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2021年3月のこと(引越し、卒業、青春18切符で巡る東北旅)

3月の夢から、醒めやらずにいる。

年度が終わり新たな生活に向けて動き出す3月は、昔から決まって印象深い出来事の多い月だった。まして今年は学生の最後の月ということで、とても重要なイベントが立て続けに起こった。学生生活のクライマックスを迎える中で、「あぁ、こうやって学生生活の幕が閉じるんだ」という感覚がずっとあった。

起こった出来事や考えたこと、何一つ忘れたくないな、と思う。だから私は、この1ヶ月のことをここに丁寧に並べておくことにする。そうすることで、長かった学生生活にきちんと決別すると同時に、これから歩んでゆく道に対する覚悟を確固たるものにしたい。

3月の記憶と関連深い人達や写真、音楽や映画ことを散りばめています。
ピンと来たものがあれば、教えてくださるととっても嬉しい!

Ⅰ.引越し

4年間住んだ西東京方面を離れ、晴れて新宿区民になった。
住む場所が変わると、生活にも精神にも劇的な変化が生じる。古いものを捨てて新しいものを集める過程で、心まで整理整頓されていく感覚があった。辛かった記憶は、大量の埃とともに部屋のゴミ箱に捨ててきた。楽しかった記憶や今後への希望だけを持ち出して、今ここで新生活を送っている。

元々住んでいたところは、「都会から一番近いプチ田舎」を自称していることから察せられる通り、特に目ぼしいものはなかったけれど、田舎から出てきた私が住むのには丁度良い場所だった。自粛期間に入って都心への用事がなくなった時は、2駅ほど先にあるチェーンのカフェへ出向いて作業をしていたんだけど、あれくらいの移動距離・街の忙しなさ・人の多さなどには、絶妙な居心地の良さがあった。

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1回目の自粛が落ち着いてきた頃、恐るおそる訪れた田無駅で見た夕暮れ。
去年の秋、田無から自宅までの帰路を、1時間かけてよく歩いて帰った

旧居を離れるに際して、「#引越し前にGoTo最寄りランチ」を一人で開催した。自粛以外は家の周辺よりも出先に居る時間の方が圧倒的に長い生活を送っていたので、ちょっとした罪滅ぼしと思い出作り。

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小平のあじさい公園の隣にある、『カフェ・ラグラス』
一番行きたかった『eggg cafe』(自社ブランドの卵を使ったオムライスやパンケーキが有名なお店!)に行けなかったことが心残りなので、絶対にリベンジする

同じ東京ながら、一介の市と副都心と呼ばれる区域では当然ながら街の様相も全く異なっており、引越し当日は2回目の上京を果たした気分であった。新しい最寄りには1年前にオープンしたばかりの複合施設が建っており、駅を出た瞬間に「おぉ、東京だ」となった。東京に住んでもう5年目になるし、これまで散々街歩きもしてきたというのに、未だにそのように感じる瞬間があるのは田舎者の性だ。

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駅から出た直後に目の前に現れる、偉そうな複合ビル

旧居では生活環境を親が整えてくれていた部分が大きかったので、家賃や水道光熱費、通信環境を自分で管理しなければならないのも初めての経験で、これが想像の数倍大変だった。全てインターネットで操作できるよう、取りこぼさずマイページを開設してブックマークする作業をひたすら繰り返していたら、大袈裟ではなく日が暮れた。
また、区には指定のゴミ袋がないことを知らなかったので、スーパーで「新宿区のゴミ袋ってどこですか?」と聞いて首をかしげられた。また一つ、お茶目一人暮らしエピソードが増えた。

新宿という場所に目を向ければ、個人的には大正解の選択だった。

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母とランチをした時にサザンテラスから眺めた、タカシマヤ方面の景色

新宿は何といっても旧居と都心をつなぐ唯一のライフライン・西武新宿線の発着点だったし、我が大学の所在地でもあったので、東京の中で最も慣れ親しんできた土地と言える。だから越してきてから今日に至るまで、地理的に・心理的に障壁を感じることがなく、シームレスに生活を送ることができている。ただでさえ気が滅入りがちな引越しにおいて、その効用は想像以上のものだった。


新宿は豪雨 あなた何処へやら 今日が青く冷えてゆく東京
ー新宿の、永遠のテーマソング!

