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ビジョンクエスト再び①
今日はまた夫と長い散歩に出かけました。
11日の休日は葉山の元町の方まで歩いたので
今日は逆方面、立石、秋谷海岸を通って
芦名まで歩いて行きました。
テスト前でお勉強に勤しむ娘を家に置いて
ポツポツと話をしながら夫婦で歩くのは
なかなかいい休日の過ごし方です。
昨日まで比叡山でビジョンクエストに行った話と
その後日談を書きました。
今日はその続きをお話しします。
笠間の窯業指導所へ見学に行く
高野山でのブレスワークからの帰り道、
参加者の人たちと話していたらみんなが
「笠間に見学に行ってみたらいいんじゃない?」
と口々に言いました。
みんなにとって私は
「陶芸家になりたい人」なので
そんなアドバイスをしてくれたりしました。
すっかりその気になった私は、
帰宅した翌日に笠間の大野さんに
思い切って電話をかけました。
大野さんは笠間に住む陶芸家で
実家を建てるときに玄関に上る階段横にある
陶壁を制作してくれた人です。
私は3〜4歳の頃に家族で笠間を訪ね、
大野さんの陶房にて粘土でパンダを作りました。
それが私にとっての処女作となります。
そのパンダは作った時にはちゃんと
両耳も両腕もあるパンダだったのですが
子供が適当にくっつけた耳や腕は
乾燥の過程でポロポロと取れてしまいました。
私のパンダはミロのビーナスのように、
両耳がなく片腕がなかったのです。
それでも大野さんが目の周りと鼻を
弁柄で茶色く絵付けしてくれたことで
「パンダかもしれない!」と思える
動物の像が焼き上がりました。
それが私の陶芸との出会いであり
私の人生の原点です。
やわらかい土が固く焼き締まり、
全く違う物体へと変容したことに
子供心に驚きと感動を感じたことが
思えば私の陶芸人生の始まりでした。
笠間は私にとって「パンダを作った場所」で
大野さんは「パンダを焼いてくれた人」で
どちらも自分で思っている以上に
私にとって親しみのある場所であり人でした。
それほど親しみがあると言っても
ほとんど知らない人に近い大人に電話するのは
当時の私にはものすごく勇気のいることでした。
電話の前で正座をして何十分もかけようとしては
「ダメだ怖くてかけられない!」と思ったり
「いやがんばってかけなければ!」と思ったり
を繰り返し、ぐるぐると逡巡していました。
最後に勇気を振り絞って電話をかけて大野さんに
「窯業指導所を見学したい」と伝えたところ
「わかりました!
指導所は推薦がないと入れないんですよ。
でも大丈夫!私が推薦します!」
と言う心強い言葉をいただきました。
12月の最初の土曜日に指導所に行く約束をしたら
ほどなく指導所の願書が送られて来ました。
必要書類とともに送り返すようにと
大野さんから指示がありました。
とは言え私が行くつもりだったのは次年度でなく
その次の年の4月から始まる研修だったし
それも見学をした上で決めるつもりでした。
でも大野さんは
「陽子ちゃん、
所長に会ってもらうから
面接を受けるつもりで来て下さい!」
と言うのです。
それを聞いてやっとの思いで
「大野さん、私まだ指導所に行くかどうか
決めてないのですが…」
と言うと
「大丈夫!キャンセルはいつでもできます!」
と言われました!え〜ビックリ!
言われるがままに住民票、戸籍抄本、
健康診断所、卒業証明書などを
会社の半休を取って集め、願書を書いて
すべてを大野さんに送りました。
そして12月になり大野さんと一緒に
笠間の窯業指導所を訪ねたのです。
これじゃあ入れないわけにいかねえべ!
指導所の所長室に通された私は
大野さんと並んでソファーに座りました。
すると大野さんが私が送った書類と願書、
そして巻紙に毛筆で書かれた推薦状を
机の上にベラベラベラ〜〜っと
広げて見せたのです。
あの時の所長の呆れ顔は今も憶えています。
一瞬の間の後に所長は大きな声で
「大野さん!
これは入所が決まってからもらう書類だべ!
これじゃあ入れないわけにいかねえべ!」
と言いました。
そのやりとりを見ていて私は思いました。
「これはチャンスかもしれない!
私はこの勢いで入所できるかもしれない!」
そして指導所の中、ロクロ場や窯や、
釉薬科の部屋など見せてもらいながら、
「ああここで陶芸を学びたい!」
と思いました。
心の準備が追いつかない
チャンスかもしれないと思っても尚、
全然気持ちが追いつきませんでした。
思えば大野さんに連絡した時からずっと、
自分は何もしていないのに
ジェットコースターに乗せられて
ドンドンと物事が進んで行ってしまう、
周りの景色がビュンビュンと変わって
私だけそれについて行けないような感覚でした。
「ああ、どうしよう!
今度の春から笠間に行くなんて
まだ心の準備が全くできてない!」
つまりビジョンクエストに行くには
絶好の精神状態になったのでありました。
自分の本当の望みに出会うために、
私は再び比叡山を訪ねることになりました。
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今日はここまで!
明日は二回目のビジョンクエストのことを
お話ししたいと思います。
今日もここまで読んでいただきありがとうございました!
それではまた明日!