考えですね。こういった鉄の杭は約2400個ぐらいあるらしく土地調査当時でも鉄の杭を打ち込んだ次の日に村人たちが引っこ抜いてしまうなんてこともあったそうです。また、日本が鉄道を敷くと「あれが我々に何の関係があるのだろうか」と憤慨したらしいです。当時の日本と朝鮮の文化レベルの違いから日本の行動はかなり誤解されていたようです。発展のための森林伐採、土地調査、鉄道の配置、これらのことを当時の朝鮮人たちは風水的な侵略とみなし恨まれていました。1995年当時ですら国が積極的に鉄杭をぬくパフォーマンスをしていたくらいです。これは朝鮮に根付いたシャーマニズムにも間消していると著者は述べています。
こういったことが教科書にも書かれていますが今の子供たちにとっては2つのパターンが予測されます。理論的におかしいと思う学生、先生が言ったことは絶対として暗記して信じ込む学生。賢いのは前者ですが点数を取ってよい高校や大学に行くのは後者です。そして世間は後者を賢い、または正しい生き方とみなします。この本の著者たちは前者でした。一つ気になったのですが3章では「植民地支配」でも2章では「併合」という相反する表現が使われています。3章と2章では著者が違うのですが書かれた方たちの間でも認識が少しずつ違うことが分かりますね。