また、ここでは受験時代にお世話になった恩師(今は芸人をされている)と一駅違いの距離に住むことになるという、超絶愛おしい偶然も発生した。近所の喫茶店で1年半ぶりに再会を果たし、最近作ったネタを沢山見せてもらった。恩師は「自分という人間を、数ある視点のうちの一つ、くらいにしか思っていない。移動型カメラみたいなもん」と言っていたが、その言葉はここ数ヶ月で凝り固まっていた自意識を少しだけ砕いてくれた気がして、ありがたかった。


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2015年2月の京都大学。長らくSkype上でしかやりとりをしたことがことのなかった恩師と、最初に会った日

主要地までのアクセスも、駅からの近さも、部屋の間取りも、近所のスーパーの品揃えも全て新居の利便性には叶わないけれど、唯一以下の点だけは、新宿には存在しない。これはかなり死活問題で、越してきてからはずっと気を張っていなければいければならず、落ち着ける瞬間が少なくなったな、と感じている。

大好きな友人達が引越し祝いをしてくれたり、早速家を訪ねてきてくれたのも嬉しかった。
中でも、「新歓の時に入るつもりもなかったサークルの先輩に語学の辞書を乞食してブチギレられる」「一緒に香港旅行に行ったとき実はインフルエンザだったと、1年後に打ち明けられる」といった数々の笑い話を打ち立ててきた語学の友人と、ハイテンションでUberを頼んだのは楽しかった。深夜に食べ過ぎた反省から翌朝に筋トレをしたのに、またUberを呼んで全て無に帰した。これからも、笑える話を作っていこうね!

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アプリの不具合と格闘しながらやっとの思いで注文した、原宿にあるらしいマンハッタンロールアイスクリーム。居住空間への出費を渋るあまりこの時はまだ家に電子レンジがなかったので、カッチカチの冷凍スイートポテトを半分にして食べた

これを読んでくれているあなたも、部屋が綺麗なうちに、是非お越しください!


Ⅱ.卒業

中学・高校と愛着よりは恨み節を抱えて卒業してきた私にとって、『3月9日』あたりの曲を自ら聴いてエモくなってしまうくらい、清々しく名残惜しい気持ちで迎えられた卒業式は初めてだった。

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大学生活、熱を注ぎたいと思う事も関わってくれる人もめくりめく変化していく中で、例えば2年生の頃と3年生の頃の自分は全く別の人間だったのではないかと思ってしまうくらい、あらゆるベクトルの目標や価値観、対人関係に次々と身を委ねることができた期間だった。
私もみんなも、その中からずっと持ち続けたいと思えるものを選択してきたと思うのだけど、そうやって選んできたものは今後とも守り抜きたいし、なんなら選ばなかったものだって、辿ってきた道の遥か後方から背中を押し続けてくれているような気がする。だから私にとって大学生活は、「お守り」という言葉で表現するのが一番正しいと思う。

若木たち咲くのは春の花 きらり飛びかわして夏の夢
背中に落ちゆくは秋の空 手のひらに包んだ冬の種
ー大学1年生の春から聞き続けてきた曲。
四季のことをこんなにも美しく並べた言葉を、他に知らない

物心ついた時から、遠いものに強く焦がれてきた。ステージの上でアイドルが放つきらめきも、論理的で頭の切れる優秀な議論相手も、iPhoneを頼りに恐るおそる歩く異国の地も、こんなにどうしようもない自分から圧倒的に遠い存在だから惹かれるし、近づきたいと切に願える。

早々と地元が窮屈になり、テレビかインターネット越しにしか今とは異なる別の世界は無いと感じていたあの頃の私からすれば、大学生活のおかげで随分と遠いところまで来ることができたのではないか、と傲慢にも感じている。




ご機嫌な夢を見ていたような、またとない日々だった。だからこそ、遠さに甘んじてただ回顧するだけの対象に成り下げてはいけない、とも思う。より重要なのは、それらの日々から学び得た知見が、この身で体感した喜怒哀楽が、今とこれからの私を作る土台となることだ。そんな宝物を抱えながら、これからもより遠いところを志向し続けていきたい。

どっさりのキラキラを持ち寄り ドラマのようにうまくいかせよう
ーApple Musicの再生回数、堂々の第1位の曲。
グリッターが弾けるようなメロディに載せて、大学生活の記憶もぐるぐる巡る

はたまた、そんなドラマチックな(と、自惚れにも言いたくなってしまう)日々の先に待っていた最後の1年は、例に漏れず私にとっても予想外のものだった。とはいえ去年の12月頃まではインターンや卒論の執筆に勤しむ必要があったので、余計なことを考える暇もあまりなかったのだけど、そういった意味での慌ただしさが消えた1月から3月上旬ごろは、実はかなり気分が沈んでいた。

いや、実際はその間も明確な目標とやるべきことはあったので、四六時中そのことばかりを考え続けていたし、周りからは「ストイックだね」と言われるくらいの熱量を注いでいた。ただし、それがいわば自分のコンプレックスに向き合う類のものだったので、非常に心労していたことが情緒にも大きく影響した。

