小川の新年のご挨拶と藤岡さんの話
どーもー。皆さん明けましておめでとうございます。ベースの小川です。
まだまだコロナ禍ですが、出来るだけ2021年も前向きに生きていきたいなと思っております。
少しでも楽しんでもらえるように頑張りますよー!
さてさて、本日1月5日はですね。ギタリスト藤岡幹大さんの命日ですね。
藤岡さんとの出会いは音楽学校MI JAPAN東京校に僕が入学した時になりますね。
当時藤岡さんは24歳くらいの若手講師って感じでした。
見た目は生徒より幼く、講師には見えない感じで、同級生かな?と思ってたら教室を覗くと超絶なギターを弾いてたので「講師だったんだ」とびっくりしたのを覚えてます。
在学中に喫煙所でよく一緒になってマニアックな話(フランクザッパがどーとか、ホールズワースがどーとか)をしてるうちに仲良くなってセッションもするようになり、いつの間にかTRICK BOXというバンドを一緒にやるようになります。
バンドに誘われた時は凄く嬉しくて仕方なかったのを今でも覚えてますねー。
ベースの講師もいた中での大抜擢ですからね。
まあ、僕もかなり生意気な奴だったので気を遣わなくてよかっただけだとは思いますが。
最初は教則DVDでちょっと有名になった藤岡さんがヤングギターのイベントで演奏するっていうだけのバンドだったのですが、いつの間にかにCDも作ることになって、キコルーレイロがレコーディングに参加してくれることになって一応メジャーでデビューするという在学中の僕には意味がわからない感じでした。
その後もなんとなくダラダラ活動を続けていきます。
イベントとかある度に集まって演奏するって感じで、ライブ後はいつも「これはもっと活動した方がいい」とメンバーみんな思ってるのに藤岡さんもドラマーの野口さんも僕も自分から何か動かすような人間じゃないので結局いつも通りになってしまってました。
今になって後悔しますねー。
アグレッシブさゼロバンドでした。
藤岡さんは音楽以外は本当に何も出来なくて、お酒が大好きで酒癖も悪くて僕が色々フォローしたのを思い出します。
この僕にフォローさせたんですからよっぽどですよ。僕もまあまあポンコツですからね。
あと、藤岡さんと飲み屋で2人で軽く口論になったこともありましたねー。
サポート業とかで忙しくて自分の音楽が出来ていない消化不良を起こした藤岡さんが「何かやりたい!」って僕に相談みたいなことしてきたんだと思うんですが、あまりにもキテレツなぶっ飛んだ音楽をやろうとしてたので、僕が「藤岡さん!それはあまりにもお客さんがポカーンとなりますよ」と言うと藤岡さんが「ええねん!」っていう意見の食い違いで軽く口論になりましたねー。
自分のアーティストとしての表現をしたくてしたくて溜まりまくってどんどんマニアック志向になっていった藤岡さんと
やるならお客さんには満足してもらいたい僕との意見の食い違いでしたね。
2人とも酔ってましたしね。今となっては笑い話です。
でも、その時に「こういう人がいるお陰で音楽の芸術性が上がるんだろうなー」と思いました。
色んな考えの人が混在しているからこそ発展してきたんだなーって勉強になりましたね。
だからもう少し寄り添ってあげればよかったかなーって後悔してます。
藤岡さんはいつまでもギターキッズで誰よりも音楽を吸収しようとしてて、ずっと少年のようなキラキラした目で音楽に取り組んでいたように思います。
ずっと彼は講師をしていましたけど音楽に対して誰よりもStudentな人でした。
そんな姿をそばで見ていて自然とこういう姿勢で居たいという思いになっていきました。
そんな藤岡さんの良いところも悪いところも吸収して僕のミュージシャンとしての基礎基本は出来てると言っても過言ではないでしょう。
藤岡さんが亡くなった年の3月に僕の母校のMI JAPAN東京校が渋谷から高田馬場に移転することになってました。
卒業式も終わり、数日経てそのMIの渋谷での最後のイベントが藤岡さんの追悼イベントになるとは誰も予想してなかったでしょう。
ライブもあり、トークもあり、映像を見るコーナーもあり、盛りだくさんのイベントでした。
藤岡さんのファンと藤岡さんにお世話になった卒業生がたくさん来ていて、みんな自分の思い出の学舎と藤岡さんにお別れの挨拶をしているようでした。
僕もイベントの後半、ホールの奥のドラムの部屋で1人で色んなこと思い出しました。
「この校舎に入りたくて北海道から東京に来たんだよなー。」とか「ここで藤岡さんと出会ったんだなー。」とか。
喫煙所で良くわからんマニアックな音楽の話してたなーとか、自販機の前でバンドに誘われたなーとか。地下のRoom Lで良くTRICK BOXリハーサルしたなーとか。
それが無くなってしまうのかーと思うととても寂しくなって涙が止まらなかったのを思い出します。
藤岡さんも藤岡さんとの思い出も両方無くなってしまうような気がして1人で大号泣でした。
その時に僕は
「この校舎で音楽が学びたくて北海道から上京して、ここで藤岡さんと出会い、藤岡さんが亡くなって、校舎も今日なくなる。
自分の音楽人生の第一章が終わったんだな。」
と何となく感じました。
そのイベントの日が自分の人生の節目なような気がしたんです。なんとなく。
そんな僕の音楽人生の第1章が終わった日は
僕の31歳の誕生日でした。
藤岡さんと出会って仲良くなって、講師と生徒だった関係性がバンド始めてどんどん対等になっていく。
そうすると昔言えた
「ありがとうございます」
の一言がなんだか照れ臭くて言えなくなるんですよね。
本気であればあるだけ照れ臭いものです。
藤岡さんもそんな事言われると照れる人だというのもわかってました。
そして言えないままお別れが来てしまいました。
それだけが後悔です。
藤岡さん。
本当にありがとうございました。
藤岡さんは今でも僕にとって世界一のギターヒーローです。