初夏に聞いた「初夏」
アーティスト Ado
Adoさんの新曲『初夏』が、10月14日に配信、MV公開がされました。
作詞作曲がAdoさんということもあり、アーティストとしての本格的な一歩なのかもしれません。
私は大阪公演初日に参加したので、3か月間この曲の衝撃を反芻しながら過ごしてきました。
正直何回か口ずさんでました。周りに気づかれなかったことを祈っています。
ライブでのこの曲の感想はまたどこかで書くとして、せっかく公開されて何度でも聞けるようになった今、音に、歌詞に浸っていました。
スポーツの日は耳がとてもアクティブに動いていました。私の蝸牛は絶好調です。
音については正直なんの心得もないので月並みな表現になってしまいますが、ひたすらにかっこいい曲なのに、ひずんだ音がどうしてこんなに悲しいのだろうかとは思っていました。
これ以上は有識者にお任せします。
逆張りの解釈
色々な解釈や考察をされている方がいて、私もやってみたいなと。
もちろん、MCで言っていた「本質を見る」ということに対して、全く則していないと分かってはいるのです。ただ、この思いの丈を吐き出したく、書いていきます。
間違ってたら鼻で笑ってください。その程度のものです。
こうであって欲しいというよりも、こういう聞き方すると面白いかもよ。間違っているだろうけどなッ!くらいの感じです。
絶望の歌
私が最初に聞いたときに感じたのは、激しい怒りと絶望で、それを自分で慰めるための歌というイメージでした。
なにかの過ちや叱咤により傷つけられて、この歌で自分を慰めているというような印象です。MCでも自分のためだけの歌という言葉もあったので、そういう意味かなと。
呪いの歌
公開されたMVを見た時の印象は、絶望の原因や向き先が外にあるのはちょっと違う気がする。というものでした。
MV内の前半の設定として、面会所の内側に手枷をはめられて目が■んでいて血を流すAdoさんがいて。
外側に妙齢のAdoさんっぽい人と子供のAdoさんがいる。
便宜上、順にAd■さんとADOさんとadoちゃんとします。とても分かりやすいですね。
チャンドを使わないのは、この曲が「Ado」のものというのと、Twitter連動のためです。
完全に私の中での話ですが、枷は呪いの象徴ととらえています。なんででしょうね。これも一つの呪いでしょうか。
そして面会所はそのまま罪の象徴。ならば、何か罪深い呪いを背負って、Ad■さんは檻に捉われているのかもしれない。
果たしてその罪と呪いが何だったらストンといくか。というのが今回の考察の根幹になります。
つまり、初手の罪と呪いという考察が間違ってたら全部✕だし、なんならその初手が私のイメージだなんて。
これは間違っているしかない!!個人の妄想全開なので気軽に読めますね!
罪と呪い
Ad■さん以外の登場人物にフォーカスして、罪と呪いの根源を妄想します。何度でも書きます。妄想です。
また、夢=呪いと捉えています。(とある仮面ライダーが言っていたそうです)
みんなに凄いと言われる歌い手になってみせるという呪いと、できていないという罪の意識
「Adoの歌ってみたアルバム」にも登場するadoちゃんがキーパーソンです。一番最初に目を輝かせているadoちゃんが出てきます。お姉さんの絵を描いていますが、こちらは後で触れます。
MVの中ではAd■さんとの関わりをADOさんに静止され、「いつか報われると信じていたのに」と消えていくadoちゃん。
adoちゃんが思い描いていた夢を創作当時のAd■さんでは叶えられることができず、呪いとなり罪であると思っていたのではないかと。
目を輝かせていたadoちゃんがすること。
それが「歌ってみたの投稿」で、その先の理想の未来が歌い手になる。というものかなという妄想です。
ただ、創作当時のAd■さんは全然うまくいっていなくて、それでももがき苦しみながらも歌っている。あの時のあこがれた自分には全然なれていない。という印象を歌詞からも探せます。
望みは叶えたものの、全然満足できておらず、約束も叶えられていないようにも読めます。だからadoちゃんに見限られた。という感じでしょうか?
当時本当にそうだったのかはニワカの私には全然わかっていません。良くないですね。そういうところです。
理想の自分になって自分を愛する。という呪い
理想の自分というのが、最初に出てくるお姉さんの絵。見た目通りADOさんです。次にADOさんがキーパーソンになります。
ADOさんも目に光が宿っています。そのため、基本的には思い描いた夢の先にいるのではないかと。
にしては色が暗いので、何かを見てきたのでしょうか?
ここからは逆算で、ADOさんを理想とするならば創作当時、未来に対してできていないことはなんだろう。ということで、自愛をもってきています。
ここは完全に妄想です。私は歌詞の中に確信できるフレーズが見つけられなかったので、ここは大外れなことでしょう。
自愛へ向かうと言う夢を見たものの、自己嫌悪という罪から抜け出せず檻の中に入っている。
そこから出れないからこそ血を流している。
そして、現代においてもADOさんたる未来にはまだたどり着いていないのかな。という印象を私は持っています。
呪いは解けていない?
最後に「は?」とツイートし、Ad■さんの顔が映ってこのMVは終わります。
個人的な妄想ではadoちゃんがかけた夢、呪いはほぼ解けているとは思います。
一瞬映るTwitterの日付やフォロワー数を見ても、間違いなく現代の我らのAdoさんで、誰しもが認める最高の歌い手の一人です。
心臓でもadoちゃんが報われる。という言い方をしてたので、現代においてはこの枷は無くなっている気がします。
ただ、ADOさんになるという呪いはまだ残っている。だから映るのは目に光のないAd■さんなんじゃないかなと。
私の個人的なツイートとして、まだ続くんだ。とツイートしました。
本人が「は?」のツイートをするということは、まだ自認はAd■さんなのかもしれません。MVに則するとそうなるかなぁと。
つまりADOさんになるという夢はまだ残っています。Adoさん自身の自愛への旅はまだまだ続いている。だからこそ、私たちの前から姿は消さないでいてくれる。というイメージでこのツイートをしました。
終わりに
今さらですが、歌詞やMVの考察なんて野暮な話です。
結局答えはないものですし、それはAdoさんだけのものです。
ただ、この歌から感じる苦悩と、それでも進むという強い気持ちは多くのファンを魅了して、鼓舞したと思います。私もその一人です。
自己表現をアートというのなら、これほど胸を打つアートを作られたAdoさんはやっぱり素晴らしいアーティストなのだと思います。
ライブの最後の曲としてこの歌を歌うことの勇気や、新しい自分、本質としての自分を見せつけるという決意が本当に胸にしみました。
素晴らしい曲をありがとうございました。
全て妄想ですが、文字に起こしてスッキリしました。どこかでまた嘲笑いに来てみてください。
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