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【磐梯町】気持ちはやっぱ前向きじゃないとダメだなと思う人

力の限りを尽くして生きているのに、どーしても何か物足りない、達成できない、できないできないできない王子です、みたいな感覚って、なんていうんでしょう? ありますよね。
やってもやってもやりきれない。
で、この考え方を紙に書くじゃないですか。
それを、水にひたすんです。で、どろどろにする。日本の紙はしっかりしているって噂です。どろどろになるのに時間がかかるかもしれません。でも、じっくり待つんです。この考え、なかなか溶けないな、なくならないな、とか考えるんです、でも、指先でその紙をもみもみしたり、ほぐしたりしたりしながら、ぼろっぼろになるまで待つ。
それでその紙の形が最初と異なり、文字も読めなくなったころには、どうでしょう? そのできない王子の考え方は、消えていませんか? どうなんでしょうね。
頭の中の消しゴムみたいな韓国映画がありましたが、なんていうんでしょう? 人間は思いこみでなんとかなるんです、よね。自分の頭の中だけならね、現実は思いこみではなんとかならないんです。でも、できないできない、なんて思ってる自分の頭の中身は、思いこみでなんとかなるんですよねえ。
と思う2024年7月21日9時32分に書く無名人インタビュー838回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 五十嵐 信一 さんです!

年齢:50代後半
性別:男
職業:磐梯町地域おこし協力隊


現在:磐梯町に限定してたわけでもないですし、福島県のどこかに住んで人の役に立てるような仕事に就けたらいいかなっていうので。

ゆいぴ:
五十嵐さんは今、何をしている人ですか?

五十嵐 信一:
磐梯町の地域おこし協力隊の一員です。

ゆいぴ:
地域おこし協力隊としては何をしているんですか?

五十嵐 信一:
役場の産業振興課所属で、一応ミッションは農業公社の運営に携わる業務という形になっています。

ゆいぴ:
農業公社の運営はどうですか?

五十嵐 信一:
まだ本格的に農業公社の仕事っていうのにはあまり携わっていないんですけども、磐梯町の株式会社布藤農産の担当になってるので、今はそこの仕事をメインで動いているような感じですね。

ゆいぴ:
そこの担当っていうのは、主にどういった業務を?

五十嵐 信一:
基本的には農業サポートっていう感じですね。4月末から5月頭は稲の種まきをして、5月後半から田植えをしたりとか。今のメインは草刈り作業になりますね。布藤農産が抱えている田んぼの数といいますか、面積がかなり大きいので、その草刈りをするのも1回やれば済むわけではないので。聞いたところ、草刈りは最低でも1シーズンに3回、一つの田んぼに対してやらなきゃいけないと言ってましたのでかなり量が多い。それを今、手伝ってる感じですね。

ゆいぴ:
協力隊として農業のサポートをして、気持ち的にはどうですか?

五十嵐 信一:
いま自分が思うのは、イメージが捉えられてない部分もあるかなと思うんですけど。徐々に来週から、福島の桃の販売にも携わらせていただくので、ちょっとずつ農業公社の仕事の方を覚えつつ自分なりにできることをきちんとやっていきたいなって考えてるところです。

ゆいぴ:
田植え、種まきとか草刈りとか、やってみてどうでした?

五十嵐 信一:
全て人生初経験なので、お米を作るのはホント大変なんだなっていうのが改めて実感したところです。お米は残さずに食べましょうって思ってます。

ゆいぴ:
これからやる予定の桃の販売についてはどう思ってます?

五十嵐 信一:
桃の販売はとりあえず道の駅ばんだいの集客目的っていうのがまずあって、それをやるにはフルーツが客寄せのために必要と聞いてます。自分が良い流通を作って、地域の活性化、道の駅ばんだいを中心に地域の活性化を図っていけたらなと考えています。どうしても磐梯町っていうのは、野菜関係は多いですけど、果物関係でそんなにメジャーじゃないですよね。だからそういうところを考えられてるのかなっていうふうには思ってます。

ゆいぴ:
協力隊としての仕事でもいいですし、それ以外のことでもいいんですけど、他に普段やってることってありますか?

