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【磐梯町】暮らす場所を共にする人たちとの繋がりを大切にして生きていきたい人

むかしむかし、ある小さな村に、絆(きずな)という名の若者が住んでいました。絆は、村人たちとの繋がりを何よりも大切にしていました。
しかし、その村は長年の間、人々がばらばらに暮らし、互いに無関心な状態が続いていました。絆はこの状況を何とかしたいと思っていました。
ある日、絆は村の広場に大きな樹を植えることを提案しました。「この木を皆で育てれば、きっと心も近づくはず」と絆は考えたのです。
最初、村人たちは興味を示しませんでしたが、絆の熱心な呼びかけに、少しずつ協力し始めました。
木を植える穴を掘るとき、村人たちは初めて言葉を交わしました。水やりの当番を決めるとき、みんなで話し合いました。木の成長を見守るうち、自然と会話が増えていきました。
月日が流れ、木は大きく育ちました。その下で村人たちは集まり、語らい、笑い合うようになりました。
ある日、隣村から難民がやってきました。以前なら冷たくあしらっていたかもしれません。しかし村人たちは、絆が植えた木の下に難民たちを招き入れ、温かく迎えました。
「私たちの村には、みんなの心をつなぐ木があります。あなたたちもこの木の下で、私たちと共に暮らしませんか」と村人たちは言いました。
やがて、この村は「心つながる村」として知られるようになりました。多くの旅人が訪れ、中には村に住み着く人も出てきました。村は多様性に富み、さらに豊かになっていきました。
後に絆は村の長となり、こう語りました。「暮らす場所を共にする人たちとの繋がりは、私たちの人生を豊かにする宝物です。この繋がりを大切にすることで、私たちは強くなり、優しくなれるのです」
そして「木の根は深く、人の絆はさらに深し」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年9月25日9時58分に書く無名人インタビュー884回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 本田愛 さんです!

年齢:30代前半
性別:女
職業:ITコンサルタント


現在:自分も何か行動に移せていけたらなっていう思いは強まっている。とは言え何もできてはいないけど。

ゆいぴ:
本田さんは今、何をしている人ですか?

本田愛:
とりあえず磐梯町に住んでます。仕事は東京のIT企業で働いていて、リモートワークをしています。リモートワークができるので住む場所はどこでもいいなと思い、磐梯町の町民をしてます。

ゆいぴ:
磐梯町はどうですか?

本田愛:
磐梯町は去年の10月に初めて来て、11月に引っ越してきたので、もうすぐ1年。すごく心地良いです、生活してて。とはいえ100%ずっと磐梯町にいるって生活してるわけでもないので。行ったり来たりしてて、比率的には3分の2くらいは磐梯にいるんですけど、3分の1は東京近辺で生活をしてて。なので東京での生活と磐梯町の生活っていうのを両方楽しめてるというか。でもやっぱり、磐梯に戻ってくるとなんか心が安らぐなーみたいな。そんな自然に囲まれて良い場所だなって思って過ごしてます。

ゆいぴ:
そもそも磐梯町に移住してきたきっかけは何ですか?

本田愛:
きっかけは住んでる人で。磐梯町のことは何も知らず。去年の4月からオンラインのビジネススクールに通ってて。地域問題とか含めた日本のいろんな課題を取り扱うようなケースワークがあって。たまたま去年の夏にビジネスコンペに出て、そのテーマが愛媛県の地方創生みたいなテーマだった。で、愛媛県についてめっちゃ調べてて。そしたら愛媛県、愛媛県っていうか自治体のDXみたいな、そういうデジタル化を推進している人がいるっていうのを私は見つけて。それが磐梯町に住んでた渡部久美子さん。私はその渡部久美子さんにすごく関心を持って、久美さんのことをめっちゃネットで調べ始めたんですよね。ストーカーみたいな(笑) なんて素敵な方なんだろうって。動画とかも出てて笑顔が素敵で。話してる内容も、地域のデジタル化とか地域の課題にITを絡めていくっていうのが面白くて。日本の課題としてこういうものが存在するんだっていうのを知り、すごく面白いなと思って。連絡先を見つけて、久美さんに連絡を取ったんですね。そしたら話そうって言ってくださって。オンラインで会話してみたら、愛媛県にいると思ってたのに磐梯町に住んでるって聞いて。どこだ?ってなって。遊びにおいでよってウェルカムな感じで言ってくださったので、遊びに行こうと思い初めてここに来たのが10月。磐越西線に乗って。

