episode6. さよならの理由が言えない
(※ 学校名称や人物は仮名で、役職は当時のものです。)
延岡市教育委員会 B課長補佐からの文書訓告処分決定を告げる電話から「もしかしたら教育委員会に本当のことが伝わっていないのかもしれない」という思いが四六時中、頭から離れない。
決定された処分が信じられず、いてもたってもいられなくなった。何かできることはないかと必死に考え、最初に思いついたのは「あの日、食事へ誘われていた」はずの森先生に連絡をして、本当に誘われていたのか確かめることだった。そしてすぐさま森先生に連絡を入れ、早速会う予定を取り付けた。
2017年5月14日(日)
森先生と食事をし、被害を告白した。先生は驚きながらも、3月末の校長先生とA教頭の様子、これまでのA教頭の言動のすべてが腑に落ちたと話した。森先生もA教頭から「海野さんを誘って飲みに行こう」、「海野さん、誘ってね」など、私を飲みに誘うよう言われていたという。被害当日の食事に誘われていたかを確認したが「え、誘われてないと思う。だって日曜日でしょ?誘うなら金曜日だよね」と言った。
通知表や児童指導要録提出前の、一年で最も忙しい3月。しかも日曜日の夜に、職場の食事に誘われるというのは、教職員にとってイレギュラーだ。誘われていれば記憶に残る。やっぱり「誘ったけどダメやった」っていうのは嘘だったんだ。A教頭が私に目星をつけていたことに一切気づかず、嘘をついて呼び出し、二人きりになるなんて簡単なことだったんだ。職場の管理職をすっかり信用し、疑うことすらしなかった自分のせいでこんな目に遭ったのかと思うと、本当に情けなく、苦しくなるほど惨めに思え、自分自身を呪いたくなった。
そして、もう一人、同じ学校に勤務していた田中先生に連絡を取り、教育委員会に性被害について報告したことを告げた。というのも、彼女は私が被害に遭った直後に第一小学校に赴任したばかりだったが、彼女とA教頭がジムなど学校外で偶然会うことが重なり、彼女から「A教頭に飲みに誘われている」という話を聞いていたからだ。
私は「絶対に行っちゃダメ。詳しくは話せないけど絶対に行かないで」と釘を刺していた。私が契約更新できない理由を退職直前に彼女にも打ち明けていたので、その後について話しておきたいと思い連絡を取った。彼女も「あなたは絶対に悪くないから。何かできることあったら言ってね」と言ってくれた。
前後してしまうが、2017年4月下旬、地元企業から単発でアルバイトの依頼を受けた。その日のバイトを終えた後、正社員で働かないかと提案された。
その頃の私は、家族に相談もせず法律相談に通い、代理人契約を結ぼうとしていた。生活するためだけでなく、弁護士費用を捻出するためにもどうしても働く必要があった。自分が必死にもがいていることに対して、弁護士の力を借りてでも自分自身を救いたかった。
両親に「今日バイトした会社に就職しようと思う」と伝えると、「今まで学校であんなに一生懸命頑張ってきたのにどうして?急に全く違う業種に、そんなに急いで決めなくても…。働き始めるのは、もう少し休んでからでいいと思うけど…。どうしてそんなに焦って決めようとするの?」と母が言った。
私が教育学部にこだわった大学受験も、趣味のように授業準備をしていた休日も、ずっとそばで見てきた母。どうしよう、納得させられる理由が思い浮かばない。大好きな母が私をとても悲しそうに見つめるまなざしに「限界だ。もう隠し通せない」と思ったその瞬間、ぼたぼたと涙が音を立てて落ちていた。
ぽつりぽつりと話し始めると、両親はショックで言葉を失い、戸惑いながらも話を聞いてくれた。一年前の被害について友人や相談センターに支援してもらい、警察に行き、被害を教育委員会に報告したこと、法律相談を何度か利用し、弁護士と代理人契約を交わそうとしていること、そのためには早く職に就く必要があること、そして家族には全部解決した後に打ち明けたかったことを話した。
一通り話し終えた後、「お母さん、気づかなくてごめんね」と母が優しく私の背中をさすり、静かに泣いていた。「今からでも教育委員会に乗り込んで、どういうことか説明を聞きたい」と父は言い、「法律事務所も警察署も一緒に付き添いたい」と母は言ったが、私は社会人として、自分の力で解決したかった。一度決めたことは譲れない私の性格を、一番知っているのも両親だったので「一緒に行ってほしい時にはちゃんとお願いするから、それまでは見守っていてほしい」という私の意思を尊重してくれた。
