映画と楽曲《愛のコリーダ》の繋ぎ目は
2021年春、大島渚監督の『愛のコリーダ』と『戦場のメリークリスマス 4K修復版』は、2023年に国立機関に収蔵されるため、『愛のコリーダ 修復版』として最後の全国ロードショーを迎えた。
男女の愛憎の果ての現実に起きた殺人劇を、定という主人公情熱の物語として描くべく、いわゆる“本番行為”を役者本人が実際に行うというハードコア・ポルノという内容ゆえ、結果的に大島監督は書籍版を理由に起訴され、裁判にまで発展するほどの一大事件、映画芸術の表現における、ひとつの象徴的作品となった。当時、カンヌ国際映画祭にも監督週間として出品され、海外でも高い評価を得、同時に話題となっていた。
その影響力が、少しばかりユニークでこの上ないクリエイティブを生んだという事についてお話したい。
映画『愛のコリーダ』は1976年に公開され、そこからインスパイアされた世界的大ヒット曲「Ai No Corrida」がリリースされた。主に広く知られているのはクインシー・ジョーンズが1981年にカヴァーしたバージョンである。クインシー版は、ソウル・チャートで最高10位、日本でもオリコン洋楽シングルチャートで年間1位を獲得し大ヒットとなった。今日、ラジオなどでも耳にする機会も多い事だろうと思う。映画は観た事がなくても、曲だけ知っているという人が多い点では、『戦場のメリークリスマス』と類似していると言えなくもない。「Ai No Corrida」は本編とは直接は何ら関係無いという違いがあるが。
衝撃作『愛のコリーダ』にインスパイアされたという名曲「Ai No Corrida」の中身はどうかというと、ダンサンブルでサビまでが流れるようにスムーズかつメロディアスなディスコサウンドであり、歌詞を度外視して一聴すると、どこにも「愛の情念」だとか「愛憎」という空気は感じられないように思える。
サビの一部はこうだ。
「Ai no corrida, that's where I am
You send me there....」
要するに「愛のコリーダ、それが僕のいる場所 君が僕をそこへ追いやった」という事だ。
どうやら歌詞は映画にもリンクする男女の駆け引きが感じ取れるが、サウンド面に不思議な乖離を感じさせるではないか。
そこで本題に入る。この「Ai No Corrida」はオリジナル版は1979年にイギリスのシンガー・ソングライターでありイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズの元メンバーである、チャズ・ジャンケルが作曲したものである。
以下がチャズ版である。クインシー・ジョーンズ版よりビートの鮮明さが目立つのに加え、冒頭がピアノなどから始まるのが大きな違いではないだろうか。
どうして、「Ai No Corrida」はこうなったのか。この不思議な名曲誕生の経緯を知りたい。歌詞はシンガー・ソングライターのケニー・ヤングによるものだが、2020年に惜しくもこの世を去っているため、残るはチャズ・ジャンケルである。
早速、チャズにコンタクトを試みたところ、なんと楽曲誕生秘話と熱いメッセージが到着した。
サビが日本語という強烈なインパクトある歌詞と、ダンサンブルな楽曲が織りなす楽曲の生まれた背景と、チャズからの映画への想いが伝わる内容は、「なぜ、この映画からこの曲なのか?」という永遠の謎を抱いていた人にはぜひご一読頂きたいものである。
以下は、チャズ・ジャンケルからのコメント全文。
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「私の友人のミュージシャン、ピーター・ヴァン・フックが私のカセット・デモをケニー・ヤングに聴かせ、彼が 「Ai No Corrida 」の歌詞を書いてくれました。 ケニーは非常に残念なことに、数ヶ月前に癌で亡くなってしまいました。彼は、南フランスで毎年開催される有名な音楽ビジネスコンベンション、ミデムに参加していた時、私が送ったメロディを映画のタイトル『愛のコリーダ』、映画の内容に沿ってより優しく、かつドラマチックな曲に仕上げるというアイデアを思いついたのです。
彼は映画を観て、映画と私のメロディという2つの世界を結びつけたのです。彼がそこにいる間、彼は私に電話して、「愛のコリーダ」のフックを歌いました。正直なところ、私は映画を観ていなかったので、彼が何を言っているのかわかりませんでしたが、歌詞が私のメロディにぴったりだったので、それに合わせました。私はこの歌詞が、強迫観念にかられたニンフォマニアの芸者が悲惨な結末を迎えるという、非常に深い闇の物語であることに気付いたので、心配していました。私は当然、この映画の主題とあまり同一視したくなかったので、曲を録音する際には、私が育った北ロンドンの夜に録音された遠くの交通道路のアンビエンスをイントロに加えました。これは、私が眠りにつく前に最後に聞くものになるだろうという考えから、この曲とその主題は「夢にすぎない(ONLY A DREAM)」ということになりました。
ハービー・ハンコックの鍵盤とアルフォンソ・ジョンソンのベースを加えて録音された彼のバージョンは、グラミー賞の最優秀R&Bソングにノミネートされましたが、ビル・ウィザースの「Just The Two Of Us」に惜しくも敗れました。
ちなみに、私がこの曲のプロモーションをしていたとき、スペインのTVに出演しました。番組終了後、カメラマンが私の肩に腕を回してきて、「チャズ、君がこの曲を作ってくれて嬉しいよ、僕も闘牛(コリーダ)は嫌いなんだ」と言いました。このコメントに戸惑いましたが、しばらくして、スペイン語の発音で「Ay No Corrida」…つまり、「闘牛はもう嫌だ」という意味だとわかりました。
SHIFTK3Yとい名前でプロの音楽活動をしている私の息子ルイスは、何度も私に「お父さん、もう一度“Ai no Corrida”のような曲を書いてみてよ」と言いました。この曲とそのアレンジは、若いミュージシャンだった頃に大きな影響を与えました。しかし、どんな芸術家でも心の中で知っているように、決して同じことを繰り返すことはできません。前に進み続け、現在に生きなければなりません。
数年前、『愛のコリーダ』のDVDを見つけ、買わざるを得ませんでした。今では、執着と、主人公2人の間にあるどうしようもない社会的地位の差についての実話の物語だと理解しています。地位とは力であり、情熱が暴走すれば、たとえ偽善的であっても、社会における従来の価値観のバランスを崩してしまうでしょう。最終的に、大島の物語から得られる教訓は、自己管理が最善の解決策であるということでしょう。理想的な世界では!