私、東京近辺で生まれ育ったので。日本にこんな素敵な山々に囲まれた場所があるんだっていうのを電車に乗りながら、山の中に入っていく感じを体験しながら見て。わぁってなって。初めて磐梯町に1泊して。そしたら小川直樹くんが、福島県の1週間ワーケーションプログラムってのがあるよって教えてくれて。もう1回来たいなと思っていたから、次はそれに申し込んでみたら?って話しになって。調べてすぐ申し込んだ。もう最短でなるべく早く行きたいですって県の人にお願いして、その3週間後に1週間滞在したんですよね。実際に1週間仕事しながら暮らしてみたら、なんら問題なく働けるじゃん!ってなって。そこまで移住は考えてなかったんですけど、そのタイミングで駅前に新しいアパートができたって話を聞いて。駅前のアパートと、もう一つのアパートを内見しに行ったんですよ。直樹くんが電話してくれて。そしたら、今からおいでよって。今から?みたいな(笑) 勢いでちょっと内見してみたらすごく素敵で。東京より広くて素敵な環境だし、移住者の人もいて暮らしやすそうだし、みんな楽しそうだし、人がこんなに繋がってるし。っていうのに私は感動して引っ越そうっていうのがきっかけ。

ゆいぴ:
へえ。さっき磐梯にいると心が安らぐって言ってたけど、それは何が影響して?

本田愛:
こんな自然の中で人々が暮らしてるっていうのが。そういう環境に今までいなかったので、それだけでもこの山に囲まれている感じがなんかいいなって思うのが一つ。あとは人が繋がっている感じ。人口が少ないからってのもあると思うんだけど、みんなが何かしら顔がわかる形で繋がってる感じ。それはやっぱり大きい都市とか東京とかでは無い感覚なので。それがいいなっていう感覚があります。

ゆいぴ:
もうすぐ移住してきて1年経ちますけど、どんな気持ちですか?

本田愛:
とても心地良いのでこの生活は続けたいなって思うのと同時に、今はただただ住んでるだけって感じなので、ゆいちゃんとか直樹くんとか周りの人が何かしら行動を起こしてるっていうか、自ら何かしらの形にしてるっていうのに私はすごく刺激を受けているので。自分も何か行動に移せていけたらなって思いは強まっている。とはいえ何もできてはいないけど。そんな感じ。

移住する前にすごくいいなって思ったことが一つあって。七ツ家に泊まって、そのときに同世代の人たちがバーカウンター作りをしていて。七ツ家って去年の冬から飲食をちゃんと始めたから、10月はまだ準備段階だった。10月に来たときに「七ツ家を始めるからバーカウンター作るんだよね」って言っていて、自分たちで木材を買いに行って、切って、塗料塗って組み立てて、みたいな。あとメニューをみんなで会議して考えて、こういうのがいいんじゃないかって話して、実際のメニュー表を作って。次に来たときにはもうそれが形になっていて、っていうのを見て。なんかすごいなと。自ら行動してすぐ形にして、それが決して大きな規模のビジネスじゃなかったとしても、実際に形にしてる。できるかできないか、とかじゃなく、とりあえずやってみようみたいな感じで挑戦してる姿がすごいなって思った。私は会社勤めなので会社の枠組みの中で何か一つやるっていうのはあっても、完結して自分で手を動かしてゼロから発想してやるってことがなかなかないので。それをやれてるのが本当にすごいなと思って。

ゆいぴ:
うんうん。

本田愛:
そう。そういうのを見てすごく刺激を受けている。だから自分も何かそういうことをできるようになれたらいいなって思いが強くなってる、というのが、今感じていることです。

ゆいぴ:
じゃあ今やってるお仕事はどうですか?