五十嵐 信一:
普段やってること?そうですね、最近あんまり真面目にやってないんですけど英会話っていうか。英会話ができるようになりたいんですよね。ずーっと前から思ってて、ずーっと何もしてなかったんですけど。去年あたりからウェブを使ったりとか、そういった形で英会話はちょっとずつやってるんですよね。やっぱ英会話できるようになると幅が広がるかなって気はしてるので。もちろんもっと早くやっておくべきだったなとは思うんですけど、今になって楽しいかなっていう感じはしますね。それは個人的なところですけど。

ゆいぴ:
英会話はなんで始めたんですか?きっかけとかありますか?

五十嵐 信一:
きっかけはね、ずっと会社勤めしてきましたけど、ほぼ外資系企業だったんですよ。外資系企業の中でも英語力がマストってわけじゃなかったんですけども、やっぱり時々外国人の方と接することもあって、なかなか自分が思うことが伝わらないっていう部分もあったりしましたので、今後は何かの機会に活かせるようにしたいなっていうふうに思っています。会社勤めのときにもっと必死にやればよかったと思うんですけど、営業職で飛び回ってたので落ち着いてできなかったっていうのもありました。去年1年間は自分、何もしないでボーっとしてたので何かしようかなっていうことで始めたような感じですね。

ゆいぴ:
英会話を始めたのはいつからですか?

五十嵐 信一:
何回もチャレンジしては途中でやめてみたりとかっていうのを繰り返してるんですけど。最近やってるのは去年の夏ぐらいからですかね。最近は英会話教室っていうか、教室までは言わないですけど、オンラインでいろいろありますよね。ああいうのって短時間で毎日ちょっとずつできるようなレベルだと思うので、最近はちょっとサボり気味の部分もあるけど、続けられてるかなっていう感じですね。

ゆいぴ:
ちょうど始めて1年ぐらい?

五十嵐 信一:
そうですね、うん。

ゆいぴ:
英会話1年間やってみてどうですか?

五十嵐 信一:
いやー、なかなか難しいですよね。自分はどうしても、自分の世代は受験英語が身に付いてるので、難しい部分もあるけどなんとなく上達してるのかなっていうところです。実際外国の方と会話してどうだっていうのはわかんないですけど、テスト形式じゃないけど、これを英文に、みたいなときに出てくる自分の中の英文はそんなに間違っていないかなっていうふうに思います。簡単な文章ですよ。そんなレベルかな。

ゆいぴ:
農業とか英会話とか初めてのことにチャレンジする精神が湧いてきたのはなんで?

五十嵐 信一:
チャレンジ精神というか、何か新しいことをやる分にはそんなに苦にはならないかなっていう部分は自分の中で持ってます。ただそんなに必死こいて新しいものを新しいものをって求めてるわけではないかなっていうふうにも思います。農業に関して農業公社の運営に携わる仕事の関係上、農業のことを全く知らない未経験なものですから、布藤農産の方々にいろいろお世話になって、仕事の合間にいろいろ会話させていただいていると得る情報も多いですね。今後会話の中で得られた情報を他の部分でも活かせていけたらなって今お手伝いさせてもらっている感じです。英会話も何年も前からやっては挫折やっては挫折っていう感じなので、完全に新しいことにチャレンジっていう意味合いではないですかね。

ゆいぴ:
なんで未経験から農業を始めよう、農家のサポートをしようって思ったんですか?

五十嵐 信一:
いや、農業で地域おこし協力隊に入りたいとは考えてなかったです。自分は福島県猪苗代町の出身なので、高校まで地元の方で生活してましたけど。関東の方に行って40年ぐらい経って、いずれはこっちの方に帰ってこなければいけないっていうふうにずっと考えていました。コロナが収束して自分の年齢的にも今かな、戻ろうかなって思ったときに、テレビのニュース番組で地域おこし協力隊っていうのがあるっていうのを知り、ネットでいろいろ調べたら福島県内でもいろいろ募集があるようなので、その時は磐梯町に限定してたわけでもないですが、福島県のどこかに住んで人の役に立てるような仕事に就けたらいいかなって考えました。磐梯町だったり猪苗代町だったり大熊町だったりの面接受けたりなんかして、最終的には磐梯町に。磐梯町には農業公社の運営に携わる業務がある、っていうことでそれで農業に携わる感じになりました。

ゆいぴ:
自分的には、未経験だけど農業に携わるっていう選択肢はありだった?

