『無名』金谷俊一郎さん(歴史コメンテーター)によるコラム
昨年1月に中国で公開され、興行収入約181億円を上回る大ヒットを記録した話題作、映画『無名』が、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネマート新宿ほか全国順次公開中。
『無名』の日本劇場公開と大ヒットを記念して、特別コラムを公開!
鑑賞前の事前知識として、また鑑賞後も物語の背景理解の一助としてぜひご一読を。
歴史に名を残してはならない人間だからこそ
その生き様は美しい
金谷俊一郎(歴史コメンテーター)
歴史に名を残してはならない人間だからこそ、その生き様は美しい。
そして、その美しさを見事に具現化できたのは、徹底した時代考証と、中国をときめく熟練したスターと若きスターの2大競演。
人間には誰しも功名心がある。しかしスパイという存在はそれを表に出してはいけない。だからこそその生き様を美しく表現することで自らを表現するしか方法はない。生き様を美しくすることはある意味孤独でもあり残酷でもある。『無名』には、その孤独さ、残酷さが苦しいほどに描かれていて人々の心を締め付ける。
まさに『無名』の人生を余儀なくされた人間だからこそ描くことのできるリアルで残酷な人生。それが『無名』の本編全体を貫いている。
『無名』をみて、まず驚いたのは1940年代前半の上海の見事な再現。
この見事な再現は、綿密に時代考証をしただけでは出すことはできない。
それこそ1940年代前半の空気感。
李香蘭や東洋のマタ・ハリと呼ばれた川島芳子が出演していた映画フィルムのような質感。「映画セットを使った」感じを一切感じさせないセットと、時折見せる1940年代前半の満映(満州映画協会)の映画のワンシーンのようなカメラワーク。1940年代前半の上海にタイムスリップしているような感覚、映画ではなくアトラクションを体験しているような感覚を与えてくれる。
私がここまで『無名』に魅せられたのは、映画としての完成度はもちろんのこと、バックグラウンドにある歴史背景を緻密に描き切ってくれているから。しっかりとした時代交渉をしている作品だから。だからこそ当時の歴史背景をわかっていれば、もっと本作品を楽しめると思いますので、その辺りのお話をさせていただきます。
本作品は1941(昭和16)年の上海を発端としていますが、その前提として押さえておきたいのが、10年前の1931(昭和6)年に起こった満州事変です。日本軍のスパイのトップである渡部は「石原派」を自認しています。この石原派というのは、関東軍参謀として満州事変を主導した石原莞爾の主張を支持する人たちのことです。石原莞爾が唱えたのは「世界最終戦論」。
「今後30年の間に人類の覇権を巡る最終戦争が起こる。この最終戦争を経て、世界は永久的な平和を手に入れる。その最終戦争に日本が勝利するためには、日本は満州を是が非でも手に入れておかなければならない。」
石原莞爾は、この考えに基づいて満州事変を遂行しました。
石原莞爾の思想は多くの若者を動かしましたが、日本の陸軍の主流にはなりませんでした。それは1936(昭和11)年の二・二六事件以降、東条英機を中心とした統制派が陸軍の主導権を握ったからです。統制派は官僚や財閥と組むことで列強に対抗できる「高度国防国家」を建設しようとしたのです。つまり裏には官僚と財界という巨大な権力が蠢いているわけです。
そして本作品の発端となった1941(昭和16)年、東條英機が内閣総理大臣となり太平洋戦争(日本では当時大東亜戦争と呼ばれていた)に発展していくわけです。
日中戦争で日本は中国の南京を占領していました。その南京には中国国民党ナンバー2であった汪兆銘が日本の支援のもと新しい国民政府を樹立していました。「日本の支援のもと」ということで教科書などでは傀儡政権と記されています。
一方、日本が日中戦争で戦っている蔣介石率いる中国国民党は重慶に移り、米英の支援を受けながら日本に対して徹底抗戦の構えを示していました。そうです。中国国民党はバックにアメリカとイギリスがいたわけです。ですから「中国における膠着状態を打開するためには、アメリカ・イギリスと戦争をするしか方法はない」と考え、太平洋戦争の開戦に至ったわけです。
日本の開戦当初の戦況は好調でした、わずか半年ほどで、赤道よりも北の東アジア・東南アジアの地域は、ほぼ日本の占領下に入ります。その時日本が唱えていたのは「大東亜共栄圏」。日本を中心に欧米の植民地侵略のない強くて平和なアジアをつくろうというのが名目でした。しかし、日本は経済制裁により資源を奪われました。暗号などの情報はほとんどが解読され、日本の情報は欧米に筒抜けでした。
そのため、間もなく日本の戦況は悪化します。遂に日本は本土に無差別爆撃を受けることとなり、昭和天皇の「聖断」で太平洋戦争は終結するのです。しかし、これで終わりではありません。中国国内では中国共産党と国民政府の内戦が始まるのです。
汪兆銘は、中国では「日本と手を組んだ国賊」ということで侮蔑的扱いを受けています。しかし汪兆銘は非常に聡明な政治家であり、映画のセリフにもあるように詩作を愛し、アジアの平和を望んだ平和的な人物という側面があります。むしろあまりにも聡明で永久の平和を望んだ理想主義者だったからこそ、日本と手を組んでしまったという考え方もできるほどです。
織田信長の「天下布武」という印判は、従来は「天下を武力で統一すると」いう非常に強圧的なものと捉えられていました。しかし現在では「信長の威光によって、戦乱の世を終わらせ、天下を平和に導いていく」という考え方であると捉えられるようになってきました。
人間は、大切な家族を守るため、愛する人を守るため、永久の平和を求める。そして永久の平和を求めるため、人は時として冷酷にならざるを得ない状況に直面する。その極限の状況が1940年代前半の上海で繰り広げられていたということを、この映画は私たちに語りかけているような気がしてならない。映画を視終わっても、私はまだ夢から覚めず1940年代前半の上海に彷徨っている。
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