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陶芸家の弟子物語〜お仕事編〜

今日の午前中はポカポカな陽気だったのに
午後の教室の最中に吹雪かと思うくらいの
ものすごい雪が一時的に降りました。
それはもう驚くほどでした!

私のアトリエはかなりな坂の上なので
「私の車下りれるかしら??」
「この作業終わったら帰ります!」
という生徒さんもいましたが
そのまましばらくしたら雪も止み、
皆さん最後までレッスン出来ました。

さて昨日までは私の弟子時代の話を
二日に渡って書きました。

でもまだ仕事の話は書いてないので
弟子の仕事がどんなものだったかについて
今日は書いてみたいと思います。

弟子の仕事は師匠次第

陶芸家の弟子の仕事は、
その師匠によって違います。
師匠がどこまでのことを弟子にやらせるか、
というのはそれぞれの先生によって違うので、
私のいた陶房での仕事についてお話しします。

勤務時間は朝9時から夕方6時まで、
朝10時と午後3時のお茶の時間、
そしてお昼休みの1時間は必ず休みます。
やはり職人的な仕事なので休憩も大切です。

弟子の仕事は先生の制作の下準備、
それに伴う雑用や片付け、
食器のロクロ成形、
釉掛け、窯詰め、窯焚き、窯出し、
納品する作品の発送作業、
個展の作品のリスト作り、搬入、搬出、
桐箱の発注、桐箱に箱書きする準備、
先生宅の飼い犬の散歩、
たまに娘さんたちの送迎などもしました。

こうして書き連ねてみるとわかりますが、
かなりの仕事をやらせてもらっていました。
弟子をしている時にはわかりませんでしたが、
自分で仕事を始める時に初めて
それだけ任せてもらっていたことが
どれだけありがたかったか
ということに気づきました。
気づけばかなり多くのことを
一人で出来るようになってました。

「家族湯呑みか?」と言われて

ロクロ科の研修生だったので
しばらくしたらロクロの仕事を任されました。
汲み出しの湯呑みをロクロで挽く仕事です。
トンボ(径と深さを測る道具)を使って
同じサイズのものを作るのですが、
サイズに大小が出てくると
夫婦湯呑みになってしまいます。

一生懸命に私が作った湯呑みたちは
思った以上に大きさにバラつきがありました。
チェックしに来た先生が
ちょっと驚いたように言いました。

「なんだなんだはまちゃん!
 なんだこれは?夫婦湯呑みじゃなくて
 これは家族湯呑みか???
 これがお父さんで
 これがお母さんで
 これが子ども 
 それでこれが…赤ちゃん!」

家族湯呑みという言葉は初めて聞きました。
その後も聞いたことはありません。

そう言われた時の私は本当に
悔しいような情けないような、
はずかしいような気持ちでした。
(と言いつつちょっと笑ってしまいました)
でもそこからロクロを挽き続けて
大きさの揃った器を挽けるようになるまで
とにかくロクロに向かいました。
やがてちゃんと納品できるものが
作れるようになりましたが
作らせ続けてくれた先生に感謝です。

貼り合わせの花器作り

先生の個展が近くなると
大物の花器を沢山作りました。
先生の大物の花器は
大物のロクロの花器と
紐づくりで作る手捻りの花器と
型を使って作る貼り合わせの花器の
三種類の作り方がありました。

大物のロクロの花器成形は職人さん、
紐づくりの花器の成形は姉弟子ちゃん、
そして貼り合わせの花器の成形は私、
と三人がそれぞれにベースを作りました。

貼り合わせの花器をどうやって作るかというと
平らに伸ばした板状の粘土を
同じ型紙で二枚カットして
同じ形の板状の粘土を作ってから
アールのついた木の型の上に乗せて
湾曲した形になるように乾かします。

少し硬くなったところで二枚の粘土を
貼り合わせると底の部分が空洞になるので、
今度はその形に合わせて、底の部分に
板状の粘土を貼り付けていきます。

こうして言葉で説明しても
わかりにくいと思いますが
大きな花器をこんな風に成形するのには
なかなかの技術が必要です。
繰り返し同じように花器を成形することにより
その技術はどんどん上達していきました。

私たちが成形した器をベースにして
先生がそれを仕上げていきます。
口作りと表面の加飾です。
器の口の部分をどんな風に仕上げるかで
器の印象が決まっていきます。
先生の作品は象嵌と言って、
器の表面に模様を彫って
白化粧という白い泥を
模様の溝に埋める技法で
作品を仕上げていました。

先生が仕上げると私たちが作った形が
魔法のように生まれ変わります。
先生のデザイン力は素晴らしくて
そのセンスの良さを尊敬していました。
そしてそのベースを作れることに
作品作りに大きく携われることに
喜びを感じるようになりました。

そうやって大物作品のベースを
どんどん作っていくにつれて
それが素晴らしい作品に仕上がるのを
何度も体験するにつれ、
私の中で自信のようなものが
少しずつ育っていきました。

今では自分の作品のために
貼り合わせの花器を作っていますが
これもあの時の経験が生きてるのです。

大切なことはみんな弟子の時に教わった

私は弟子として働いた時間の中で
陶芸家に必要な仕事のやり方を
仕事を任せていただくことで
先生からそれを教わりました。

でも教わった大事なことは
それだけではありませんでした。
とにかく
「自分の手を使って生きる」
ことを教わりました。

例えば私は何かが壊れたら
「業者に修理を依頼する」
欲しいものを作る(用意する)時にも
「プロに任せる」
というのが当たり前の家で育ちました。

ところが先生のところにいると
「必要なものは自分で作る」
「何か壊れたら自分で直す」
というのが当たり前でした。
そして私にとってもそれが
新しい「当たり前」になっていきました。

私は笠間にいた五年間で、
その前の人生の「当たり前」が
上書きされるように
「自分の手を使って生きる」
ことが少しずつできるようになりました。

本当に大切なことはみんな
弟子の時に教わりました。
笠間での五年間は私の人生の土台であり、
陶芸家濱田陽子を育てた時間でした。
私は陶芸家として、そして人として
大切なことを教わりました。
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今日はここまで!
今日も読んでいただき
ありがとうございました!
それではまた明日!












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