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ニート断想集

人は「ただある」だけで尊い。
一切の経済活動は価値の数値化であり、労働という行為そのものによって人間の価値は決定されない。
ニートも尊い。働く者も尊い。
しかし額に汗をかかず、作られた「価値」を不当に搾取する地主と資本家からまず己の不義に気づくべきである。

人は産まれた瞬間、この現実世界に居場所を必要とする。
われわれが肉体を持った物理的な存在者である限り、人ひとり生きていくための空間が必要なことくらい猿でも分かる。
問題なのは、人ひとり分の居場所を既に持ちながら、さらに貪りの心を起こしてたくさんの土地を持ち、本来みんなのものである空間に値段をつけ持たざる者から搾取し、その搾取構造ごと相続していくような者たちがいることである。なぜかみな羨ましがるが、地主や資本家たちこそ本当の意味での人間の最底辺だろう。

そもそも「土地」を「所有」するって何?
誰のものでもない、あるいはみんなの公共財産であるはずの空間を、「ここ俺の土地な!」って最初に言い出した奴は、どう考えても正常な精神状態ではない。
資本主義は病人の妄言ベースで駆動している。

そもそも「所有」って何?

大資本による大量消費社会の正統後継者としてのニートとサブカルチャーは相性がいい。
経済的な生産活動をまったく行わない完全な消費者として、つまり社会の最底辺などではなく、頂点捕食者(apex predator)としてニートを捉え直す。
オオワシやヒグマ、トラやライオンは耕さない。働かず穫(みのり)を享受する者。真の男。雄々しき最終消費者。
資本主義は一部の大金持ちを生むためではなく、ニートをその嫡子とするために発生した運動ではないか? 資本家とはニートを食わすための給仕係(ウェイター)に過ぎないのでは?

俺は台風や地震などの自然災害でワクワクするタイプの社会不適合者だ。
自分たちに居場所を寄越さない「社会」が壊れ、そして異常事態において通常人には不可能な方法でサバイブする自分を空想する。
紙幣が尻を拭く紙にもならぬカタストロフィ。狩猟採集的なプリミティブな生き方。縄文人と弥生人。俺たちはこの日のために準備してきたんだ。
俺のようなプレッパー的な終末思想系ニートは案外多いと思う。

政治的に左翼とか右翼とか、アナキストだとかナショナリストだとかのカテゴリーの話は、20代前半くらいでまったく興味がなくなってしまった。
今はただ善いことをできているかどうか、善い人間かどうか、慈悲と智慧を愚直に実践できているかどうかにしか興味がない。

これもあと10年くらいしたら、また違った関心事にドライブされているのだろうか。

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