人間は死ぬときに愛したことを思い出すのか、愛されたことを思い出すのか、というその問いに対する、今現在におけるボクなりの答えはこうだったという考察。
以前の記事でこんなことを書いたんですが、
↑以前書いた記事なんですが、
辻仁成著 「サヨナライツカ」が好きで、何回も読み返すということを書いた。
この小説は前段に、1つの詩が書かれていて、
その中に「人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと愛したことを思い出すヒトにわかれる」
という一説がある。
以前に記事を書いた時に、皆さんに問いかけておきながら、自らはそのことに対して答えていなかったなぁ~と思い出したので、今回は今現在、ボクなりの答えを書きます。
今現在というのはこれから先には変わるかもしれないこと、自らがその立場ではないということ、そうではあるけれどもそのことを深く考えるきっかけがあったことで、今回の答えに至ったので、何かしらの状態で形としておきたかったということです。
死が二人を分かつまでというわけではないけれど、
いつか来ると分かっていたサヨナライツカは突然訪れる。
当たり前に来ると思っていた明日が来ないこともある。
そして、その時にあの問いがやってきた。
「愛したことを思い出す?愛されたことを思い出す?」
その答えは、
至極シンプルなものだった。
「愛したことも愛されたことも
どちらも思い出す」
これは必然だと思う。
どちらかだけ片方だけを強く思い出すことはなかった。
愛したことを思い出せば愛されたことを思い出すし、
愛されたことを思い出せば愛したことを思い出す。
潮の満ち引きや月の満ち欠けがあるのと同じように、
対を成して切り離して考えることは出来ませんでした。
ということで、今現在の答えはこうなった。
これからも幾度となくこの問いについては考えることがあるかもしれない。
そんな日がやってきたら、また答えに対して書いてみようと思います。
最後に以前と同じように、皆さんにも質問です。
皆さんは愛したことを思い出しますか?
愛されたことを思い出しますか?
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
それではまた。