「中村屋らしい襲名」~六代目勘九郎襲名に思うこと。(再録)
※Facebookのノート機能に書いていたものからのサルベージシリーズ。
2012年2月の六代目勘九郎襲名の直前に書いたものです。当時、勘太郎さんが選んだ狂言立てについて特に「中村屋らしくない」という声が結構あって、まあ、要は「夏祭」だったり「鰯売」だったり「魚宗」だったり「高坏」だったり…もう少し派手で華やかなものをやれば?ってことだったんだろうと思うんですが、そのことについて、そんなことないよなあ、と思っていた当時の気持ちを書いています。
10年近く経った今、むしろそのころよりお父様の当たり役を手掛けていこうとする傾向が見えるのは、勘九郎さんなりにお父様の仕事に立ち向かう自信がついてきたということなのかもしれません。でも、地味なとこ行く勘九郎さんでもあってほしいかな。「吃又」の又平とかね、勘九郎さん、いいですよね。2012.2.18付記。
「中村屋らしい襲名」~勘九郎襲名に思うこと。
勘九郎襲名披露が近づいてきてますね。土蜘蛛。鏡獅子。一条大蔵卿。御所五郎蔵。お祖父様、お父様から引き継いだものと、そうでないものとをミックスさせた狂言立ては、そのまま「六代目勘九郎」としてのスタンスの表明なのだろうと思います。
それは勘三郎襲名でも同じで、大根底に六代目の存在があって、そのうえで、お父様から引き継いだ鏡獅子、新三、藤娘、沼津、身替座禅、鰯売、大蔵卿、籠釣瓶、文七元結。芝翫さんから引き継いだ道成寺。六代目の系譜としての四の切、弁天小僧、すし屋。中村屋の血脈芸脈の連獅子。新しい挑戦としての研辰、盛綱…と、けして一つに収まらなかった。この収まらなさこそ中村屋魂で、その意味で、勘太郎さんはまさに中村屋ならでは、の道を歩んでるのだと思います。
選ぶ演目がここ二代の中村屋らしからぬ、というだけで。
九月に新歌舞伎座に行ったときに、勘三郎さんに「怪談乳房榎」について、勘太郎さんにはハードルが高かったのではないか、勘三郎さんや七之助さんの持つ独特のチャーム、華と言ってもよいけれど、そういうものが、勘太郎さんは外に出てきにくい、その中でやるにはあの四役は大変だったと思う、と手紙に書いてお伝えした。
勘太郎さんのチャームは、ぱあっと外に出るのではなく、内に秘めたものが時に噴出する、その瞬間の煌めきにあるのだと私は思っておるのです。地味に静かに見えるその底に恐ろしいくらいの情熱が隠されている、そういう役者だと。
それに対して勘三郎さんは「若いうちはね」と笑って答えてくれた。
「俺だってあいつぐらいのころは、華がない、華がないって言われてたんだよ。ほんとに。だから、あいつもね、これからだよ」「…でも、もしかしたら、地味な、渋い役者になるかもね」と。そしてそれをとても、面白そうに、言ったのだ。
この数年、勘太郎さんも七之助さんも、父とも祖父とも違う役を演じることが多い。そのことを「俺もやってないのに」と悔しがりつつ喜んだり「中村屋からお富をやる役者が出ましたよ」と嬉しがったりする。勘三郎さんは、自分のやらない役をやる勘太郎さんのことは、びっくりするくらい手放しで誉める。あいつはすごいよ、という。自分が教わったことはきっちり、厳しく伝えるけれど、それ以外のことは優しい。
そういうスピリットこそが、中村屋なのだと思うのです。教わったことはかっちりと、新しいことにも貪欲に。
やはり、勘九郎襲名は「中村屋ならではの道」なんだと、思います。世間はどう言おうとも、これ以上中村屋らしい襲名はないよ、と、勘太郎さんにはそう伝えたい気分です。