本田愛:
今やっている仕事は磐梯町とは何も関係ないんですが、引っ越してきたときから仕事を変えていて。磐梯町に引っ越してきてから転職したんですね。去年の冬か春くらいに転職しようって思ってて。転職先も同じように東京のIT企業。リモートワーク前提でできる仕事っていうのが、意外とコロナ明けてから減ってきてる。週に1回は出社してね、っていう会社が多いと思うんですけど、そんな中でも私は絶対にこの生活を変えたくないなって思ったんで。転職の面接のときに「私、福島にいるんですけどそれ前提でできますか?」って聞いていて、OKしてくれた会社を受けて。なので、地方に住んで、東京とか会社から離れてる環境にいても問題なく仕事できるじゃん!っていうのは自分の中で証明しつつある。でも、それを実現し続けられるようにコミュニケーションをちゃんと取ったり工夫はしつつ。自分がしたい生活をするために仕事もうまく調整していけるってことがわかって、住む場所と仕事をする場所は、それぞれ別でもやっていけるなと思ったので、それを今後も確立していきたいなって思ってる。

ゆいぴ:
なるほど。ちなみに転職しようと思ったのはなんでですか?

本田愛:
前の会社もすごく良かったんですけど、前の会社のおかげで磐梯町に移住できたっていうのもあるし。でも、このままこの環境にいてもこれ以上あまり成長できないなって思ったんで、違う環境に行きたいなって思って。前の会社は結構シニア層が多くて、私がずっと年下のポジションだったんですけど、もっと同世代や若い人と働きたいなっていうので。

ゆいぴ:
仕事以外で普段やってることとか好きなこととかって何かありますか?

本田愛:
私そんなに趣味はたくさんないんですけど。こっちに引っ越してきてから、ただ自然の中を歩いて、道の駅まで行くとか。今は車がないんで自分でいろいろ行けないんですけど、友達に誘ってもらって、この前は会津若松で赤べこ塗り体験みたいなのに行ったりとか。あとは町のイベントに参加したりとかするのは楽しいなって思ってます。

ゆいぴ:
最近は何が一番楽しかったですか?

本田愛:
先週の赤べこ塗りかな。めっちゃ観光客みたいなことしてるけど(笑) あと最近じゃないんですけど、5月に猪苗代で田植えを手伝わせてもらって。大輝さんのご家族のところで。それは人生初田植えだったんで、面白いと同時に農家さんってすごいなって思ったっていう。楽しかったな。

ゆいぴ:
それは誘われて行ったんですか?

本田愛:
そう、誘ってもらって。本当ありがたいことに誘ってもらったりとか。あとは、それこそ先週やってたオープンカフェばんだいとか、そういう行けるものはなるべく自分で参加するようにしてるっていう感じです。

ゆいぴ:
確かにどのイベントにもいるイメージある。

本田愛:
そうね。めっちゃ参加率高い。

ゆいぴ:
大輝さんって五十嵐大輝さん?

本田愛:
そうですそうです。五十嵐大輝さんは、初めて1週間滞在したときに町をグルっと案内してくれて。磐梯町ってこういうとこなんだよ、みたいな。それもあってすごく良い印象を持ったというか。そういうのがあってありがたかったですね。町を知ることができて。

ゆいぴ:
ちょっと質問を変えて。自分ってどんな性格だと思います?

本田愛:
どんな性格か…。そんなにぐいぐい前に出るタイプではないかな。と思いつつ、磐梯町に引っ越しますとか、そういうピンときたものに対しては行動力を発揮するタイプですかね。なかなか大勢がいる場所ではぐいぐいリーダーシップを発揮してとか、意見を活発に言ったりできるタイプではないんですけど。なんかいいなーって思ったものとかには自ら行動力を発揮する。興味を持ったものには突き進んでいくっていう、そんなタイプの人かなと思ってます。そんな答えでいいですか?

