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ありがとう、木村先生。

僕は、九州産業大学オープンイノベーションセンター in .で、インキュベーションマネージャーの仕事をして3年目になります。

毎週金曜が出勤日の僕は、10月14日(金)も変わらず九産大に出勤しました。
すると、アシスタントの吉村さんから「木村先生と2日前から連絡が取れてないんですけど、何か連絡取ってますか?」と。
その日は、まぁ嫌な予感はしつつも「忙しくて疲れちゃったのかな。ケータイ見ずに、どっかうろちょろしてるのかな」くらいに思ってました。

しかし、1日たった土曜日の夜に訃報を知ることになりました。
受け入れられるような、受け入れられないような。簡単に、「お疲れ様でした。ご冥福を…安らかに…」なんて言葉は言えないような。ある意味で、木村先生に対する怒りと寂しさを覚えました。とはいえ、どうにもならないことは分かっているので、ただただ木村先生が残してくださった物に一つ一つを思い返して気持ちの整理をしています。

木村先生は、勘違いされやすい男です笑
ストレートに発言し、態度にも出ますし、言ってることが次の日には変わってるような男です笑
でも、僕はそんな木村先生がなぜそういう振る舞いをするのか僕なりに気づいているので、書いてみようかなと思います。

木村先生との出会

僕が、西南学院大2年生の頃「ベンチャー企業論」という講義を受講しました。
西南では珍しい名前の講義だったので、1番に履修したのを覚えています。
西南は、他大学からも教授が結構来るので木村先生も九産大からその授業だけ来ていました。
なんか、クロムハーツっぽいブランドの指輪やブレスレットをつけて中々派手な先生だなと思ってました。
ベンチャー企業論は、金曜の一限だったので僕はよく寝坊していきました。
でも、講義の内容は好きだったので堂々と前例の真ん中らへんに遅刻しているにも関わらず座っていました。
すると、14回目くらいの1番最後の講義の時「福本くんだよね?Facebookみてるよ!君めっちゃ遅刻してきてたよねー」と声をかけられました。
「知ってるなら、早く言ってくれよ!」と思いながらも、存在を認識してくださってたことが嬉しかった思い出があります。

九産大でのお仕事

現在、僕は木村先生がセンター長を務める九州産業大学オープンイノベーションセンター in .でマネージャーをして3年目になります。
僕が、大学を中退した時に書いたnoteをFacebookで見てくださった木村先生から連絡がきました。「九産大で起業家を育成する施設作るから働いてくれませんか?」と。
独立したいという気持ちがあり、学生時代の活動を大学では評価されず、大学の講義受けるより社会に出た方がいいとおもってしまい、居場所がないと感じで大学を中退した僕としては、「自分と同じ気持ちをかかえる学生の力になれる、誇りのある仕事だ。」と思い引き受けさせていただきました。

それから、2年くらい後に知るのですが、「他大学を中退した、大学3年生と同い年の人に起業家育成の仕事を任せるなんて…」と反対の声もあったそうです。
それでも、僕を受け入れてくださった木村先生の情熱と行動には感謝しかありません。


精神状態の悪い僕を救ってくれた

僕にとって、今年は本当に踏んだり蹴ったりの年です。3月ごろから精神状態が悪くなりお仕事も4ヶ月くらいはできない状態が続きました。
そんな時、木下斉さんとの上天草の出張などに連れて行ってくださいました。自然に触れて、「いい意味でてきとうで結果出してる大人見ると『こんな感じで生きていいのか〜』って思うでしょ?」と僕を連れ出してくださいました。
その1ヶ月後に、僕は財布、ケータイを持たず失踪することになります。
数日後、謝罪の言葉を木村先生に告げると一目散に電話をくださいました。「大丈夫ですか?実は、僕も若い頃…」と木村先生の過去の話をしてくださいました。
自由で自分の主張をしっかりする木村先生からは想像つかない過去でした。
過去の恋人とのトラブルや仕事でのトラブルなどで、自ら命を断とうとしたことも数回あったそうです。
電話越しの情報しかありませんので、きちんと文章にするのは辞めておきますが、かなり辛い時代があったのだと知りました。
そこで、自分を保つために発言や行動を周りに合わせないようになったのだと思いました。
その話を聞いてから、僕には木村先生が人間味があって必死に自分を保ち生きている人に見えるようになりました。
そして、「 とら、これからはね、心が病んだ経験がある人は重要だから、九産大にもそんな生徒が沢山いるから、僕はそういう若者をサポートしたいんだよね。だから、元気になって来れる時だけでもいいから、勤務を続けてくれませんか?多少の収入も無いと生きていけないでしょ?」
と、仕事にいつ復帰できるかわからない僕を待ち続けてくださいました。
すぐに、学校の保健室も手配してくださいました。
本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。

木村先生が残したもの

勘違いされやすい木村先生も、自分の生徒は大切にします。たとえムチが多くても、ムチの中に生徒に対する諦めを一切感じませんでした。
木村先生の元で指導を受けて、社会で活躍している方々は沢山います。これからもそうでしょう。逝去した後も、木村先生の教え子たちが世の中を変えていく。素晴らしい功績です。
そして、オープンイノベーションセンターの存在。就職率を下げることも意味する起業家支援を行う施設を、九産大に作ったことは本当に素晴らしいと思います。
実在してますからね、ここでどれだけの人が自分の居場所を見つけてくれたでしょうか。どれだけの人が、アントレプレナーシップを身につけたでしょうか。
今後も沢山の若者たちが育っていくに違いありません。



僕は、この場を借りて文章にして気持ちを整理させて頂きました。
その文章が、木村先生の偉大な功績と優しく情熱的な人間性を多くの人に伝えるものになれば幸いです。

「早すぎますよ、まだやることあるでしょ。」と言いたいところですが、これが木村孝之の人生。
大拍手ですよ。まじで。誰になんと思われようと、結果を残してますよ。アウトプットして、多くの人と仕組みを残したのですから。
そして、人と仕組みは木村先生が居なくなっても大きくなります。
こんな素晴らしい功績はないですよ。

木村隆之という教育者に出逢えたこと、心の底から良かったと思います。

手段は変わっても、木村先生の志を引き継がせていただきます。

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