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ハッピー貯金〜よかったことを「探す」んじゃなくて「見つけた!」、そんな程度の人生でちょうどいい。

誰が最初に始めたことなのかはもうちょっとわからないんだけど。
Twitterで見かけた #ハッピー貯金 なるハッシュタグ。

見かけたかぎりではこの言葉を使ったのはこの方が最初。それでもこの人もTwitterで見かけて真似した、って書いてるからもっと前からみたい。

https://twitter.com/choss_bun/status/948234679747936256?s=19

ほかにこの方から派生して紙風船の中に小銭を入れたという方も。

https://twitter.com/mochiomochi_22/status/1080281858019979264?s=19

昔からね、いいこと探しってのはあるわけで。誰が始めたとかではないのかも。でも、こんな風に貯金していくってのはなかなか気の利いたアイデアだ。
そこには精神的にも物理的にも「嬉しいこと」しかないもんね。

てことで、正月明けから私も始めてみた。
大晦日に開けようと思います。
たくさんいいことあって、大晦日の酒代くらいにはなるといいな。

メモに一言、ほんとになんでもいいから嬉しかったこと、楽しかったこと、よかったことを書いて、気持ちに合わせた小銭を包んでケースに。
瓶だと重いのでプラスチックだけど。

途中で使い込まないよう、うなもに見張ってもらいます(笑)

必ずしも毎日でなくていい。毎日いいことばかりのはずはないもん、人生。

昔さ、アニメの「愛少女ポリアンナ物語」だっけ? あの子、よかった探し、よかった探しって毎日テレビの中で言っててさ。あれがとてもうざったかった。

ポリアンナは辛いことの多い幼少期だった。父を早くに亡くし、引き取られた先の叔母に虐められ。
それでも挫けず明るく生きるポリアンナにみなが感化されていく…と言う話だったのだが、なんでもかんでも「あーよかった」と笑うポリアンナに「そんなわけないやろ」ってずっと思ってた。嫌いだった。

「アニメの中のポリアンナ」は何だか無駄に明るくよかったよかったって連呼してたけど、ほんとはそうじゃなかったんじゃないか、探さないとやってられなかったのかも…と、大人になった今ならそんな風にポリアンナの気持ちを考えることもできる。画面の中ではそうは見えなかったけど、画面の裏側では。

そもそもは聖書の中に800のいい言葉が隠れてるよ、探してごらん、という、早くに亡くなったお父さんが教えてくれたこと。
つまり、生き延びるためのあれは避難措置だ。
辛いことを乗り越えるためのサバイバル術をお父さんは伝授したのだ。

なんでもかんでもいいことにする必要はないんだよ、ほんとは。あかんことはあかん、でも、どこかにいいことも隠れてる。それくらいでいい。
なんでもよかったとポジティブに受け止めることに拘ると、こんどはそっちに心が捕らわれてしまう。そう受け止められない自分の否定になってしまう。あるいは、ネガティブに捉える人の否定と断罪。

そうなっちゃ、無意味だ。
その心の状態は全然よろしくない。

悪いことに悲しいことに囚われずに心を解き放つ。
「よかった探し」はそういうサバイバル術でなくちゃおかしい。
なんでも前向きに受け止めろ、ではなく、悲しいことにばかり囚われるのではなく心を平衡に保つために聖書の言葉と向き合いなさい、お父さんはそう言いたかったのではなかろうか。

だから、躍起になってやることではないんだと思う。
探して回るようなことではない。
なんでも無理にポジティブに受け止める必要もない。
辛いときは辛いでいいのだ。

よかったことを「探す」んじゃなくて「見つけた!」、そんな程度の人生でちょうどいい。

この「ハッピー貯金」は「よかった探し」にはしたくない。
せめて、みっけちゃんのように「いいことみっけ!」でありたいと思う。

日々の中で「あっ、これ素敵!」とか「嬉しい!」とかいう気持ちに気づけること。

「みっけ!」と見つけられること。
探すんじゃなくて、気付けること。
自然と心をそういう状態に保てること。

一年経って開けてみて1000円にも満たなかったら、そんな年だったんだな、来年はもっと貯まるといいな、と思う。それだけでいい。

目標なんて立てずにあるがままに。
そんなハッピー貯金ができる2020年であるように願いつつ、「マシュマロ」に続き、今年二つ目の始めてみたことの話。

いただいたサポートは私の血肉になっていずれ言葉になって還っていくと思います(いや特に「活動費」とかないから)。でも、そのサポート分をあなたの血肉にしてもらった方がきっといいと思うのでどうぞお気遣いなく。