ゆいぴ:
うんうん。自分の性格について自分でどう思います?

本田愛:
えー、なんだろうな。でもさっき言ったみたいに、もっと自分で行動を起こして、周りを巻き込んでやっていきたいと言うんだったら、もうちょっと積極的になった方がいいのかな…。と思いつつ、私はこういう性格だからな...って思います。でもなんか、今30代になったところで、年代的には今後の町とか、会社の仕事とか、大きい話だけど日本のこれからを担う世代になっていくって考えたら、もっと主体的に声を上げてもいいのかなって。そう思いながらも、そこまで声が大きい性格ではないので。もうちょっと周りの目を気にせずに、いろんな意見を活発に外に出していけるようになれたらいいなっていうのは、最近30代になって特に思います。

過去:自分がやりたいことがあってそれができてるっていうのはありがたい一方で、学校生活いいなーっていう憧れもあった。

ゆいぴ:
子供の頃ってどんな子供でした?

本田愛:
私は子供の頃から、高校生までずーっとバレエやってて。踊るほうのバレエ。だからバレエをずっとやっていたっていう思い出が濃いです。今の性格にも通ずるんですが、そんな賑やかに話したりするタイプではなく、静かに、小心者ってわけじゃないけど周りをキョロキョロみながら過ごしてた。引っ込み思案だったわけでもないけど、シャイだったと思います。

ゆいぴ:
小学校のときの何か印象的なこととか思い出とかってありますか?

本田愛:
小学校はもう自分の住んでた街が全てって感じだったかな。小学校が家の目の前だったんで、徒歩5分とか。数秒でダッチできるみたいな距離だったから。そこの行き来とバレエの行き来と、って思い出ですかね。とにかくバレエ、やっぱバレエが大きかったです。これという思い出はないですけど、とにかく学校の行き来とバレエの行き来をしてたなっていう。

ゆいぴ:
バレエはなんで始めたかって覚えてますか?

本田愛:
バレエはあれですね、母親に連れられて。4歳とかなんで。もう自分の意思ではなく。兄がいて、兄の友達がバレエやっているからっていうので、じゃあ行ってみようみたいな。

ゆいぴ:
バレエ中心の子供時代はどうでした?

本田愛:
小さいときは特に何も思ってはいなかったけど、今思えば一つのことをずっと続けられたのは子供のときの経験としては良かったなって思います。あれやってこれやってじゃなく、同じことをずっと積み重ねることができたのでよかったなと思う。振り返ると。

ゆいぴ:
中学高校もバレエやってたんですよね?

本田愛:
そうです。中高もずっとバレエ。部活はやらずに。部活いいなーと思いながらも、私はバレエだし、みたいな。そんな感じでした。

ゆいぴ:
学校の思い出でふと思いあたることって何かありますか?

本田愛:
帰宅部だったけど同じクラスの数名とはすごく仲良かったので、それがすごく楽しかったなっていう。日々が楽しかったなって思う。特定の一つの思い出が印象的ってのはないかな。

ゆいぴ:
ふうん。日々の何が楽しかったですか?

本田愛:
学生のときってめっちゃ笑いません?もうお腹痛くなるレベルで毎日笑えてたのはすごいなっていう。学生のときの写真とか見返すと今との一番の違いってたぶん笑ってる量で、良い笑顔ができてるのって日々笑顔の筋肉が鍛え上げられて発達してたからだよなって思う。昔の写真とか見返してそう思う。

ゆいぴ:
それ以外ではどうでした?高校は。

本田愛:
高校は数ヶ月行って辞めてて。高1の夏あたりからアメリカに2年くらいバレエ留学をしてて。そんな感じだったので、もうとにかくバレエ中心って感じでした。

ゆいぴ:
バレエ留学はどうでしたか?