2017年5月
新しい職場で働くことが決まった。就職先に悪い印象を与えるかもしれないと思い、履歴書に「上司からの性被害による退職」と書くこともできなかった。「公立小学校講師 契約満了の為、退職」と書いたとき、教育委員会だけでなく、自分自身も性被害の事実を「なかったこと」にしているような、やりきれない気持ちになった。
働く気持ちは固まっていたけれど、こんな状態で入社することに、会社に対して後ろめたさも感じていた。雇用契約を交わすとき、どうしても黙ったままでいられなくなり、以前勤務していた学校の上司から性暴力を受け、警察へ相談に行き、弁護士を立てたことを打ち明けた。「本当はこんな状況なので入社を認めてもらえるか分かりません。難しいようでしたら採用を取り消してください」と会社の部長に伝えると、突然の告白に驚きながらも、「そういった事情でこちらから採用を取り消すことはありません。これから色々手続きとか大変だろうから就業時間などについては相談してください。できる限りサポートします」と言ってくれた。
きっと一般的に、犯罪被害者やその家族は様々な手続きのために仕事を休まざるを得ないというのが現状だと思う。けれど私は再就職先の会社の配慮や支援のお陰で、新入社員でありながらフレックスタイムのような勤務が認められ、事前に社長に相談すれば平日の昼間でも法律事務所や警察署に行くことができた。そんな会社に少しでも何か返せるよう、できることを増やさなければという思いで朝から夜までがむしゃらに働いた。忙しく働いている時間はあれこれ考える暇もなく、自分の置かれた状況を忘れることができた。
再就職して間もなく、地元のショッピングモールでイベントがあった。プラカートを持ってお客さんの呼び込みをしていると、職場の先輩から「あの子、知り合いじゃない?ずっとこっちを見ているよ」と言われた。そこには3月まで教えていた子どもが立ちすくんでいた。退職前に「来年もよろしくお願いします」とお手紙をくれていたあみさんだった。私と視線が合った後も怪訝そうな表情は変わらない。
「お久しぶり。学校はどうですか。お勉強も頑張ってる?」と話しかける私に「先生、なんでここにいるんですか。どうして学校辞めたんですか。また一緒に勉強できると思っていたのに」と言った。「ごめんね」私は、あみさんの「どうして」に答えることができず、ただ謝るしかなかった。あみさんのお母さんが私に気づき、「どなた?」と尋ねた。「先生」とだけ答えたあみさんに、お母さんは「退職された先生?」と聞き、あみさんは黙って頷いた。お母さんは「なんで辞めちゃったのかなって家でもずっと言っていましたよ。」そう言いながら、あみさんの手を引いて歩いて行った。「すみません」と謝りながら、笑顔で「またね」と手を振り、あみさんとお母さんを見送った。
子どもとの最後は笑顔で、と教職に就いた時から決めていた。ブースに戻った後、涙を堪えきれなくなり、カウンターの下にしゃがみ込んで、隠れて泣いた。とても悔しかった。私だって本当は一緒に学校にいたかったのに。辞めざるを得ない理由を作ったのは私じゃないのに。本当のことが言えず、悔しくて、悔しくて、涙が止まらなかった。
その後も、畑違いの慣れない仕事を必死に覚えようと、なりふり構わず働いた。職場の先輩たちもみんな優しく助けてくれたのに「男性を信用したら、頼ったら、また同じ目に遭ってしまうかもしれない」という不安が常につきまとった。男性と距離的に近い場所での作業や二人きりになる仕事では神経が張りつめ、一人で運ぶには重たいものを移動させる時や持久力を要する作業でも、なかなか自分から助けを求めることができなかった。
そして何より、仕事と同時に進めていたA教頭や教育委員会とのやりとりが、とてつもなく大きな負担となっていった。宮崎県教育委員会とつながりをもつ議員に話を聞いてもらうため、被害と教育委員会の対応をまとめ、仕事を終えた午後8時や9時から日付が変わる頃まで、半年近く何度も何度も相談に通った。それでも、教育委員会から何らかの反応を得られることは一度も無かった。
精神的な不安定さを抱えつつ、新しい、慣れない職種での就労は長く続くはずもなく、8か月ほどで退社せざるを得なくなった。最大の理解を示し、サポートしてくれた会社で見合うような働きができず、仕事を続けることができなかったことが本当に残念で申し訳なかった。