【アニメ日記】続くよ何処までも

ダダン「ダンダダン」。繋げると、アラ懐かしい。
映画「ターミネーター」のテーマになる。

「I'll be back.」。ラストの有名なセリフだ。殆ど流行語にもなった。
また来るよ、終わらないよ、まだ続くよ、って意味になる。
そして実際、「ターミネーター」シリーズは期待されて続いた。

近年のアニメ作品は比較的、続かない。
一昔前の日本のTVアニメ作品は、週一放送30分番組×丸1年間 が最小単位だったように認識してる。最近は違う。1クールなどと称して、1年の4分の1で週一放送(配信)を終える規模を最小単位且つ基本単位として、大体のアニメ作品が展開されるように、いつの間にかなっている。
経済とリンクしているのだろう。
企業の決算期である、四半期毎に、このアニメは打ち切り、評判がいいから続行、カネを出すか出さないか、出す側にとって判断がし易い形になっている。

アニメを作る現場サイドからしたら、違うかも知れないが。
せっかく仕事を掴んでも、年に4回のペースで、次の仕事はあるのか、あるなら契約の条件は?組むパートナーは?と悩みが尽きない。
1年間は取り敢えず、安泰だった昔の方が、伸び伸びやれたんじゃないかな。

四半期(1クール)単位になった影響は、功罪両面あるだろうな。
アニメ製作は、それ自体が労働集約型だし、それから派生する裾野を含めて、結構デッカいプロジェクトだ。だから、「次の作品はどれで行こうか」と白羽の矢を立てる判断は、結構、大ごとだ。
1年プロジェクトじゃなかなか決まらない、説得が難しい、資金が集め切れない様な事も、4分の1にすると意外とすんなりだったりするかも。ありがちなこと。「ダメだったら、次の決算期で切り捨てよう」「それで次に行けばいい」、って判断が働くからだ。
それによって、元々1年間続けられないような、小さな作品にもスポットが当たる機会が増える。

そういう、スポットの当たった対象コンテンツが、バリエーション豊かになっていく、という面はあるな。
1年単位だと、流行も1年単位かつ、そのコンテンツへの注目と集中が大きい。
近年は、日本中が1年間も同じ流行に付き合うほど、客層の集中力が続かない。

アニメ作品の内容の質も、そういう方向に適応・順応しつつある。
短期で視聴者の注意をガッチリ、掴むのだ。特に1話目が重要。
「チェンソーマン」「葬送のフリーレン」「推しの子」「ダンダダン」辺りを観てると、そう思える。製作の監督やプロデューサーも、デキるヤツは多分、そんな風に考えてるハズだ。

しかし良いのかな。色々、思わぬ所に影響が及ぶだろう。
「1年間を賭けられる作品」を慎重に選択する議論は、篩い(ふるい: スクリーニング)として機能し、質の高い作品を視聴者に届ける、それを担保する側面が多少ともあったはずだ。議論は主に商業的な動機で進められるだろうが、それが作品の質を担保するのに役立つし、同じ議論に芸術とか文化とか、別の動機だって入り込めない訳じゃないし。
四半期でもやれんことはないだろうが、覚悟と重みが、如何しても違う。

取り敢えずやってみて、四半期だけで続編はなかったけど、小さくても当たったから、まあ良かったでしょ!みたいな。

話は変わるけど企業も、経営の連続性、継続性、って大事だったんだけど。
これからそうでもなくなるかもね。
商売、商い、と呼ばれる業種には昔から、古い物も目新しい新種も玉石混合で、その中には商いと呼んで良いのか躊躇う程の禍々しいモノだってある。その商売が真っ当なものかどうか、簡単には見分けられないけど、長く続いてるとなれば、部外者から真っ当かもなと判断する指標の1つには、なり得た訳だけど。
石の方が増えてくのかも。

コンテンツへの企業の乗っかり方も、変わってきてるかもなー。
「○○製作委員会」てのがアニメ制作に付き物となって久しいけど。
この委員会は名前ほど優しいモンではないらしく、そのアニメ作品に絡む利権を調整する委員会だときく。その作品とタイアップでの商品開発とか、OP/EDの楽曲提供とか。
勿論、その作品に資金を提供する役割もある。見返りに、出資企業が持つ権利を約束してもらうのだ。

昔は、TV放送されてる1年間で、関連商品(玩具とか)を頑張って売る、って形だったけど。
今後は、1クールで花火を打ち上げて、余韻の残る期間も含めて関連商品が売れたら売る、みたいな。2期目がなくても、1期目でキャッチした顧客層を相手に小さく稼ぐ。ネット時代はそういう選択肢もアリだ。
勿論、人気なら2クール目以降もカネ出すけど、って。

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