本田愛:
バレエって努力プラス生まれ持った才能みたいな世界なので。世界の人たちは、生まれ持ったものが違くて、やっぱすごいなーみたいな感じがあった。そういった現実をいろいろ学べたってのはある。一方で、日本だとバレエ=習い事って感じだったけど、そこからプロのバレエ団付属の学校に行ったので、職業として成り立っている世界を見たときにすごくかっこいいなって思って。プロフェッショナルとしてバレエをやり続けてる人たちはすごいかっこいいなって思いました。それを見て刺激を受けたし、純粋に留学させてもらえて、いろんな国の人たちと知り合えたっていうのは貴重な経験だった。

ゆいぴ:
バレエ留学は自発的に行くって言ったんですか?

本田愛:
そうです。バレエ留学の本を持ってて。世界のバレエスクールを中学生のときにめっちゃ見てた。いいなーみたいな、こんな世界あるんだーって。バレエスクールってサマースクールみたいなのをやっていて。日本でオーディションがあるからっていうのをバレエスクールの先生に聞いて、受けたのがきっかけで。夏だけの予定だったんですけど、さらに年間オーディションがあって。受けたらOKって感じだったので。そしたらもう、行きたい!みたいな。行きたいです、お願いします、みたいな感じで親に頼んだ。

ゆいぴ:
海外自体はその時が初めて?

本田愛:
その前にも夏のスクールに行ったことがあったんだけど。夏に1回行って、その翌年に違うところに行ってって感じだったので。海外は初めてではなかったかな。

ゆいぴ:
長期間滞在して、その前とその後で何か変わったことありました?バレエ問わず。

本田愛:
磐梯町に引っ越して新しい環境で過ごすっていうのもそうですけど、新しいことへの適応力というか、新しいことに対して絶対に無理と思わずにやってみようっていう精神は身についたかなと思ってます。もちろん緊張したり、大丈夫かなって不安に思うことはあるんですけど。それこそ英語も全然わかんなかったし。でも意外とみんなと仲良くコミュニケーション取れてたり。思い返すとみんな優しかったな、問題なくコミュニケーション取れてたな、なんとか自分で自炊して生活してたよな、とか考えたら、なんでも意外とできるじゃん!みたいな自信には繋がったかなって。

ゆいぴ:
へえ。アメリカから帰国した後はどういう生活?

本田愛:
バレエは上手くはなかったけど留学させてもらえたって感じだったんですけど、プロのバレエダンサーになりたいって気持ちは持っていた。とは言え、自分の実力とのギャップがあるからどうしよう?って。帰国してから1年ぐらいかな。とりあえずバレエで何かしらやってく方法はないか?ってのを日本の環境で考える1年があって。結局バレエダンサーとして自分は生きていけないなと思って諦めた。すぐ就職っていうのも考えられなかったので、日本の大学に行こうと思って日本の大学に入りました。その後、普通に学生生活を送って、社会人になってっていう。

ゆいぴ:
大学はどうでした?

本田愛:
私、高校行ってないし部活も入ってなくて、学校生活に憧れがあって。いわゆる高校の青春みたいなのが、なんかいいなーみたいな。自分がやりたいことがあってそれができてるっていうのはありがたい一方で、学校生活いいなーっていう憧れもあった。だからちゃんと学生やろうと思って4年間過ごしたので、真面目に講義も行ったし、真面目に勉強も取り組んで、すごく充実してたなって思います。友達にも恵まれて。

ゆいぴ:
当時ハマってたこととか、好きだったこととかありました?

