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映画『ザ・スーサイド・スクワッド』とドラマ『ピースメイカー』。

1:映画『ザ・スーサイド・スクワッド』

『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』が大傑作なのにどうやらヒットしていないらしい。(…)冒頭、いきなり可愛らしい鳥がボールを投げつけられて死ぬ。過去(2008年から2012年頃)に最低なツイートをしていたとして、2018年に一度ディズニーから解雇、マーベル・シネマティック・ユニバース(以下、MCU)の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』3作目の制作を降ろされてしまった監督のジェームズ・ガンという文脈で考えれば、この冒頭はTwitterというプラットフォームへの皮肉だろう。同時に、この冒頭は本作がいかに平和的ではないかを暗示しており、ポストクレジットにおいて、平和の象徴である鳩を胸に掲げているキャラクターのピースメイカー(ジョン・シナ)が不死鳥のごとく蘇ることとも対になっている。本作は鳥が死に、死んだはずの鳥が蘇って幕を下ろす。

(続きは以下のリンクから↓)

2:ドラマ『ピースメイカー』

全8話のドラマシリーズ『ピースメイカー』(2022年)は『ザ・スーサイド・スクワッド』(2021年)の正式な続編である。映画に引き続き、脚本と監督(※1)をジェームズ・ガンが務めた本作は、トロマ・エンターテイメントにルーツを持ち、ビッグバジェットのヒーロー映画シリーズを手掛ける彼のキャリアを象徴するような泥臭くてリッチな傑作になっている。ドラマのナラティブが進化した2020年代において、映画ほど予算と興収のリスクが少なく、ショーランナーやプロデューサーとして作品に関わることで自由なクリエイティブを保てるドラマシリーズは、彼のような作家には理想の形式だったとわかる。

(※1)監督を務めているエピソードは1話、2話、3話、6話、8話。脚本はすべてのエピソードを担当している。

第1話のバトルシーンを観てみよう。バーで出会った女性とのワンナイトスタンドを終えたパンツ一丁のピースメイカーは、まるで試合が終わったプロレスラーのようだ。おもむろに立ち上がり、部屋のレコードを漁りながら音楽嗜好を語りだすと、その言葉の端々から彼の生い立ちやアイデンティティの捻れが見えてくる。カメラはレコードの回転と重なるように動き出し、部屋が四角い空間であることを強調すると、そこが戦いのリングになることを予感させる。まるで入場パフォーマンスのように歌われる “I Don't Love You Anymore♪” グラムロック、ハードロック、ヘヴィメタルやスラッシュメタルといった音楽ジャンルとプロレスカルチャーの様式美が、彼の筋肉によって鮮やかに接続されていく。

すると、ホラーの定型をなぞるように扉から不穏に覗いていた女性が包丁を片手に襲いかかってくる。筋肉に包丁が刺さる。奥へと引きずられていき、壁を突き破って手前に飛び出してくるピースメイカーをワンカットで捉えたシーンは本試合のハイライトだろう。そこから派手なリングアウトを経て、場外バトルへ移行、必殺技「ソニックブーム」で勝負は決着する。父親の発明品であるマスクに搭載された必殺技での勝利は、パンツ一丁にマスクという姿が男根的なのも相まって、彼の問題の中心にいるのが父親だと端的にわかる。

今回のヴィランはピースメイカーの父親で白人至上主義団体のリーダー「ホワイトドラゴン」と、口から寄生する設定や造形などが『スリザー』(2006年)を彷彿とさせる宇宙生物「バタフライ」だ。ディープステートや宇宙人による侵略などの陰謀論を地で行く「バタフライ」と白人至上主義団体は、ジェームズ・ガン作品のヴィランに共通する「洗脳や同一化、有害な男性性」のモチーフを共有しており、いずれも全体主義的な問題を孕んだ集団として描かれている。

ジャンル映画で人体破壊をする口実や社会批判のために頻出する「宇宙人に乗っ取られている人間」というお馴染みの設定は、陰謀論が隆盛する現代において無邪気に使えない設定になってしまったが、本作はあえて直接的に描くことで対話を促そうとしている。ピースメイカーがバタフライと共同生活する件は、陰謀論を否定して一蹴するのではなく、彼らとも対話する必要性があることを端的に示している。

ピースメイカーの正義に対する固執は「ホワイトドラゴン」や「バタフライ」と対峙することで、メンタルヘルスの問題と結びついていることがわかり、それをケアしていくようにピースメイカーはチームメイトのアデバヨとBFF(Best Friend Forever)になっていく。アデバヨは前作『ザ・スーサイド・スクワッド』の真のヴィランと言ってもいい存在のタスクフォースXのボスであるアマンダ・ウォーラーの子供であり、ピースメイカーと同様に親の支配から抜け出せない人物で、劇中で唯一、アデバヨだけがピースメイカーのマスクを被る展開があるのも示唆的だ。黒人女性でレズビアンのアデバヨと、白人至上主義団体のボスに育てられたピースメイカーが、ともに親の問題を克服しながらBFFになっていく過程は、相互理解の希望そのものだ。

8話(最終回)における夜の農場での白兵戦シーン。光源の位置がしっかりわかるプロレス会場のようなライティングの中で、ピースメイカーがついに盾を持って登場し、大量に襲いかかってくるバタフライたちを次々となぎ倒していく様を、慌ただしい手持ちカメラの運動で捉えていく。ピースメイカーとチームメイトはボロボロになりながら事件を解決するのだが、なんとここでジャスティスリーグが登場する。ピースメイカーが深刻なメンタルヘルスの問題を抱えることになった現場にジャスティスリーグは現れなかった。世界の危機にしか興味がない連中には興味がないと言わんばかりに、逆光の中、仰々しく立っているスーパーヒーローたちを無視し、カメラはピースメイカーたちを追いかける。市井の人々の勝利に並走するカメラに、ジェームズ・ガンの作家性が表れている。

本作のラスト、地球が気候変動で滅びないように人類を管理しようとしたバタフライの計画は失敗に終わり、ピースメイカーの自宅から見つかった日記がニセモノだったと公表される展開は『ウォッチメン』のラストを反転させている。『ジャスティス・リーグ』と『ウォッチメン』は、どちらもザック・スナイダー監督で映画化されているが、役立たずのジャスティスリーグを登場させ、ロールシャッハの日記を否定するような展開を用意した『ピースメイカー』は「作品の作り直し」やソーシャルメディアでの過激な正義の行使が目立つ、DCファンダムに対しての痛烈なメッセージとなっている。第二のロールシャッハとして、アイコン化しそうなピースメイカーを制作陣たちは掬い上げたのだ。

ピースメイカーは自身のイデオロギーのためではなく、友人を助けたいという一心でバタフライたちの征服を阻止する。その判断は正しかったのか?その答えは無事に家に帰ることができたアデバヨとパートナーが、まるで地球はこの2人のために自転していると言わんばかりに回るカメラの中でキスをするシーンに委ねられている。

第1話、冒頭の病院シーンで自身のレントゲンを眺めながら、「筋肉の見栄えが悪い」と不満を口にしていたピースメイカーは最終回でまた病院にいる。全8話を通して、レントゲンには写らない中身を取り戻したピースメイカーは、ケガをした仲間に優しく寄り添う。クリストファー・スミス、どうやら私は彼のことを何も知らなかったらしい。そして、寄り添うことの難しさに思いを馳せるのである。

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