五十嵐 信一:
うん、いろいろと大変な部分も多いかな、全く農業のこと知らないしって思ったんですけど。面接で話を伺ってる中で、営業色を濃く出してやってほしいみたいな感じで言われたので。企業人のときは営業職だったので、何かお役に立てることができたらなと思いました。農業は、福島県もそうですけど磐梯町の基幹産業でもあるし。自分が農業やって生計立てるっていうのは考えてないんすけど、携わって生計立てられればいいかなっていうふうには、そのときは感じましたね。

ゆいぴ:
なるほどね。じゃあ何か趣味はありますか?

五十嵐 信一:
趣味は、ここ2、3年はアウトドア関係ですかね。そうは言っても、本格的にキャンプに行ったりとかどうのこうのしてるわけじゃないですけど。年に数回友達とキャンプしたりとか、あとは車中泊とか、そんな感じですね。旅行が好きなので、今いろんなところにまだまだ行きたいなって考えていますね。

ゆいぴ:
いつからアウトドアにはまりだしたんですか?

五十嵐 信一:
そうね。3年ぐらい前かな、趣味の車として自分の車も軽バンにしました。それまでは3ナンバーの普通の乗用車に乗ってましたけど、13年経つと自動車税もガンッと上がるので軽バン、車中泊できるような車を買おうと思って。その頃からですかね。

ゆいぴ:
何か出会いがあったんですか?

五十嵐 信一:
出会いは特にはないですけど、YouTube見てて、自分の車を車中泊できるように改造してる人がいたりして。そういう車もいいなーと思ったりとかしました。

ゆいぴ:
どうですか?アウトドアな趣味は。

五十嵐 信一:
時間があればどんどんやりたいなと思いますけど。正直福島県の方に帰ってきたらいつでもできるかなと思ってましたけど、そういう感じではないね今のところは(笑) 近くに来たからいつでも行けるなーって思っちゃってるのかどうかわかんないっすけど。こっちに来たからといってキャンプに行ってますとかそういうのは特にないね。

ゆいぴ:
旅行っていうのは?

五十嵐 信一:
旅行はね、前の会社の仲良い連中と、成田からのLCCとか使っていろいろ行きましたね。九州四国北海道とかいろいろ。行けるところは行ったかなっていう感じですかね。ほぼ国内ですが、海外も行きたいねっていう話をしているようなレベルではあります。海外旅行のときも現地で英会話できたほうがいいので、できれば…ですね。

ゆいぴ:
どこが一番良かったですか?

五十嵐 信一:
旅行で?そうですね、思い出深かったのは長崎に行ったとき、季節は冬なんですけど、はっきり覚えてないけど1月末ぐらいに行ったのかな?そのとき長崎が観測史上最大、大雪っていうときで。長崎に行った割には路面電車の写真とか撮っても雪が積もってる電車になっているので、これ札幌のすすきのじゃないの?みたいな(笑) どっか観光行こうかなっていっても全部大雪のため閉鎖になってて。帰りの飛行機もない、高速も止まってる、電車も動いてない、みたいな感じで。2泊3日で行く予定が4泊5日ぐらいになっちゃって、大変な思いをしたけど結構それが。ハプニングって旅行につきもので、ハプニングが大きいほど思い出に残るっていうか。それがなんか面白かったなっていうのはありますね。

ゆいぴ:
自分はどんな性格だと思います?

五十嵐 信一:
どんな性格ですかね。そんなにワイワイガヤガヤが好きな方ではないと思います。例えば飲み会も10何人とか大勢集まってガッて飲むよりも、2、3人と語り合って飲む方が好きって感じかな。あと真面目ではある方かなと思いますけどね。

ゆいぴ:
なんで真面目だと思うんですか?

五十嵐 信一:
約束事は基本的には守るべきだと思うし、人から借りたものはきちっと返すべきだと思うし、みたいな。時間はできるだけ遅れないようにしなきゃなと思うし。…今日も遅れてないよね?(笑) 周りからも真面目だねっていうふうに言われたこともあるので、真面目なのかなって思う。

ゆいぴ:
周りから真面目以外で何か言われたことはあります?

