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Liella!3rd宮城公演の思い出と、そこで芽生えた"まだ名もないキモチ"

お疲れ様です。温州みかんです。
星を追って3都市を駆け抜けた、あの最高の夏から早くも1カ月以上が経ってしまいました。あれだけ厳しかった夏の暑さも次第に薄れていき、気が付けば秋真っ只中ですね。季節が過ぎるのは早いなあ…
さて、そんな1カ月の間に、Liella! 3rdライブツアーのBDが発売されましたね。9人として初めてのナンバリングライブ。様々な想いが生まれ、そして結ばれた、そんな最高のツアーでした。(毎回言ってるな?)ライブ以外の経験も含めて、個人的にもとても思い出深いライブツアーです。
そこで今回は、3rdライブツアーの初回、宮城公演Day1に参加した際の思い出を綴ろうと思います。ちなみに、今回はあまりライブの内容には触れないかもしれません。何というか、"ライブに参加するために宮城へ行ったこと"についての感想みたいな感じです。
この時の宮城への旅程は2泊3日でした。2022年12月3日(土)~12月5日(月)ですね。土日が宮城公演だったわけですが、僕は生憎Day2は抽選に漏れてしまい、泣く泣くDay1のみの参加となりました。月曜日は既に有給取得済みだし、はて何をするかと悩んでいましたが、東北に赴く機会があれば必ずやりたいと思っていたことがあったので、この時はそれを実行してきました。

12月3日(宮城公演Day1)

とはいえ今の僕はLiella!のオタクなので、ライブの思い出も少し語ります。
3rd宮城は先述した通り、9人のLiella!として初めてのナンバリングライブです。慣らしとしてファンミやリリイベこそ開催されていましたが、あれだけ長時間歌って踊る経験は2期生にとっては初めてのもので、そのプレッシャーは想像を絶するものだったと思います。その頃には、2期生の人柄や魅力、直向きさを目にする機会も何度かあり、少しずつ受け入れられていたと思いますが、とはいえ賛否両論という感じもあったので、尚更不安だったのではないでしょうか。
4thライブツアーのまとめ記事にも書きましたが、9人に増えることにはやっぱり様々な意見がありましたよね。僕も2nd大阪の特別な時間を体験した人間なので、不安がなかったと言えば嘘になります。でも、別にそのタイミングでそういう気持ちを抱いてしまったこと自体は別に悪いことじゃないと思っていて。新しい試みをするのって、誰だって大なり小なり不安になるのは当たり前じゃないですか。ただ、僕にとってそれは応援しない理由にはなり得なかったので、結果的には「俺が不安に思っていたって仕方がない!とにかくLiella!というグループの行末を見届けるぞ!」という気持ちで臨むことができました。
ライブが終わった後に抱いた感想は、「本当に来てよかった」でした。9人となったLiella!と、当時はゲスト出演である結那の作るステージは、僕の抱えていた不安をいとも容易く吹き飛ばしてしまったんです。加入から半年程とは思えないほど素晴らしい2期生のパフォーマンスに、本当に心が震えたのを覚えています。この時は特にくまちゃんとえもりんが印象的でしたね。くまちゃんはこの時からダンスで圧倒的な存在感を放っており、えもりんは最年少ながら既にムードメーカーとしての地位を確立していて、1期生に負けないぞ!という気持ちが伝わってくるようでした。それで言うとのんちゃんとやぶちゃんはこの時はまだ少し遠慮がちだったのかな〜って気がしますね。今の姿を知っていると、そんな風にも思えます。逆に言うと、その2人が4thではあれだけ周りを引っ張って存在感を放っていたことが本当に感動できたわけですが。なんにせよ、「僕はこれからもLiella!を応援したい!」と心の底から思えるライブでした。
少し楽曲についても触れておきます。特に印象に残っている曲は『名前呼びあうように』と『未来の音が聴こえる』です。これ冗談抜きで何度も言ってるんですけど、アップテンポだったり、クラップとかコールとかで盛り上がれる曲も勿論楽しいんですが、しっとりした曲で観客を引き込ませることができる点がLiella!の一番の強みだと思ってるんですよね。個人的に「曲が弱い」という批判がかなり苦手で、あまり見たくないんです。ただ騒ぎたいってだけじゃ勿体無いと思ってます。というのも、Liella!の歌唱力や表現力って、単なるアイドルの域を超えたレベルにあると僕は思っていて、単純な歌唱だけでも僕は本当に大好きなので、ぜひ食わず嫌いをせず耳を傾けてほしいんですよね。
これは僕個人の感想ですが。
ぐぬぬ…こんなことが言いたかったわけじゃないんだけどな…楽しみ方なんて人それぞれなのにね…
『名前呼びあうように』って本当に素敵な曲なんだよってことが言いたかったはずなんですが。本当に良い曲ですよ。曲が進行するにつれて構成する楽器の音と深みが増していくというか。歌唱のハーモニーも素敵です。なんて語っているけど音楽についてはド素人なので、この辺で止めておきます。多分ボロが出る。
とにかく!9人のLiella!が心の底から好きになれる、最高のライブでした!
そしてその時、「何かをしたい」、という漠然とした気持ちが芽生えたんです。その気持ちに名前を付け、少しずつ実行に移すのはもう少し後の話。

12月4日〜5日(震災遺構巡り)

