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御仏蘭西人形

昔話をしましょう。

その昔、故郷を離れ縁もゆかりもない関西の地で生活していたこまち氏。
当時を知る人は印象に残っているかもしれないが、ゲロ安アパートに住んでおりました。駅から徒歩6分、日本第2の都市と言っても過言ではない大阪の市街地まで電車で約20分という立地ながらなんと家賃は2.5万円。共益費と水道代を込んでも3万円を切るというトンデモ物件で、最上階角部屋というおまけつき。築30年弱(入居時)とどうしようもないほど朽ちた物件でもなく、その安さゆえに周囲から「事故物件」と言われる始末。もちろん契約時にそのことは確認したので通達義務がある物件ではないはず(全住居人以前に何かあったら…知らん)。

この物件は大学入学時アパート抑えレースに完全に出遅れた3月26日に不動産屋に駆け込み、紹介してもらったもので、その時期になっても入居者が決まらず売れ残っていたから大家さんが家賃値下げを決断したのだという。大家さんは下の階に住んでいたので、内見の際にご挨拶。歳老いた夫婦だったが、おばあちゃんのほうはパワフル全開で、第一印象”ザ・大阪のおばちゃん”という感じ。内見に来た段階なのに「じゃあよろしくな!」と言われてしまい調子のいい私は「よろしゅうたのまんす」といい彼女と握手を交わした。そのあと内見予定だった3件は全部キャンセルした。

住んでいてそこまで不便なことはなかった。強いてあげるならたまにおばあちゃんにつかまっては戦争のときの話をされることくらいか。冬の寒い時期に廊下で1時間も同じ話を聞かされる身にもなってほしい。てかなんで寒くないんだ!疎開した話はいいって…さっき聞いたよ…。疎開先が温かかった話も…。
話を切り上げるときは決まって「もう9時なんでねましょ!」だった。

入居して1年ほど経つと、バイトが忙しくなったせいかあまり彼女と顔を合わせることも少なくなった。ふと「なにしてるんやろ」と考えることはあったが気に留めるほどではなかった。

そんなある日、自室へと向かう建物内の階段にとんでもないものが出現した。

ギャーッッ!!!!
気味の悪いフランス人形が行く手からこちらを見ている。
初めて見たのはバイト終わりの22時30分ごろ。照明も消えて真っ暗。まじで叫んだ。

このステンドグラスも雰囲気盛り立てていてよくないのです。
この時期に我が家を訪れる人はみなこれに恐れおののいていたものだ。

しかしなぜこんなものが急に?
こんなもの置くのはあの人しかいない。見なくなった大家さんである。どこが具合が悪くなったのでは?と心配したがわざわざ顔を見に行って戦争の話をされるのも怖いので放っておいた。

だが残念なことに予感は的中した。その次に大家さんをみたのは人形が出現して2カ月後の昼間。朝から騒がしいと思ったらアパートの前に救急車が停まっていた。担架にのせて運ばれるのは遠くの空を見ている大家さんだった。

それから彼女の姿を見ることはなくなった。彼女はおろかたまに見たことのある旦那もいなくなった。彼女の家にはおそらく親族であろうひと世代下の夫婦が住み始めた。そしてフランス人形も姿を消した。


月日は流れその2年後、私は大学を卒業し大阪を離れることになった。世話になったアパートも名残り惜しいが解約に。
退去日、壁紙が汚いからと退去費用を一部請求すると業者に言われた。
後日請求書が届いた。私はあろうことかその存在をすっかり忘れたまま、期限を過ごしてしまった。だが、再度請求書が届くことはなかった…。
これは…私の妄想だが…、きっと彼女の想いがそうさせたのではないか。
「今までぎょうさん話してくれてほんまおおきに!」
期限切れの請求書から、今も彼女のそんな声が聞こえる気がする。

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