五十嵐 信一:
あとはそうですね、前の会社の仲良い後輩には自由人だねと言われましたね。

ゆいぴ:
へー。真面目と自由人って、ちょっとギャップがありますけど。

五十嵐 信一:
ギャップというかですね。自分1人じゃないですか、だから何でも自由に動ける部分はあるんですよね。他の人たちは家族があったり子供がいたりと制約がある中で、動きにくくなる部分もあるでしょうけど。自分は1人なので、自由に何でも行動できるので、そういう意味で自由人だねって言われたのかなって思いますけど。

ゆいぴ:
自分の性格についてどう思います?

五十嵐 信一:
どう思うも何も、もうあと少しで60になるような年なので今更変えようがないっていうか。人の性格ってそう簡単には変わらないでしょうし。やりたいことをやって生きていこうかなって思ってるんで。今の性格で、しょうがないなって思います。

過去:その頃はもういち早くどっかに行きたいなと思ってましたね、卒業したら。ここにずっといてもなんか限られるっていうか。やっぱり当時はとりあえず東京に出ようかなとかあるじゃないですか。

ゆいぴ:
子供の頃ってどんな子供でした?

五十嵐 信一:
子供の頃は結構やせっぽち、ひょろひょろっとした感じで。ただ自分たちが小学生の中学年頃まではテレビゲームとかそういうのはなかったので。学校から帰ってくるとすぐにみんなと、野球ってほど大げさなものじゃないけどソフトボール的な、そんな感じで外で遊んでいた子供ですよね。冬はスキーをやったり。

ゆいぴ:
小学生の頃にやってたことありますか?

五十嵐 信一:
夏休みになると必ず猪苗代湖で泳いでたんですよね。毎日泳ぎに行ってて、もう日焼けして肩のあたりはボロボロになるみたいな。特にこれをやってたとかスポーツクラブに入ってたとか、そんなこともないし、塾通いもしてないし。唯一そろばん塾だけ行ったかなぐらいです。

ゆいぴ:
中学生の頃は何かやってました?印象深い思い出とか。

五十嵐 信一:
小中高大とありますけど、中学校のときは結構楽しかったなっていうイメージがあるんですよね。なんでそんなに中学校楽しかったのかな?って今思うと小学校のときになかった部活があったりとか、あとそんなに人数が多い中学校でもなかったので、全員が仲間みたいな感じだったかな。小学校の時も楽しくなかったわけじゃないですけど、中学校の時は学生生活の中では楽しかったなーって思います。

ゆいぴ:
部活は何部に入ってたんですか?

五十嵐 信一:
部活はね、卓球部だった。本当は野球とかもやりたいなと思ってたけど、体力が無かったからちょっと無理だなって思い、どこのクラブがいいかなって下見で回ったときに手を差し出してくれた3年生の女子の先輩が非常に可愛い人だったので、じゃあ卓球部でいいやってなっちゃったんだよね(笑)

ゆいぴ:
どうでした?中学の卓球部は。

五十嵐 信一:
大して真面目にやってないね、みんな。成績も上がらず。ダメダメクラブみたいな感じだったかな、自分らの時は。顧問の先生はなんか良い先生だったみたいで、結構会津地区でも上位に成績を残すような選手を輩出したりしてましたけど。自分らの世代はちゃらんぽらんでダメだねって感じでしたね。

ゆいぴ:
どう思ってました?

五十嵐 信一:
別にそれでいいかな、って。

ゆいぴ:
中学が結構楽しかったっていうのに卓球も入ってます?

五十嵐 信一:
卓球も入ってますよ。やっぱ上の先輩たちといろいろやったりとか、中体連であっち行ったりこっち行ったりするじゃないですか。楽しいは楽しかったよね。

ゆいぴ:
中学でそれ以外に何か思い出はあります?強烈な、これが楽しかった!みたいな。

五十嵐 信一:
強烈な思い出?ちっちゃいことですけど、先生がね、結構若い先生が多かったのかな。ある新任の数学の先生の授業をみんなでボイコットしたことがあるんだよね。そんなようなことを思い出したりもしますね。ちっちゃいことですけど。あとは生徒会で遅くまで残っていろいろやってたりして、帰りに先生にラーメンご馳走になったりとか。なんかそんなこともあったなーって思い出しますね。

ゆいぴ:
生徒会だったんですか?