青いという劣等感 捨てて
痛いほど本能で踊って
ー「あれはどうしようもなく若く青い徒労だったけど、それでも全力だった」と、いつか振り返りたい

もうあまり思い出したくない日々である。新しい情報や人との接触がほとんどなかったので、ひたすら過去について振り返っていた。その時の私には、大学生活で得られたものよりも、得られなかったものや犠牲にしたものばかりが頭をよぎっていた。これまで疑いようがないと思っていた選択の数々を、初めて疑った。「ちょっと、隣の芝生が青く見えすぎてない?」と友人に心配されてしまうほど、他人の持ち物が羨ましくなったし、それと自分とを比較しては劣等感に苛まれた。この間にも、0からプラスへの進化を遂げている人は沢山いるのに、なぜ自分はマイナスから0への精算にこんなにも時間を費やさねばならないのかと、運命を呪った。いつもなら友人と美味しいものを食べれば大体の悩みは吹き飛んでいたのに、この時の心の陰りは何人と会って話をしても中々拭えない、根深いものだった。

上述のようなメンタリティの中で見に行った映画。
階層、地方・都会問題、教育格差、生きづらさetc.について一通り考えざるを得なかった私にとって、この映画のささやかながらも前向きな結末は気分を軽くした

そんな深い海の底でもがき続けるような日々にも、(それこそ、引越しや卒業といったイベントを迎える中で)強制的に光は差し込んできた。落ちるところまで落ち切ったことで、あとは起き上がるしかなくなった。酸いも甘いも嚙み分けて生きていく上で、あれは経験しなければならない過程だった、とも今は思える。

重要な心境の変化があった。私はこれまで社会的に良しとされるものを得るべく抽象的な競争にそれなりに挑んできた。けれど、ありとあらゆる社会的指標において「あ、完全に自分の上位互換だな」と思ってしまう存在はいて、いい加減にそのことを、ちゃんと認めよう、と思った。私は負けず嫌いなので、「でも〇〇では負けてない」なんて思ってこれまではやり過ごしてきたけれど、一々そういうことを考えるのも疲れるからもういいや、と遂に思った。皮肉だけれど、こういった経過によって相対主義に対してある程度の諦めがついた。

それと同時に、私は特に大学生活で「ちょっと無理したらできるかも、くらいのところに目標を定めて、決めたところまでやり抜く」ことはやって来れたのではないか、とも思えた。それはとてもシンプルだけれど、今後をやり過ごしていくのに十分な肯定感なのではないか、と。

心がずいぶん軽くなる お腹が減ってきたわ
帰りにうどん食べてくわ 明日が待ってるもん!
ー来たるOL時代のテーマソングによう、と決めている曲

Ⅲ.青春18切符で巡る東北旅

卒業式から帰ってきたその足でバスタ新宿に向い、青森発の夜行バスに乗り込んだ。「インターン先で1年以上苦楽を共にし、くだらないことも重要な話も全て打ち明けてきた親友と」「夜行バスと青春18切符を用いて」「出身地である東北に行く」という、どの要素を切り取っても学生最後に相応しい旅だった。

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最終日、最後の目的地の宇都宮駅前で撮った写真。
仕事終わりの時間なのに、かなり閑散としていた。いつもの宇都宮が知りたい

5日間で東北6県(+宇都宮)を辿る、怒涛の旅程だった。
訪れた駅は23駅、GoogleMapで📍した場所は50カ所。

「徒歩何分までなら許容できるか」「どこにお金を使い、どこで削るか」といった時間感覚・金銭感覚の一致は快適な旅を送る上でとても重要だが、「ラーメンを食べた1秒後に席を立ち、キャリーを引きずりながらヒールなのに早歩きで駅に向かう」「バス代に180円かけるなら代わりに20分歩く」「1日だけ温泉旅館で奮発する以外は、1泊3000円程度のビジネスホテルかゲストハウスで抑える」といった部分での感覚の相違がなかったのは、まさしく激務(たかが知れているけど)を乗り越えてきた親友となければ実現できない旅だった。
最高に楽しかったよ、本当にビッグラブ!