映画の成功を祈っています。映画製作とストーリーテリングの記念碑的作品です。
――チャズ・ジャンケル(「愛のコリーダ」の作曲者、2021年5月ロンドンにて)
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そう、あの冒頭のロマンチックなピアノの音色は、「夢にすぎない」というテーマの導入として機能していたのである。そして、あのダンサンブルなサウンドすらも、男女の愛が熱狂と混乱の頂点に達した混沌の表現なのではないかとすら思えてくる。
"Corrida"すなわち「闘牛」は、映画では男女同士の愛の闘いと命の張り合い、また、軍靴の音が強まりつつある時代(阿部定事件は二・二六事件の年に起きた)に背き超個人主義に走った2人で1つの、社会と個の闘いという2つの意味を成していると言われている。
楽曲「Ai No Corrida」では、カップルの愛ゆえの諍いや行く末を闘牛の如く緊張感溢れる模様を躍動感を以て描き出し、全ては夢の中、幻想である――という、愛そのものの儚さをも示しているように感じ取れるのではないか。
チャズ自身の言葉を読んだ上で再聴すると、以前にも増して、愛や人間の不可思議さを実に簡潔に表現されている至上の名曲だという感動がこみ上げてくるではないか。
ちなみに、現在もチャズ・ジャンケルは音楽活動を継続中で、美しいメロディ・メーカーとして作品を発表し続けている。
以下は氏のYou Tubeチャンネルと公式サイトだ。Spotifyなどの配信サービスでも楽曲は配信中。
https://www.youtube.com/user/MrChazjankel
http://www.chazjankel.com/
映画『愛のコリーダ』は、素晴らしい名曲を生み出すきっかけとなった事は間違いない。
チャズ・ジャンケルの言う通り、「自己管理が最善の解決策」というのは映画や実際の阿部定事件が教えてくれる教訓でもあるのかもしれない。
常識や良識、管理範疇も何もかもを超えた先に行ったのが阿部定である。
果たして、大島渚監督はこの曲を聴いて何を思っただろうか。そして、阿部定が聴いたとしたら、どう感じたのだろうか。
今となってはもう知る由もないが、そんな事に思いを馳せながら、映画や楽曲を楽しむのもいいかもしれない。
『愛のコリーダ 修復版』『戦場のメリークリスマス 4K修復版』公式サイト
《2021.5.19 追記》
大島渚監督と生前から親交があり、「大島渚全映画秘蔵資料集成」(国書刊行会より刊行予定)の出版を控えている映画評論家・映画監督の樋口尚文氏から、非常に興味深い情報をご提供頂いたので掲載する。
「クインシー・ジョーンズの”愛のコリーダ”がヒットしている最中にフジテレビに「スター千一夜」にゲストで出演していた大島渚監督が「これはどいういう経緯でできた曲なんですか」と尋ねられて「いや、クインシーが映画を気に入ってうまくやってくれたんですよ」という趣旨の発言をしていたが、大島監督もよくわかっていない様子でした」(樋口尚文談)
大島監督にも、チャズ・ジャンケルが作曲、ケニー・ヤングが作詞し、クインシー・ジョーンズによってカヴァーされた「Ai No Corrida」がしっかり届き、しかもどうやら肯定的に受け止めていた模様である。さすがに、オリジナル版がチャズ・ジャンケル作曲・歌唱バージョンである事までは伝わらなかったのかもしれないが、2つの芸術作品は、かつて、しっかりと一つの円環を成していた。
1つの事件《1936年阿部定事件》、1つの映画《1976年・愛のコリーダ》、もう1つの事件《1977年・愛のコリーダ裁判》、1つの楽曲《1979年・Ai No Corridaリリース》。2021年、この時系列の中にあったものが判明した。
当時、日本でどのようにこの楽曲や現象が語られたのかは不明だが、名曲「Ai No Corrida」と共に語り継がれていって欲しい事実である。
どこかで耳にする事があれば、「クインシー・ジョーンズ版が有名かもしれないけれど、実は――」から始まるストーリーを広めて頂けたらと思う。
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