さて、話の内容はガラッと変わります。
東北に赴く機会があれば必ずやりたいと思っていたこと、というのがこれです。実は被災地をずっとこの目で見たいと思っていて、でもなかなか足を延ばせていなかったので、またとないチャンスだと思い実行しました。(まあ結局その半年後にまた宮城へ遊びに行ったのですが)
というのも、僕は生まれてこの方福岡を出たことがなく、東日本大震災が発生した時も福岡にいまして。当時はまだ中学生だったこともあり、直接的な影響をほとんど感じずに生きていたんですよね。ただ何となくテレビで被害状況を眺めて、でも日に日に増えてく犠牲者数を見てもそこまでピンと来ず。正直当時の僕にとっては実際に起こったことという感じが薄く、テレビの中の出来事だったんですね。
でも、年を重ねるにつれて、本来は記憶が薄れていくところなんでしょうが、僕はむしろ視野が広がったからこそ、あの時とんでもないことが日本で実際に起きていたんだ、と実感が湧いて来たんです。それと同時に、このことは日本人としてこれからも記憶にとどめておかなきゃいけないぞ、とも思いました。地震って日本で生きていく以上、いつ自分に降りかかってもおかしくありませんからね。
そういうわけで、せっかく宮城まで行くんだからと調べてみると、どうやら自治体毎に震災遺構というものを1つ選び、保存できる制度があるそうです。そして、自治体によってはそれをシンボルとして、震災の資料館として開放しているところがあると知りました。そこでこの時は、僕でも名前は聞いたことがあった、岩手県陸前高田市の東日本大震災津波伝承館、宮城県気仙沼市の気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館、宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園へと足を運びました。
12月4日に陸前高田市と気仙沼市、12月5日に石巻市を訪れました。仙台駅からレンタカーで片道2時間程度。三陸道を使って北上し、再び南下する道程です。目的地に近づき、下道に降りて感じたことは、「復興は進んでいる。しかし、まだ終わっていない。」ということでした。確かに、一度破壊されてしまった街並みは、再び綺麗に整備されつつあります。僕が通った道路は迂回路などもなく、スムーズに移動できました。でも、少し目を凝らしてみると、あの日から時が止まったままの建物が残っていたり、不自然なまでに何もない空き地があったり。そういう現実は、現地へいかないと分からないことだと思うので、今回目にすることが出来て、本当に良かったと思っています。貴重な経験が出来ました。

陸前高田市

高田松原津波復興祈念公園 "海を臨む場"
奇跡の一本松

気仙沼市

旧向洋高校校舎内 津波は4階にまで達した
旧向洋高校 屋上から望む海

石巻市

石巻南浜津波復興祈念公園から望む海
"がんばろう!石巻" 立て看板

当然ですが、あらゆる場所で海が望めます。
この水平線に、いったいどれほどの無念と祈りが沈んでいるのだろう──

"これまで"と"これから"

宮城で見た景色を、僕はきっと一生忘れることはないと思います。
それぞれの場所で様々な展示を目にして、とてつもないショックを受けました。自然を前に、人はいかに無力でちっぽけな存在であるか、ということがよく分かりましたね。それと同時に、人は本当にいつ死ぬか分からないんだ、とも実感しました。そして、その感覚は、僕の人生観を大きく変えてしまうものでした。
それまでの僕は、ただ漠然と7〜80歳あたりまでは生きられる前提で人生設計を行っていました。まあ、あくまで何となく20代ではここまでやって〜30代ではこうして〜レベルの話ですが。だから、これやってみたいなって軽く思ったレベルのことには、挑戦することすらしていなかったんです。だって人生長いしいつでも出来るじゃんって思っていたから。でも、それってもし明日死が目の前に迫ってきたとしたら、後悔しないかな?って考えるようになりました。そこからですね、やりたいことに少しずつ挑戦してみるようになったのは。
まあやりたいことって言っても基本的にはオタク活動なんですが、例えば、元々行くつもりはあまりなかった3rd東京に勢いで参加してみたり、3rd埼玉ではフラスタに協賛してみたり。そうすると、自分にはハードルが高いと勝手に思い込んでいたことが、案外そうでもなかったなってことが分かったんです。もちろん、今生きていかなきゃいけないのも事実だから、時間やお金とは相談しなきゃいけないんだけど。
これ、本当に僕のダメな癖で、失敗することを心の底から恐れているんですよね。だから、何かするにしてもあれこれ調べたり考えたりしちゃって。でもそっちに労力を使いすぎると、実行に移す気力がなくなっちゃうんですよ。それで、次の機会でいいか…って投げ出しちゃったりして。でも、それじゃダメなんです。頭では分かっています。なかなかその気持ちを完全に振り切ることは難しいけれど、少しずつ自分を変えていきたいです。

執筆途中で一度筆を止めてしまってから、少し間が空いたので途中で何を書いているのか分からなくなってしまいました。訳の分からない文章になってしまってごめんなさい。
今、僕は人生の岐路に立っている自覚があります。あの日、僕が感じた"まだ名もないキモチ"の正体は、多分夢を持ちたい、夢を叶えたい、という気持ちです。熱い思いに触れ、世界の広さを知り、命の尊さを知った。そんな宮城での旅を経て、僕はまさに鳥かごを飛び立つ準備をしているところです。大空へ飛び立つことが出来るのか、あるいは羽を痛め大地を踏みしめて歩いていくのか、結末は今の僕には分かりませんが、願わくば前者であることを祈りながら、もうしばらく生きてみようと思います。


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