TOWER OF MUSIC LOVER/京都退屈日記
11月、高校の友人と京都を訪問した。
3年ぶり、6回目。1・2回目は修学旅行、3・5回目は大学入試、4回目は浪人していた時に行った。
現時点では住むことこそ叶っていないけれど、京都は私にとって何重もの意味を持つ街であり、京都への憧れやコンプレックスは私の青春そのものだ。
京都への偏愛、数えてみたら8つくらいあった。
偏愛その一、愛してやまないくるりの音楽を生んだ街であるところ。
今回の旅のテーマソングは、「くるり/僕の住んでいた街」の「京都の大学生」。全編京都弁のこの曲は、岸田繁の住んでいた街の儚さを何倍にも増幅してくれる超エモーショナルソング。
Apple Musicのプレイリストの『京都音楽通り上ル』では、京都で生まれる音楽は自由で、多面的で、艷っぽくて、時に東京的なものへのアンチテーゼにもなると説明されていたけれど、これは京都に漂う空気感そのものの説明でもある。
四条烏丸西ル 鉾町生まれのお嬢さん
えらいちゃんとしたカッコして 何処行かはんにゃろか?
偏愛その二、駅を出た瞬間に街のランドマーク・京都タワーと対面できる。
この記事のタイトルに選んだ「TOWER OF MUSIC LOVER」というフレーズは、2006年のくるりのベストアルバムの名称である。ワンダーフォーゲル、ワールズエンド・スーパーノヴァ、ばらの花など、大好きな曲が収録されている。
私はかなりタワーが好きだ、ということを最近自覚した。東京タワーだけかと思っていたが、同じ憧憬を京都タワーにもさっぽろテレビ塔にも感じる。
その理由の一つが、このくるりのアルバムの話もそうなのだけれど、誰かがタワーを見て感じたことが音楽や映像というコンテンツになり、それを享受する私もまた同様に、タワーに思いを馳せているからだと思う。
京都タワーホテルには、大浴場がある。7:00〜22:00まで営業しているので、交通費を抑えるために夜行バスで移動したい私にとっては大正義。
最終日の夜に京都との別れを惜しみながら湯船に浸かったところ、その日はどこかでライブがあったようで遠征帰りの人々で浴槽が賑わっていたので、正真正銘のホテルの宿泊客と思われる人たちが「本日はもう満員で…」と入浴を断られていたのを見て、肩身が狭かった。
偏愛その三、紅葉が美しい、四季を感じることができる。
今更何をそんな当たり前のことをという感じだけど、生活において四季を感じることはやはり重要である。
山形の田舎に住んでいた頃は、常に自然としての四季と隣り合わせだった。盆地なので、夏は暑い。かつて40.8度という最高気温を叩き出し、それが74年間塗り替えられなかった。日本海側に位置しているため、言わずもがな冬は豪雪である。山形で暮らした全ての記憶が、あのじめじめとした夏の暑さや(高校2年まで学校にクーラーがなかった)、肌に突き刺さる厳しい冬の寒さ(寒さで水道管が壊れ、冷水のシャワーを浴びていた)と結びついている。けれど東京に住んでからは、ハロウィンとかクリスマスとか、商業的な四季の割合が増えた。土地のみならず精神的な変化にも起因すると思うのだけど、昔は生きているだけで四季の激しい変化から逃れられなかったのに、今はもう四季を感じようとしなければ感じられない、みたいな感じ。
四季への手触り感、忘れたくないな。
偏愛その四、退屈や怠惰を許容してくれそうな空気感。
京都大学を志望していた。
理由は二つで、一つはいわゆる京大的なカルチャーや、変人・奇人と言われる人達に強烈な憧れがあったこと、もう一つは現実的に、東京大学は2次試験で社会が二科目あるが、私は非進学校(東北大に例年1人行ければ良い方)にいたが故に、独学でそこまで学力を引き上げるのは難しかったため。
高校の時点でとっくに地元が窮屈だった私は、何となく将来は東京で働くことを予感していた。だからこそ、その前に一旦「東京ならざるものの価値」に触れておきたいとも感じていて、その絶好の対象が京都であり、京都大学であった。
私にとって「東京ならざる価値」の一つは、退屈を肯定しながら生活することだ。かの「退屈をかくも素直に愛しゐし日々」というものを、京都という土地の空気に包まれながら送ってみたかった、と思う。
残念ながら、東京に来た私の生活は対照的だった。「目標破れて東京に来たんだから、ここで踏ん張らないとヤバイぞ」という焦燥と常に隣り合わせだった。けれど皮肉なことに、その切迫感から生み出されるエネルギーはかなり強力なもので、それなりに自分にフィットしていた。だからこそ、東京の大学生活では色々なことをやってこれた。
あのとき京都に強烈に憧れておけたことが巡り巡って今の自分の道を用意してくれたのならば、受験はどちらに転がってもそれなりにハッピーエンドだったのかもしれない。
偏愛その五、(チェーン店以外の)喫茶店が沢山あること。
スターバックスの発祥地・シアトルでは、雨天が多い気候であるが故に出先でくつろぐための喫茶店が発達したという。
京都にも喫茶店が多い。コーヒーの消費量・金額ともに全国1位らしい。
歴史を遡ってみたところ、「京都には太秦撮影所などがあり、昔から映画人らが集い、ハイカラな雰囲気がありました。そのなかで、本格的なコーヒーを提供しようと、喫茶店が増えていったのでしょう」という記述を見つけた。喫茶店が増える理由も様々なんだな。
そういえば世界史の資料集にコーヒーを飲んでいるムスリムの絵があって、それが無性に好きだったことを思い出した!
今日もデートは左京区 大学近くの喫茶店
はよ大人になってくれ 原チャで来はったわ
偏愛その六、鴨川に本当に鴨がいるところ。
鴨川という地名はかつて川のほとりに「賀茂氏」という一族が栄えていたことに由来するらしいが、今や本当に鴨が住み着いているという偶然がとても愛おしい。
偏愛その七、抹茶がたくさんある。
抹茶を求めて三千里。味の選択肢で抹茶があるときには、必ず抹茶を選んできた。
そのきっかけは今でも覚えているのだけど、むかし近所のおばあちゃんの家で年が近い友達と遊んでいた時、その子が「アイスといえば、絶対に抹茶!」と言っていたので、そうなんだ、と思って真似した、というもの。思いも寄らぬ部分で人に影響を受けやすいところ、今も変わっていないなあ、と思う。
偏愛その八、バス移動で観光できるところ。
地下鉄は外の景色が見えないので、移動手段としては便利だけど観光には不適である。その点、バスはじっくりと流れる外の景色を堪能することができる。
京都の電車も好きだけど(特に阪急電車の車両の色のエモさ!)、「北1」「100番」といったバスの系統番号から、「碁盤の目」といった言葉で象徴されるような計画都市感が漂っているのも楽しい。
バス待ってたら凍えそう 206番来たから とり合えず後ろに座った
バス巴里まで 飛んでゆけ ラララ シャンゼリゼ
以上!