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地獄のほとりから楽園へ

上の記事から繋がっている。8月に行ってきた移動込み8日間の北海道の旅について、少しずつ思い出しながら書いています。



そういえば霧のことばかりで、気温のことをまったく書いていなかった。8月中旬、東京は酷暑も酷暑というタイミングで、道東の気温はだいたい21〜25度くらいを彷徨っていた。早朝では20度を切っているときもあったくらい。
外を歩いていて、2〜30年前の東京の夏みたいだ、と思った。小学生のころ、夏休みになると実家の近くの中学校が夜間プールを安価で解放していて、たまに父に連れていかれた。泳げもしないくせに、暗くなってから家の外を出歩けることや知らない学校の中に入れることがうれしかった。水の冷たさに体が慣れるまでには時間がかかって、プールに入ることすらなかなかできなかったあの夏。記憶って、空気と密接に結びついているのかもしれない。「涼しい夏」そのものに対して郷愁を感じるなんてことがあると思わなかった。北に行けば、あのころの夏の気配がある。


アトサヌプリ


摩周湖を4時の方向として、10時の方向に屈斜路湖があるとすると、この巨大な時計の針はちょうどアトサヌプリから伸びていることになる。アトサヌプリは摩周湖と同じ弟子屈町にある活火山である。別名、硫黄山。摩周湖展望台を後にし、釧網本線の線路を横切ってからしばらくすると、硫黄のにおいが窓のすきまからバスの中に入り込んできた。

mok mokベースというかわいらしい名のレストハウス前の駐車場でバスを降りると、山の噴気孔の近くまで、日陰のまったくない砂礫層が広がっている。行手にはさっきまでの霧とはあきらかに質感の異なる白煙が、ブルーグレーの空に向かって立ちのぼり、そのまま雲にまで届いていた。硫黄のにおいはかなり強い。本能的に、これは近づいたらまずい場所だ、とわかる。なのに大勢の観光客がみな揃ってその白いガスが噴き出るほうへと向かっていくから、それも含めて宗教画みたいな光景だ。ここが地獄だと言われたら、そうなんだろうなあ、と納得するだろう。そんなことを思いながら、わたしもその巡礼に加わる。

みな地獄へと引き寄せられる


ためしに「硫黄山」でGoogleで画像検索をかけると、冗談みたいな黄色の鉱石と、草木のない山肌からガスが白く噴き上がるさまがいくらでも見られる。あまりに嘘すぎる光景で、ちょっと笑ってしまうほどだ。とはいえ実際行ってみると思いのほか規模が小さくて拍子抜け、みたいな観光地も結構よくあるから、まあ今回も期待値はそれなりで……と思っていたら、とんだ裏切りだった。


自然界にこんな景色があっていいのか?


のんきに観光なんかしていていいのか? と疑問すら抱く。危険とされる場所はロープで仕切られているとはいえ、歩いている足元にも黄色い鉱石があったり、石の隙間からうっすらとガスが出ていたりする。いつこれが派手に噴出するとも限らない。ここら一帯、どこも危険でない保証なんてないだろうと思いながら歩いているうちにひたいから汗が噴き出して止まらなくなった。冒頭書いたように、気温なんてたいしたことはない。この山自体が熱いのだ。この足の下ではっきりと生命活動をしているなにか巨大なものの気配、その圧を、熱という形でめちゃくちゃに感じる。


屈斜路湖畔へ


アトサヌプリから屈斜路湖のほうへと移動しても、まだ地面は熱い。掘ると温泉が出るという、砂湯という場所に立ち寄った。湖畔にはテントがたくさん張られていて、巡業に来ている歌手の歌声が響くなか、水着姿で遊ぶ人たちで溢れていて楽園の様相を呈していた。あれはたぶん道内の人たちのレジャースポットになっているんだろう。たぶん東京の人間が江の島あたりに行くのと同じ感じで遊びにきているんじゃないだろうか。湖で遊ぶといったらスワンボートとかのイメージしか持っていなかったから、わりと驚いた。砂地なこともあって、ほとんど海水浴の雰囲気がある。湖にも波が立ち、砂浜に寄せては返していく。さきほどの地獄のようなアトサヌプリからそう離れてはいない場所にこんな楽園がひろがっている。人生の縮図のようだ。


かなり多くの人で賑わっている


バスはさらに北上して網走へ向かうことになっていたが、わたしは砂湯からやや離れた屈斜路湖畔で降車した。温泉が出るというならやっぱり入っていきたい。そう思って、湖畔のホテルを一部屋予約しておいたのだ。活火山の多い北海道を旅すると、意図せずとも温泉めぐりの旅になる。帯広では十勝川温泉という褐色の温泉を楽しめたし(モール泉というめずらしい温泉らしい)、もしチャンスがあったらアトサヌプリ近くの川湯温泉にも寄りたかった。もう何年も前に一度訪れたことがあるが、強酸性でかなり刺激的な温泉だった。残念ながら今回は時間や移動手段の都合がつかず川湯温泉については諦めたが、屈斜路湖畔はまた違った泉質の温泉が出る。ホテルにチェックインして早々に露天風呂に浸かった。ほんとうに、湖以外なにもない場所だ。そのなにもなさを求めて旅をしている。ホテルの庭の木々を抜けると、ひっそりとした秘密のように小さな桟橋がある。何時間か、その近くのベンチでぼんやりして過ごした。わざわざこんな遠くまでこなければ、わたしはそうやってぼんやりすることもできない。
繰り返し寄せる波の音は生きものの呼吸のようでもある。湖畔にいるとあの硫黄山のようなあからさまな恐ろしさは感じないけれど、やっぱり何か、とてつもなく大きな、睡りから起こしてはならないものが大地の下に横たわっているような感覚がしてくる。


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