本田愛:
ハマってたというかやってたことは、普通にバイトが楽しかったかな。あとはボランティアをやってて。世界の高校生が交換留学をするっていう団体の学生ボランティアをやってて。何やってるかっていうと、いろんな国から高校生が交換留学に来たり行ったりするので、その高校生に向けてオリエンテーションをするっていう。例えば、日本に来たばっかりで、これから1年間日本に滞在しますよっていう何十ヶ国から来る子たちを成田空港まで迎えに行って。国際オリンピックセンターっていう代々木にある宿泊施設に2泊3日くらい滞在して。これから1年間日本に住むにあたって、日本の生活にはルールやマナーっていうのが最低限あってね、みたいなのを教えてあげたり。学校生活で大変なことがあったらこういうふうに振る舞うといいよとか、留学生が閉じこもって嫌だってならないように、いろいろ知識を共有してあげるみたいな。そういうのを運営する学生ボランティアをやっていて、それに時間を費やしてました。

バレエって基本1人で取り組むものなので、いろんな人とコミュニケーションを取るのが元々そこまで得意じゃなかった。大学生ではいろんな人と交流を持ちたいなって思って、ボランティアやったり、バイトしたり、学校でも友達作ったりっていうのを積極的にやってました。

ゆいぴ:
何か自分の中で変化とかありました?それやってみて。

本田愛:
高校までは、それこそ内にこもるような感じの性格だったので。そこから一気にいろんな人と話すようになって、自分って意外と社交的な部分あるじゃんってなりました。

ゆいぴ:
バレエは?大学ではどうでした?

本田愛:
大学ではやらなくなって。もういい、ってなって。ほぼやってないです。

ゆいぴ:
もういい、っていうのはどういうこと?

本田愛:
プロを目指して頑張ってたんで。でも自分はそんな上手じゃないしな、っていう葛藤が高校から大学入る間にあって。もう諦めたみたいな感じだったんで。中途半端にやるならもういいや、一旦違うことをやろう、って振り切った。

ゆいぴ:
大学卒業した後はどういう生活してました?

本田愛:
大学卒業後は、新卒で入った会社で仕事中心。20代はそんな感じ。忙しいときと忙しくないときの波はありつつ、お客さんに対してシステム導入するっていう仕事だったので比較的忙しかった。そんなに器用な性格ではなく、すぐにうまくできなかったので。一つのことに集中するとその一つのことしかできなくなるタイプで、だからひたすら仕事をしてたっていう生活でした。コロナ前は朝から会社行って夜遅くまで、21時とか22時までオフィスにいて。帰って寝て、また行くみたいな。そんな感じの生活をしてたなって思います。

ゆいぴ:
なんでITの会社に入ろうと思ったんですか?

本田愛:
なんでですかね。親がIT業界で働いてたっていうのもあって、どんな世界なんだろうって気になってた。せっかく働くならこれからの未来を作っていくような仕事がいいなって思ってて、元々ある仕事よりもこれからどんどん発展して世の中になくてはならなくなるもの。そう考えたときに、ITがいいかな、みたいな。あとは自分自身そんなにITが得意ではなかったので、世の中で必要とする人たちと、よくわかってる人を繋ぐ役になれるんじゃないかな、みたいな。全然わからない領域だけど、面白そうだなって。

ゆいぴ:
未来を作っていくような仕事に就きたいっていうのは、そう思うきっかけがあったんですか?

本田愛:
これをどうしてもやりたいみたいなのがあったわけではなく、漠然と、ただ興味が湧いたからってだけかな。それこそバレエにずっとのめり込んで、絶対に私はバレエダンサーになる!って、サラリーマンで疲れた顔して毎日通勤してるふうには絶対になりたくない!ってずっと思ってたから。そういうのは嫌だなって思ってて、楽しそうなのがいいなって思って。純粋に面白そうだなって思ったっていう。

ゆいぴ:
その新卒で入った会社は転職前の会社?

本田愛:
そうですそうです。でも今もやってることは似てるかな。だから同じ思いは持ってます。

未来:家族のためとか誰かのためとかって、自分のためだけの限界を超えられるというか。

ゆいぴ:
この先の近い未来から遠い未来、何十年後まで考えて、最後に自分が死ぬってところまで想像したときに未来に対してどんなイメージを持っていますか?