五十嵐 信一:
生徒会でしたね。中学校のときは。

ゆいぴ:
それは自発的に生徒会をやってたんですか?

五十嵐 信一:
生徒会は1年生のときから。推薦とか立候補とかあるじゃないですか。別に立候補したつもりはないんですけど、推薦でやってもらいたいみたいに周りから言われて、いいよっていう形でやって。それからずっと1年2年、3年といろいろ携わってました。

ゆいぴ:
なんでそんなに周りから推薦されてたと思います?

五十嵐 信一:
なんでかはわからない、それは。もうだいぶ昔の話で。誰もやりたくないからこっちに話きたかもしんないし。人数がそんなにね、いる学校じゃないし。

ゆいぴ:
高校時代は何してました?

五十嵐 信一:
高校時代は特に何もしていないって言ったらあれですけど。部活は文化部みたいなところに入ってて、運動部には入らなかったですね。高校はね、なんかいまいち居心地が良くなかったな。

ゆいぴ:
なんでですか?

五十嵐 信一:
別に男子校ってわけじゃないんですけど、全員男子なんですよね生徒。女の先生もそんなにいなかった感じだし。なんか軍隊みたいな学校来ちゃったなーって思って。

ゆいぴ:
他に何かやってたことないですか?高校で。

五十嵐 信一:
高校時代は特にないっすね。通学するだけで疲れちゃって。

ゆいぴ:
そうなんですね。通学はどのくらい時間かかってたんです?

五十嵐 信一:
猪苗代から会津若松まで行ってたので。朝は始発電車で行って、夕方6時台の電車で帰ってくる。疲れちゃってそれだけで。

ゆいぴ:
さっき高校時代まで地元にいたって言ってましたけど、自分の育ってきた環境ってどうでした?

五十嵐 信一:
高校ぐらいまでは郡山だったり会津若松だったり、その範囲ぐらいしか世間知らないじゃないですか。そりゃ東京に行ったときもあるけど、ずっといるわけでもないし。ここに住んでてこんなもんかなとは思ってましたけど。その頃はもういち早くどっかに行きたいなと思ってましたね、卒業したら。ここにずっといてもなんか限られるっていうか。やっぱり当時はとりあえず東京に出ようかなとかあるじゃないですか。仙台とか行った子もいるけど、仙台行ってもしょうがないなと思ったから。パッとそのときは動いたって感じですよね。別に親も反対しなかったし。

ゆいぴ:
高校卒業して地元を出たあとっていうのはどういう生活を?

五十嵐 信一:
その後は予備校1年行って大学入って、その後就職してみたいな。何回か転職もしましたけど業界は同じようなところで。あれよあれよと40年近く向こうに住んじゃったなーみたいな感じですよね。早いよ、月日が経つのは(笑)

ゆいぴ:
うんうん(笑) 大学はどうでした?

五十嵐 信一:
大学は大学でそれなりに遊んでましたね。悪い遊びはしてないと思いますけど。

ゆいぴ:
何が一番楽しかったですか?

五十嵐 信一:
そうね、やっぱり友達と旅行に行けるじゃないですか。それこそ自分の車で、みたいな感じで。そういうのは行動範囲が広がるってわけじゃないですけど、楽しいかなっていう。そういえば高校のときも、旅行っていうか、青春18きっぷっていうのが自分らのときに売り出されて。初めてそれを使って各駅停車、または快速電車だけでぐるっと新潟回って長野回って埼玉回って帰ってくるみたいな。そんなことをやったりしてましたね、高校のときも。

ゆいぴ:
旅行は何が楽しいんですか?

五十嵐 信一:
そんなにグルメ好きってわけじゃないですけど。行ったその土地の雰囲気ってやっぱ、日本って土地的には狭いけど、地方地方によって特色っていろいろありますよね。そういう地元の人と触れ合ったりするのが楽しいかなと思うんですよね。どっか旅行に行ったとしても、夜の居酒屋さんはチェーン店は嫌なんですよ。どこにでもあるようなチェーン店では面白くないですね。そこのエリアのそこにしかないちょっとした居酒屋さんとか、そういうのを探していきたいなと思うんですけど。そういうところもなかなか少なくなってきてるよね。

ゆいぴ:
そのこだわりはどこから生まれたんですか?

