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悪の根源

最近まわるお寿司やさんであんなことやこんなことをするのが流行っているようだね。なんか、まああれだな、あんな人間がこの世に実在するとはにわかには信じがたいな。
彼らは一体何を感じ、あのような行動をとってしまったのだろうか。わたし独自の視点から読み解いていこう。

こまち氏は「性悪説」を主張する。人間は生まれながらにして悪さする生き物なのだ。だから過ちを犯してしまう人間については”善く生きてきていない”と断定している。社会生活を営む人間という生き物である以上、ある程度それに適応するための能力は発達していかねばならない。”善く生きる”とは社会に適応するために自分の悪を封じ込むということでもある。問題の彼らは”善く生きる”ことができず自分の悪を封じ込められなかった。自分の欲望が勝ってしまったのだ。

ではいったいどんな人間が彼らのようになってしまうのか。最もわかりやすい例がこまち氏の提唱する『BHC』である。『BHC』とはそれぞれ

B・・・Bourgeoisie
H・・・Hitorikko
C・・・City Boy / girl

の略だ。要は「金・育てられ方・環境の利便性」である。

深堀してみよう。「Bourgeoisie」はここではある程度裕福な人間・世帯のことをさすが(こまちはよく”ブルジョワ”いうてますわ)、生まれながらにして金銭的に恵まれている人間は我慢というものを知らない。自分の都合が一番最優先されると思い込んでおり、協調性が欠ける一面がある。でもしかたない。周囲の人間は彼にとってはもはや”もたざるもの”。彼の前では何を言われようと首を垂れることしかできないのだから。

「Hitorikko」はわかりやすい。両親は彼に誰よりも愛を注ぐだろう。その甘さが仇となり、彼は自分はなんでも与えられる、なにをしようと許されると思い込んでしまう。でもしかたない。もっとも人生の中で長い時間を過ごす身近な社会・家庭の中で彼を叱ることができるものはいないのだから。

「City Boy / girl」。都会は何でもそろう。ちょっと足を延ばせばすぐ欲しいものがある。環境がある。何でもできる。それが都会。そんな人間はやはり我慢を知らない。どんどんほしくなる。あれもほしい、これもほしい、もっとほしい、もっともっとほしい。でもしかたない。それが都会の魅力であり怖さなのだから。日が当たらない田舎に目を向けることなんてしなくていい。

そう、世の中の悪の根源は「BHC」に凝縮されている。
普段から「こまちはBHCを迫害している(特にH)」と言われ続けてきた。迫害というのは聞こえが悪いが世から悪を除くためにはこやつらを排斥するしかないではないか。この世の悪は、問題は、ぜんぶぜんぶこいつらが根源なのだから。















※あくまで個人の思想です。実際のところそういった色眼鏡で見ている節は8割ほどしかありません。ご容赦ください。

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