本田愛:
最近まで全く未来のことを考えてこなかったなって思ってて。今を生きてるのに必死だったなって感じ。20代はとりあえず目の前に与えられたことを必死にやってたので、30代はもっと自分がやりたいこととか成し得たいものに対してアクションしていきたいって思いがある。40代50代とか細かいことはわからないけど、最終的には家族とか、友達とか、地域とか、ちゃんと繋がりを大切にしながら生きていきたいなって思います。

人との繋がりっていいなっていうのを、磐梯町に引っ越してきてから余計に思うようになった。私の親は地方出身で、私が生まれたときに横浜に引っ越して、郊外で生まれ育ったみたいな感じ。父親と母親には地元があって、親戚の繋がりもあったけども、私はそれが薄れてきた世代。おじいちゃんおばあちゃんがいなくなって家もなくなって、あまり帰省することも少なくなってるし。っていうので親戚ともしばらく会ってない。そんな感じでたぶんこうやって、家族の繋がりとか親戚の繋がりが薄れていくのが寂しいなって思っていて。

磐梯に引っ越してきて、地域の繋がりが濃いのがいいなって思ってて。なんかそういう繋がりを、家族のそういうのは薄まりつつあっても、暮らす場所を共にする人たちとの繋がりは大切にして生きていきたいなっていうのは引っ越してきてから余計思ってます。将来、未来に向けてっていう感じだと。

ゆいぴ:
なんで人との繋がりを大切にしたいと思うんですか?

本田愛:
こっちでみんなが繋がっていて、楽しそうに過ごしてる姿を見ていいなって思ったっていう…。

ゆいぴ:
……。

本田愛:
…うーん。なんででしょう。みんなが繋がってる姿を見て素敵だなって思ったのと。あと自分はずっとバレエをやってて、あんまり部活とか大きい輪には入らずに、自分は自分の道って感じでやってきたので。それはそれでいいけど、部活とかいろんな人との関係の中で大変なこともありながら、一つの目標達成に向けてチームをまとめ上げやってこう、みたいな姿も、いいよなって。たぶんそういう思いがどこかしらにあって。こっちに来て、さっき言ってた久美さんが地域の中に入って仕事してたり、直樹くんが地域との繋がりを通して自分ができることの枠を広げてる姿を見て、なんかいいなーって思ったっていう。

ゆいぴ:
そういう人との繋がりをいいなーと思うのって、つまり何ですか?

本田愛:
えっ。

ゆいぴ:
何を求めてるんですかね?人と繋がることで。

本田愛:
えー、なんだろうね。私は10代20代、だいぶ自分のために過ごしてきたけど、この先一生自分だけのために生きてくのって限界があるなって思っていて。もちろん自分の考えも大事ではあるものの、例えば家族ができて、家族のためとか誰かのためとかって、自分のためだけの限界を超えられるというか。自分が何かをやったことによってその人が100%成功するとかそういう話じゃなく、いろんな人が集って力を出し合えば、いろんなことが実現していくんだなみたいな。誰かのためとか何かのために力を使うっていうことって面白いよなっていうか。もっと面白いことができるなっていうのに気づき始めたからかなって思います。

ゆいぴ:
なるほどー。じゃあやりたいこととかやってみたいことってありますか?

本田愛:
直近でやりたいなって思ってるのは、それこそ受身ばっかりじゃダメだなって思ってるんで、11月に、私がオンラインのビジネススクールで知り合った人たちを磐梯町に招いて、磐梯町ツアーみたいなのを個人的に企画してて。愛媛のケースワークを一緒に取り組んでいた人たちで、私の一連の移住経験を知ってるんですよね。自分でこうしたら面白いかなって考えて、来てください!って宣伝して、わざわざその方たちも時間を使ってきてくれるので、良い体験にしたいなっていうので。自分だけではできないので、直樹くんとか大輝さんとかに相談したりして。私が引っ越したこの町ってこんな素敵なところでね、みたいなのをプレゼンするというか。他の人にも知ってもらいたいっていうのが直近やりたいなって思ってること。