五十嵐 信一:
どこからっていうか、学生の頃だったらチェーン店の安くてどうのこうのっていうのがメインになるかもしれないけど、行った先々でその土地の人の話を聞きたいなっていう、だんだん年を重ねるごとに。そういうチェーン店じゃないところの方がその土地の料理もあるじゃないですか、店ごとに。そういうのもいろいろ楽しめような年齢になってきた頃に、そういうふうに思いだしたかなって感じですよね。

ゆいぴ:
社会人になってからどんなお仕事をしてました?

五十嵐 信一:
業界的には理化学関連分野っていう感じかな。転職サイトとか見てもあんまり当てはまらないんですよね。職種とか業種とか出るじゃないすか、そこにあんまり当てはまらないから何になるのかなとは思うんですけど。大学の研究室とか企業の研究室とか、そういったところで分析装置など使われてると思うんですけど、そういった装置を販売したりとか。分析装置を動かす際の消耗品や試薬を売ったりとか。そういう感じの営業をしていました。

ゆいぴ:
その仕事に就いたきっかけは?

五十嵐 信一:
自分たちが学生時代に就職活動してたときって、就職はしやすい状況でしたね。バブル経済のちょっと前って感じなのかな。当時は家にリクルート雑誌がどーんといっぱい送られてくるんですよ。今みたいにネットで探してどうのこうのって感じじゃなくて、めちゃめちゃ昔の電話帳みたいな分厚いやつが10冊ぐらい送られてくるんですよね。どこでどう調べたか知らないですけど。そこでペラペラめくっていくんですよ、どんな企業があるかとか探して。なんか自分のイメージの中で日本企業は嫌だなと思ってたんですよね。それこそ朝礼して、毎日レポートを出して、業務報告は当然必要かもしれないんですけど口うるさく言われるの嫌だなって思って。そのリクルート雑誌をいろいろ見てたら、なんか面白そうだなって外資系だしと思って。他社の内定ももらってたんですけど、その外資系の理化学業界の方を選んでしまったんですね。

最初の会社に12年、13年ぐらいいて。転職は4回ぐらいしてるんですけど。初めの転職時には次に同じ業界の競合相手の会社に移ったら悪いよなーと思って、理化学系なんですけど分野がちょっと違う日本企業の会社行ったんですけど、やっぱ日本企業は合わないなと思いそこは1年で辞めてしまいました。また外資のちょっと違う会社に行って、そこはちょっとね、上司が女上司になって居心地悪いなと思って1年3ヶ月ぐらいで辞めて。最後の会社は14年何ヶ月間かいたんですけど、去年の3月で辞めたって現在に至ると言った感じっすね。

ゆいぴ:
最後の会社を辞めたのはなんで?

五十嵐 信一:
最後の会社は別によかったんですよね、14年もいたんで。一番最初の会社でもなんですけど、北海道に縁があって北海道はずっと担当してたんですよ。最初の会社から最後の会社まで考えるとトータル北海道を20年ぐらい担当してるんすよね。月に1週間、最低でも行ってたりとかするので、計算すると下手したら5年近く北海道に住んでたかなみたいな感じです。税金とりに来られないだろうかなみたいに思ったりするようなレベルかな。北海道での仕事は順調で土地柄的に自分に合うというかすごく良かったんですけど、最後の会社では北海道に加えて東北6県も担当して、毎週出張してたんですよね。出張先で次の週のホテルとかその先の週のホテルの予約、飛行機予約、レンタカー予約と全部自分でやってて、5、6年それをやってたんで段々疲れてきちゃってもう。元々自分こっち帰りたいっていうのもさっき話しましたけど、60過ぎてから戻ってくるよりは60前に戻った方がいいだろうなっていうのはずっと思ってまして。

