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ビジョンクエストした話②
今日はバレンタインデー♡
私が高校生の時ホームステイしたアメリカでは
バレンタインデーは
「大切な人にハートを贈る日」
と教わりました。
恋人同士、夫婦、家族、男女問わずに
その人にとっての大切な人へハートを贈る
という日だということです。
私のホストファミリーの娘さんの部屋には
ママからのハート型のバレンタインカードが
壁に飾られていました!
さて昨日は(正確に言うと今日の0:53)ビジョンクエストと言う二泊三日のワークショップに参加した流れと、二日目の「歩くビジョンクエスト」の前日の準備についてお話しました。
今日は山の中を歩き回るビジョンクエストのお話です。
自分と出会う山歩き
1月3日、まだ三が日であるその日の朝は
澄み渡るような清らかな空気と
美しい光に溢れた朝でした。
ビジョンクエストのルールはシンプルです。
◎自分の好きなように行動すること
◎原則一人歩き
◎言葉を発するのは必要最低限に
まず「自分の好きなように行動する」とは、
山の中を歩き回ってもいいし、
お寺巡りをしてもいいし、
好きな場所を見つけて瞑想してもいいし、
基本「何をしてもいい」ということでした。
ただしその行動は自分で決めること!
ここがポイントだなと思いました。
そして「原則一人歩き」と
「言葉を発するのは必要最低限」とは
自分の内面に向かう時間なので、
意識は周りの自然に向かうのはいいけれど、
他の人に意識をなるべく向けないで、
ひたすら自分の中に深く向かうためでした。
歩き出して気づいこと
そして意気揚々と歩き出した私は、
少し歩いたところですごいことに気づきました。
私はものすごく強くこう思ってました。
「こんな遠いところまで来て(東京から京都)
安くはない参加費を払って(払ったのは父)
このワークショップに参加したのだから
何かを得て帰らねばならない」
そのことに気づいてハッとしたのです。
そんな風に思っていたら逆に
得られるものも得られないに違いないと!
思えばいつもそうでした。
感動しそうな映画を見る時は
「この映画は感動する映画だから
感動しなければならない」
と感動しようとしながら見ている。
自分の作ったフレームの中に
自分をギュウギュウと押し込んで
感動することを自分に強いていたのです。
つねに「こうあるべき」「こうあらねば」と言う
自作の檻の中で息苦しさを感じてました。
その自分の思考のクセに気づいた私は
「こんな気持ちのよい天気、
気持ちのよい場所にいるんだから、
楽しく山歩き出来ればそれでいい」
と足取り軽く歩き出したのです。
思えばそれは私の世界が
大きく変わり出した瞬間でした。
開いた心に流れ込んできたもの
その時の私はいわば
心がフルオープン!!
になっていたのだと思います。
急に空を見て流れる雲を見るだけで
心が震えてとめどなく涙が流れて来たのです。
そして歩いてるうちに走り出したくなって
走ってみたら楽しくて仕方ない!
子どもが走るだけで楽しくて笑っているように、
いつしか私は笑いながら走ってました。
人が見たらビックリするような感じだったと思いますが、そのことが全然気になりませんでした。
歩きながらきれいな山の空気を吸うごとに
自分の中がドンドンとクリアになりました。
普段いろんな考えや感情の糸が絡まって
見えなくなっていた自分の本当の気持ちが、
歩くごとに、息を吸うごとに、
だんだんと顔を出し始めたのです。
絡まった糸が一本ずつほどけていくようでした。
本当の気持ち
その頃私は卒業後の留学の準備をしていました。
「カナダの大学で文化人類学を学ぶ」
と言う一見素晴らしい目標を掲げて進んでいました。
でもその時気づいたんです。
実は全然行きたくない!ということに。
これまた衝撃の真実!
でも薄々わかっていました。
私が留学する理由は単純に
「社会に出たくない」
それだけでした。
社会に出ることが怖くて怖くて仕方ない!
それだけでした。
でも周りの人を気にして
周りの目を気にして体裁を整えて
一見ちゃんとした理由を作って留学することで
時間稼ぎをしたかったのだと思います。
「でもそんなの違う!
私のやりたいことじゃない!」
と気づいてしまいました。
本当に気づけてよかったです。
そして歩きながら思いました。
「ああもうこれからは
生きたいように生きていいんだ」
あの山の中で大きな開放感に包まれて
泣きそうなほどに自由でしあわせでした。
卒論を追体験した一日
そんな風に心が軽くなって歩いていると
周りの自然から感じられるものも、
受け取れるものも多くなっていきました。
そして歩きながら自分の卒業論文の
自分が書いた文章を追体験するような
まるで贈り物のような瞬間が何度も訪れました。
例えば私は大きな木の前で立ち止まり、
それを見上げながら
「木は精神の象徴である」
と書いた自分の文章を思い出しました。
大地という肉体に根差した精神の象徴である木は、しっかりと大地に根を張り、アンテナのようにそそり立ち、高く上の方へと伸びながら、自分の周りにあるものを感じ取る存在。自分と肉体を繋げる存在。
私は目の前の木と自分の間に、
何かが交流しているのを感じながら
自分が書いたことを思い出し
「本当にそうかもしれない」
と思いました。
そして歩きながら自分が書いた
「すべての存在は自然の一部であり
自然に生かされている」
と言うことも「全くその通り!」と
そのことを頭で理解するのではなく
自分の存在まるごと、全身で感じていました。
歩き回って夕方近くになると、
玉体杉と言うとても大きな杉の木まで来ました。
琵琶湖と京都の山々を見渡せるポイントで、
私は少しそこに立ち止まって、
ちょうど山に沈もうとしている夕陽を、
ただただ眺めていました。
その時は論文で太陽について書いた文章を思い出していました。
「太陽は自分の身体を燃やすことで、
地球上の生命を生かしている。
自分を死に向かわせることによって
地球の生を支えているのだ。」
「本当にそうなんだ!」と感じて
沈む太陽を見ながら思わず口をついて
「ありがとう」と言う言葉が出て来ました。
考えるより前に口をついて言葉が出ることなんて
物心ついてからは初めてだったかもしれません。
そして「陽子」と言う名前でよかった!
と陽子でいることをよろこびました。
特別いい名前を付けてくれた両親に
「ありがとう!」と感謝しました。
新しい夢を見つけた
そして宿坊に向かって帰りながら、
どうやって生きてもいい、
好きなように生きればいい、
私は自由なんだ!
と風のような軽やかな気持ちで歩いていたら
「私、本当に陶芸家になりたい」
と言う思いが湧き上がって来ました。
「留学はやめよう」
「あのテレビで見た職業訓練校に行きたい」
「とりあえず働いてお金を貯めよう」
と次々と考えがまとまっていきました。
こんな風に私の陶芸家への道は始まったのです。
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ビジョンクエストには実は翌年も参加するので
この話はまだ続きます。
私の短い会社員生活のことも含めてまた書きますね。
今日もここまで読んで下さりありがとうございました!
それではまた明日!