弱体化
ただただ、弱体化している気がする。
それは体力的にも、精神的にも言える。
でも昔ほど他者からの何かに対すること
例えば言い方や、雰囲気、ちくちく言葉などには耐性がついた。というか、他人に対して関心がないので心底どうでもいい。
と言いつつ舌打ちをされたら舌打ちをし返してしまう程には、その点の精神的な部分は強くなった?かもしれない。
おばはんになったら強なるねん、とはこういうことなのか。
年の功というものかもしれない。
ここ数年、もともと頑張るタイプの人間ではないけれど、さらに頑張ることができなくなった気がする。
好きなことだけど興味関心好奇心が赴くままにこなすような生き方をしているので、ほんのちょっと無理が生じるとストレスフルになる。
ワガママメンタルになってしまった。
仕事だって結構自由にやっているんだけど、気を抜けば地獄ではあるし安定しているものでもない。
だけど割と頻繁に大きめの休みを作る。少なくて3連休、多くて5連休。
勿論、休めば休むほど首を絞めることにはなる。お金の面ではね…。
他人からすると大変甘々でぐずぐずな生活をしているように見えるだろうし、実際それを否定できるものでもない。が、今私が生きているのは、こうやって自分で調整しているからなんだろうなああああああああああ!!!
と思う。
このnoteに意味はひとつもありません。
今は4~5連休中。
絵を描いたり、ゲームをしたり、配信を見たり、こうやって意味のない文を書き連ねたり、そういうことが出来ない状態だったので、今だらだらと過ごしてじわじわやりたいことが出来るようになってきて良い兆し。
夜眠ることも嫌だったし、朝起きることも嫌だった。
仕事は好きだからいいけど、仕事が終わった後に帰宅するのも嫌だった。
無気力というか、そのうち生きているのもなんだかなあと思ってしまう。
※死にたいわけではない
死にたいわけではないんだけど、生きる気力は確実に枯渇していたし、元々薄い薄い希死念慮はあるんだけど、それがもう息をするように、罪悪感も、不安感も、何もなくそこにいたから、それでエネルギーを使っている感じもした。
それがだいぶ今は収まっていてよかったなと思う。
赤裸々すぎるnoteだな。
「明日の休みは〇〇をしよう」が考えられなかった
「明日の休みは〇〇をしたいけど…」→できない→「しにたい…」みたいな。
「しにたい…」がフランクすぎる。だから重くとらえないでほしい。誰に対しての言い訳ですか?
寒いのも悪いよね。寒いと動きにくいしさ。
季節や気温や気圧や天気という、自分じゃどうしようもないことのせいにしている。てか実際それが原因なことも多いしね。
うじうじ考えるのがすごく面倒に感じてしまうし、マイナスなことはしんどいから考えるのも受け取るのも拒否してしまう。昔は首突っ込むくらいだったけど、結局勝手にしんどくなって苦しんでしまうことが分かったので、自分によっぽど余裕があったり、本当に大切なひとの場合以外は敬遠するようになった。(あとシンプルに時間も勿体ない)
それくらいでいいと思う、だってわたしカウンセラーでもないし。カウンセラーさんという立派な職業の方(プロ)がいるんだから、素人がでしゃばることでもない。とくに人のメンタルに関することは。
といいつつ、仲良くなってしまったらそれはもう私にとって大切な人たちなので、苦しかったらどうか無理はしないでほしい…と3階席から祈るようにみんなのことを見てるよ。
時間が勿体ないといったのは本当にそう思っている。人間というかこの世のほとんどの命をもつものにとって、時間は有限だから。
しかもそれが命を最後まで全うできることもあれば、病に飲まれたり事故や事件、自然災害などなどで泣く泣く途絶えることもある。
自分だって明日どうなるかわからない。だから時間の使い方は考えたほうがいい。と言いつつわたしは時間の使い方はへたくそのプロなので、うまく時間を使えている人たちを尊敬している。
なんでもないアホのかたまりのnote
わたしの脳みそをなんとか整理するためだけのnote
だれの為でもないnote
ここまで読んだあなたは面白い人だと思う。
あたたかくして過ごしてね。
ほなまたね。
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