ただコロナの時期があったんでなかなか辞めるタイミングを得られていなかったんですけど。最後の会社はコロナ感染症のPCR検査をする装置であったり、コロナに関連する商品を扱ってたのですごく忙しかったんですよ、売り上げも伸びて。そんな中外資なんで前年の数字を今年度落とすわけにはいかないとかどうのこうのがあるんですが、コロナは収束してその需要は減ってるのに数字目標は高いっていうような状況が続いて、精神的にめちゃくちゃやられたってわけじゃないんですけど、自分が福島に帰りたいタイミングとそういう時期が重なったのでいいタイミングかなと思って辞めて。今、地域おこし協力隊になったっていう感じです。

ゆいぴ:
どうですか?いろいろな経験を得てきた上での磐梯町は。

五十嵐 信一:
昔からこの辺は知ってるので、こんなもんだろうなっていうふうに思ってますけど。磐梯町がいいなと思うのは、IT化を進めてるじゃないですか。デジタル化っていうか。それが周りの市町村よりも突出しているかなと思うんです。ただね、この前ちょっと残念だったのは、住民票を取りたいなっていうときに、今だったら普通コンビニで取れるじゃないですか。デジタル化を進めてる磐梯町が、役場の人に聞いたら、ここでしかダメなんですって言うから(笑) あれ、なんか違うなと思ったぐらいで。ちょっとそこは残念だなって思いますが、ぜひともコンビニでも取れるようにしてもらいたいなと思います。

ゆいぴ:
確かに。

五十嵐 信一:
ばんだいコインとかはね、良い政策だなと思うし。ただ、布藤農産でも60代後半とか70代とかの人に聞くとあんまりやってる人がいないなって思いました。みんなが使えるような感じにならないといけないかなっていうふうに思ったりもしますし。あともうちょっとお店があったらいいですよね。食料品はいいとして、100円ショップみたいなとこ行きたいときあるじゃないですか。そういうのが難しいなって思いますけど。近隣にあるからいいんですけどね。家出て5分ぐらいのところに、ちょっとした何かを買えるようなお店もあっていいかなって思ったりしますね。

未来:どのぐらいかかるかわかんないけど500万とか600万とか貯金があれば、全部費やして船で世界一周してみたいですね。飛行機じゃダメ、船。

ゆいぴ:
未来についても聞きたいんですけど。

五十嵐 信一:
未来!?あんまり長くないかもしれないけど(笑)

ゆいぴ:
この先5年10年、さらにもっと先20年30年、最後に自分が死んじゃうところまで考えて、どんなイメージを未来に対して持っていますか?

五十嵐 信一:
未来はね、まず磐梯町に定住することは決めてるんですよ。関東は完全にまだ引き上げられてないんですけど、ちゃんと引き払って、こっちで家持って定住していこうというのは決めてます。その中で仕事っていうのも重要になってくると思うんですけど自分はもう60近いので、仕事をちゃんとやりたいとは思うんですけどちょっとそこは今、自分の中でもどうなるかなって不安材料ではあるかな。仕事をやったとしても65歳ぐらいになったら仕事もういいかなってなる気もするし。そしたら年金暮らしプラスどっかのアルバイトみたいな感じで、生活はそこそこやっていけるかなっていうふうには考えています。1人だし。ただ65歳までは何かしらちゃんと結果を残せるような仕事に就きたいなと考えてますし。ただ今ね、地域おこし協力隊としてやらさせてもらっててまだ3ヶ月ちょっとですけど、全く不安がないわけでもないし。やれることをきちんとやろうかなって考えているところでもあります。

あとはね、死ぬまでにお金に余裕があったら、もう65過ぎて仕事もやってなかったとしたら、船で世界一周したいね。どのぐらいかかるかわかんないけど500万とか600万とか貯金があれば、全部費やして船で世界一周してみたいですね。飛行機じゃダメ、船。

ゆいぴ:
なんで船で世界一周したいんですか?

五十嵐 信一:
船の旅っていいなと思うんですよね。飛行機って味気ない感じ。去年も仕事してなくて1年間プラプラしてたんですけど、キャンプをしに新潟からフェリー乗って車持って行ったんですよね。やっぱ船の旅がいいかな。もう何回も北海道へは行ってるけど、船で行くとやっぱり時間かかる分、着いたときの感動じゃないですけど、良いところ来たなっていうのは飛行機で着いたときよりも思えるかなって。

ゆいぴ:
ただの船旅じゃダメな理由は?