福島の 桃が 大好きです 山形 さくらんぼ 大好きです
宮城の 牛タン 大好きです あきたこまち 大好きです
青森りんごは テッパンです 岩手のお魚 大好きです
どうか あきらめず 希望をその胸に
ー1県につき1つずつお土産を買ったんだけど、ちゃんとこの歌で出てきている名産品を選びました

1つずつ、思い出を載せていく。

・青森県

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リゾートしらかみで一時下車した、千畳敷の海岸から臨む日本海。
親友、日本海をあまり見たことがなかったらしい。日本海って荒々しいイメージだよね、と話した。車内のBGMは『津軽海峡・冬景色』

・秋田県

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秋田駅近くの居酒屋での酒池肉林。
秋田富士、きりたんぽ、秋田こまちなど、秋田の美味しいものをひとしきり制覇した。上機嫌になったところでなまはげが登場し、一緒に動画を撮ってもらった

・岩手県

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東北が誇る世界遺産、平泉の中尊寺。
この日はとにかく快晴で、会話の3割くらい天気の話をした。むかし英語の教科書の例文に天気にまつわる会話が載っていて、なんでこんなにつまらないことを話すんだろうと思っていたけど、頭空っぽだと本当に天気の話以外できなくなる

・宮城県

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非仙台出身にとっての大都会、仙台駅前。
かつて生活の一部として存在していた仙台に差し掛かると、その土地に結びつけられた記憶を思い出す作業の比率が大きくなり、それまでの観光者気分から一転した。山形県で育った私にとって、都市というものへの最初の感動は仙台であったはずだし、「学校では受けられなかった模試を受けるために電車で往復2時間かけて通う」といったような、あの頃の等身大の青春を象徴する街

・山形県

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雨上がりかつ日が暮れてきた頃、絶好のシャッターチャンスの銀山温泉。
1日半という滞在時間は今回の最長記録であり、「地元の景色を大学でできた友人と眺める」という時空が歪む不思議な体験もあり、語りたいことは目白押しの我が出身地だけれど、この銀山温泉の美しさを前に完敗。
銀山温泉が有名な観光地であることを知ったのは、上京してからだった。地元の観光地って、そんなもんだよな〜

・福島県

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受験時代からお世話になっている友人が教えてくれた地元グルメ、『よどや』の喜多方ラーメン。
前日に山形で食べた辛味噌ラーメンとは見た目も風味も全く違っていて、改めてラーメン文化の裾野の広さを感じた。今回の旅を貫く重要なテーマであった「食い倒れ」、遺憾無く達成することができた

改めて生まれ育った辺りの土地を踏みしめてみると、東北という土地が、否応なしに私のアイデンティティの一部となっていることを実感した。山形や仙台で直接的に体験してきた事はもちろんのこと、それ以外の県も含めて東北はお世話になった恩人や今でも仲良くしている友人が生まれ育った場所であり、切っても切れない縁がある。改めて、人生の連続性を感じた。さっきは「大学生活のおかげで、随分遠くまで来ることができた」と言ったけど、その一方で、かつて田舎で燻っていて、それでも未来への希望に溢れていた頃の高揚感や焦燥感や反骨精神、あるいは、もうあれほど心から笑えることはないのではないかと思うほどくだらないことで友人と笑い合ったことも、今の私まで地続きなのだ、と。その両方の感覚があることは、なんと頼もしいことだろう。

地の底をうごめいてた
あの日と おんなじ メンタリティ
ー浪人時代によく聴いていた曲。最高だったあの日も、最悪だったあの日も、そして今も、自分の骨子となる部分は変わらない、と思える

表題に掲げた3つのイベントに比べたら取り止めもないことだけど、旅行中に誕生日も迎えた。23歳の目標は、「関わってくれる人を大切にする」です!

私はよく「1人で生きていけそう」と言われるけれど、むしろかなり影響を受けやすいタイプで、何のこともない機会にほんの一瞬だけ関わった人の一言にとても大きな影響を受けたりすることだって多々あった。その一方で、一人の人と長期的に関係を紡ぐ努力を怠ってときたことも多かったな、と思う。しかもほとんど自分本位な、とても勝手な理由で。大学生活で後悔していることの一つでもある。

だからこれからは、せめて仲良くし続けてくれた人達には、これからもよろしくねという意志表示をし続けたい。そして、今は疎遠になってしまったけれど、あのとき私と関わってくれたことで本当に救われましたの人達には、特大の感謝「期待しないのが賢い生き方である」といった流行りのライフハックには逆行して、今後出会ってくれる人達には期待をして生きていたい、と思う。

ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって
こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく
ーハローもグッバイもサンキューも言えなくなってしまった人達に捧げる曲。
それぞれの道で、幸多からんことを!

数日かけてこの記事を編集してきたので、ようやく頭の中も整理できてきた。
願わくはずっとあの愛おしい3月が続いて欲しかったけれど、もう4月になってしまった。周りのみんなはもう社会人になって、新しいステージに立っている。

そろそろ私も、やるべきことが積りに積もった現実に帰ろう。


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