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強迫性障害だったときにつらかったこと

 強迫性障害を持つかたのご家族や周囲のかたに役立つかな?と思い書いてみました。
 あくまで私の場合(不潔恐怖・儀式行為が顕著)のつらかったことですが、ご参考になれば幸いです。


・儀式行為のルーティン

 「シャンプーは2回する」「右手を掻いたら左手も同じところを掻く」「ベッドに入る前に足の裏を拭く」など、多くの儀式行為がありました。
それを済まさないとなにか悪いことが起きたり、なにか(自分や今までの生活かもしれない)を裏切るような気持ちがしてやめられませんでした。

 それぞれ1度やめてみると諦めがついて自然と治っていったのですが、それまでは疲れるし時間を食われるので苦しかったです。


・性格が悪く見える

 たとえば、「母親の所持していた物が、外気にさらされた影響で汚い」と認識してしまえば、「自分が触った物を汚いと感じられている」と彼女に思わせてしまうことがありました。
 また、素手で鼻垢を取っているかたがいて、「その人の手が汚い」と認識してしまえば、その人を避けてしまうこともありました。

 自分でもそうしたいわけではないのですが、どうしても「汚さ」への恐怖で避けたくなってしまいました。私の場合は、日常的にストレスや不安を抱えており、潔癖を保つことで安心感を得ていたので、強迫観念になかば依存しているようでした。
 だから、当時は障害であるという認知がなく、「他人を傷つける悪癖だし、周囲のかたに性格が悪いと思われてしまう」と思っていたので、直したいのに直せないという葛藤がありました。

 もちろん、だからといって強迫行為の巻き込みの言いなりになったり我慢したりするのは、周囲のかたにとっても、当事者のかたにとってもよくありません。
 そういう場合、私としては、怒ったり悲しんだりという感情を表に出さずに強迫行為への加担を断るといいのかな?と思います。

・勉強ができない

 私は 学校の物>家の外の物>家の中ではあるが自室の外の物>自室の中の物 の順で汚いと思い、帰ってきたら学校の課題を玄関で済ませ、息を止めてそのまま風呂場へ行き、上がったら自室へこもるという生活をしていました。

 玄関に学校の物を置き、玄関で学校の準備を済ませるため、机も椅子もないなかで長居はしづらいし、かといって外に他に勉強できる場所はなかったため、勉強するスペースがありませんでした。
 いちおう、机に使い捨てのビニールを広げ、そこで勉強をし終わったら自分の学校の物に触れた部分を洗うということもしていましたが、玄関よりはよくても環境は悪いままだし、毎日するにしてはコストがかかるので定期考査前の対策期間のみ行っていました。

 当時そのことを主治医に相談したところ「勉強したくないからそう言っている。甘えだ。」といった内容のことを言われ、真に受けていたのですが、今考えると学校の物(=汚い)にずっと触れ続けるのは苦痛だし、うつ病も併発していたため、そもそも勉強するキャパシティがなかったのだと思います。
 もしこの文章を読んでくださっているかたがいて、学業や仕事などにおいて似たような状況になっているかたがいらっしゃったら、無理せず休んでキャパシティを確保すると心と効率にいいと私は思います。

・さいごに

 さいごに、上記を克服した身としては、
・自分にあった病院に通う
・環境を変える
・認知行動療法ができそうだと思ったらすぐに取り組む
・あまり気負いすぎない
・周囲に強迫行為の協力を押しつけない
・恥ずかしくても周囲に説明する
・周囲のかたでなくとも、医者やカウンセラーなど誰でもいいので理解者を得て、悩みがあれば話す

 ということが大切だと思っています。
 他にもつらかったことや大切だと思うことなど、思い出したら追記します。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。
 返信はかなり遅くなると思いますが、相談などあれば、(あくまで専門知識もなく医療従事者でもない若輩者であるため、鵜呑みにはしないでいただきたいのですが)気がついたときにお返事をさせていただきますので、気軽に書き込んでいただけると幸いです。

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