五十嵐 信一:
できれば世界一周したいなと思うじゃないすか。なかなか行けないよね、海外なんて。半年ぐらいかけてもゆっくりゆっくりいろんなとこ行けたらいいかなと思います。ちょっとね、月に行こうとしてる時代なのにレベルが低いかもしれないけど、月はいいやと思ってるね。

ゆいぴ:
もし自分の好きなことのジャンルに旅行っていうものが一切なかったら、どういう人生歩んでいると思います?

五十嵐 信一:
旅行がなかったら?なんか遺跡発掘でものんびりしてようかな、みたいな。でもあれも勝手にできないのかな?

ゆいぴ:
なんで遺跡発掘なんですか?

五十嵐 信一:
なんかね、歴史的なものも結構好きなので。どっかにものすごいものが出土してきたってなったらそういうのに携わってみたいなと思ったりするときもあります。

ゆいぴ:
今後こういう気持ちで生活していきたいとか、人生を送りたいっていうのあります?

五十嵐 信一:
気持ちはやっぱ前向きじゃないとダメだなと思いますよね。後ろ向きで落ち込んでるような生活してたらすぐ病気になっちゃうと思う。医者嫌いなんで、医者にかかりたくないから病気になりたくないんで。

ゆいぴ:
五十嵐さんにとって磐梯町ってどういう存在ですか?

五十嵐 信一:
磐梯町は大きな企業があることなど子供の頃から知ってますけど、やっぱり観光の面で言うと、今みなさんいろいろ頑張ってると思うんですけど、どうしても猪苗代町と会津若松市に挟まれているので。昔はその間に河東町とかいろいろあったりしましたけど、観光地的には素通りされちゃうようなイメージがあるんですよね。恵日寺とか頑張ってるのはわかるんですけど、磐梯町に来てから、時間あるから猪苗代や会津若松に行こうって人は少ないかなって思います。正直なところ。そういうふうには思うんですけど、磐梯町も昔とは状況が違うしもの凄く変化もしてるし自分も含めて頑張っていかなきゃいけないって思いますよね。まあ冬はスキー場とかは結構ね、今は星野リゾート系になってるし。この辺、会津地方で言えば北会津地区みたいな感じになるのかな。会津若松も含めて。会津出身ならではの感覚なのか全部自分の中では同じエリアっていうか、感覚なので。それこそ昔、会津藩が納めてたエリアなんで全部。そういう意味では全てのエリアが発展して相乗効果もあって会津地区、ましては福島県全体が会津磐梯町を中心に発展して行けたら良いなと思っています。自分も磐梯町に縁あって移住しましたので、少しでも力になっていけたらと考えています。

ゆいぴ:
最後に言い残したことっていうのを聞いてて。遺言みたいになってもいいし、記事を読んでる人へのメッセージでもいいし、インタビューの感想でもいいんですけど、何か最後に言い残したことはありますか?

五十嵐 信一:
特に今これだって思いつく言いたいことはない、っていう感じですかね。それが言いたいことみたいな。遺言みたいな感じで大きく考えたことないもんね。大層なことも言えないし、やっぱり今は特にないかな。

ゆいぴ:
はい、ありがとうございます。

あとがき

自分の生まれ育った土地にいずれは戻りたいと思うのは、ある意味の帰巣本能だったりするのでしょうか。私は親が転勤族だったので長く留まった土地がないのですが、青春時代を過ごした青森県は地元だと思っています。ただ、青森県にいずれは戻りたいとは思ったことないんですよね。そもそも地元の定義ってなんやねんって話ではあるんですけど。
「生まれも育ちも○○です」って一度は言ってみたかったですね。一つの地域にちなんだ思い出やエピソードがたくさんあるのは憧れです。顔なじみのおばちゃんに朝の挨拶をしながら学校に行って、放課後は近所の友達とあぜ道を駆け抜けて、暗くなったら「早く帰れー!」って軽トラ乗ったおっちゃんに怒鳴られて、みたいな少年期を来世は夢見てます。

【インタビュー・編集・あとがき:ゆいぴ】


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