あとは今の会社が会津若松に拠点みたいなのがあって。直接的にそれがやりたくて入ったってわけではないんですけど、将来的には地域のDXとかそういう取り組みに関われる仕事はしていきたいなって思っていて。と言っても、デジタル化っていうのはあくまで手段だから目的ではないよね、っていうのはわかっていて。なので、そこの目指す姿、そういう行政がどういうのを目指してるのかみたいなのは勉強しつつ。私はITの領域で仕事をしてきたので、そういう知識を使って取り組めるプロジェクトはないかな?っていうのは、機会を探ってるっていう。中長期的にやりたいなって思ってることですね。

ゆいぴ:
じゃあやりたいことじゃなくて、自分がこうありたい姿ってありますか?

本田愛:
繰り返しになっちゃうんですけど。私は今まで自分のため、自己中心的に過ごしてきたかなって思ってるんで。この30歳を機にもっと人のため、人のためって言ったらあれだけど、周りのためになれるようなことを自分から動けるような気持ちで生きていきたいなっていうのはあります。

ゆいぴ:
もしもの未来質問っていうのをしていて。ビジネススクールで愛媛のことを調べていたときの話。もし渡部久美子さんとの出会いがなかったとしたら、今どんな人生を歩んでると思いますか?

本田愛:
磐梯には少なくともいなかったなって思います。でも、東京にずっと閉じこもって生活している感覚が窮屈だなっていうのは思っていたので、磐梯じゃなかったとしても何かしら違うところで場所を見つけて、二拠点じゃないけど、いろんな視野を広げる生活はしてたのかなと思います。とは言え磐梯町には来てなかったと思います。

ゆいぴ:
そうですよね。久美さんとの出会いが磐梯町に繋がったんですもんね。

本田愛:
そうそう(笑)

ゆいぴ:
そんな偶然の出会いから移住してきた磐梯町ってどんな存在ですか?

本田愛:
磐梯町が私にとってどういう存在か。今後どういう存在になっていくのかはわからないですけど、今は居心地の良い場所。第二の故郷ってほどの感覚にはなれてないんですけど。私が磐梯町で出会えた人は、皆さん各々の人生をこの場所で楽しんでる感じがするので。私もこの生活をもっと楽しみたいなっていう、これからいろんなことが起こっていきそうな場所だなっていう感覚です。

ゆいぴ:
最後に言い残したことっていうのを聞いてるんですけど、人生を振り返った上での言い残したこと、遺言みたいな感じになってもいいし、読んでくれてる人へのメッセージでもいいし、インタビューの感想でもいいし、最後に何かあればお伺いします。

本田愛:
何かやりたいって言ってはいるものの、まだ具体的に言語化できてないなって思った。自分の感覚の中で「これだ!」って思ったときは行動に移せるんですけど、まだそのフェーズにいけてないなって思うので。何かやりたいって言うんだったら、もっと言葉にしていかないと見えてこないなって思う。ただ、今ここで生活しているだけでも楽しくて、何か不満があるわけではないので、引き続き楽しみたいなと思います。

ゆいぴ:
はい、ありがとうございます。

あとがき

高校時代めちゃくちゃ青春を謳歌してました。朝から晩まで部活、勉強、学校行事。クラスも仲が良くて毎日みんなで笑いあって。ペンが机から落ちただけで面白かったですもん。そのくらいくだらないことで腹抱えてた。でも卒業した途端、全く笑わなくなっちゃいました。ちょっとした笑顔で頬が引き攣ってた。なんであんなに笑えてたんだろ…って不思議に思うほど。
しばらくして、人と人との繋がりって必要なんだって気付きました。人脈じゃないですよ。それはあくまでツールです。求めているのは理屈じゃない繋がり。愛ですよ、愛。そこにあるものは愛情です。高校時代、クラスメイトも部員も愛してた。だから楽しかったし幸せだったんだな。でもここ数ヶ月でまた、よく笑うようになったんですよ私。なんででしょうね。

【インタビュー・編集・あとがき:ゆいぴ】

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