心の材料『モト』研究家の人
東京の西に私は産まれました。私というのはqbcのことです。
私です。
さて私は、練馬区江古田で育ちました。日本大学芸術学部と武蔵野音大がある町です。西武池袋線の駅です。駅前には日本唯一と言われているイスラエルレストラン、シャマイムがあります。私は行ったことがありませんが。
駅前には、老舗の喫茶店トキがありましたが、もうすでに閉店しています。
そう、今回のインタビュアーはtokiさんです。
みなさんは、インタビュアーが誰かって、意識されて読んでいますか?
今現在、何人いるんだろ、5人? 8人? 分からない。
ただ、それぞれ個性のあるインタビュアーだと思っています。
その個性のあるインタビュアーが、個性のある参加者の方たちにインタビューする。無名人インタビューはわりかしストイックな世界で、自分の聞きたいことではなくて読者が読みたいことを聞けと教えていますが、まあ、第三者の脳みそを意識しながら目の前の(カメラオフのオンライン通話ですが)相手と話すのは、まあまあ想像力を酷使しています。
そういう中でも面白さを見出してインタビューボランティアに参加してもらっているインタビュアーのみなさんには、誠にありがたや。
ということで、感謝感激雨あられの無名人インタビュー、2022年の冬を迎えます。今回もお楽しみに!(主催:qbc)
今回ご参加いただいたのは 日南本倶生(ひなもとともき) さんです!
現在:『モトの話』を何とかして世界中に広まれへんかなみたいなことをやってます。
toki:今、何をしていらっしゃる方ですか?
日南本:僕、生活保護を受給してまして。ほぼ無職なんですよ。
ほぼっていうのは、障害を持っている人がケアをしてもらいながら軽作業をする、B型作業所っていう場所に通ってまして、月収で言うと5,000円ぐらいなんですけど。月収ですよ? なんでね、もう生活のほとんどを生活保護に頼ってますんで、ほぼ無職と言ってもいいんじゃないかなと。そういう現状ですね。
そういう生活をしながら、自分の経験をもとにね、わかったことがいろいろありましたんで、それを一生懸命本にしてるところでして。今、そんな生活をしてますね。
toki:1日の過ごし方としてはどんな感じですか?
日南本:作業所が1日のうち2時間ぐらいなんです。午前か午後かどっちか行くことにしてるんですけど。それ以外のデイタイムは、本を書く作業ですとか、連載関連の作業ですとか、そういった時間にあてつつ、あとは犬の世話と、それから僕ちょっと体悪いもんですから、体のケアをやってます。
toki:お体の調子が悪くて、作業所に通われているということなのでしょうか?
日南本:そうですね。ちょっと働けないもんですから。
先に言っておきますが僕、自律神経失調の関連でしてね、普通の人の10分の1ぐらいしかスタミナがないらしいんですよ。ものすごく疲れやすい体質らしいんですね。だから、1日に8時間普通の人と同じように働くと、1日80時間労働したのと同じぐらい疲れるらしい。ちょっと働けないんですよ。
作業場でね、座ったまま箱を折ったりとかね、紐を結んだりとか、そういう作業を2時間やっただけでも、普通の人が20時間やり続けたのと同じぐらい疲れているらしいので。そんな生活でも、結構疲れるんですよね。
そんな生活の中で、それでも頑張って本を書こうとやってまして。
toki:今のような生活の形になったのはいつ頃からですか?
日南本:3年前くらいからかな。
toki:ちなみに今おいくつでいらっしゃいますか?
日南本:今48歳ですね。
toki:ありがとうございます。最近一番力を入れていることっていうと、何になりますか?
日南本:もうとにかく僕が本に書いている内容なんですけどね、『モトの話』。「モト」はカタカナです。『モトの話』ってものを一生懸命書いてるんですけど、その『モトの話』を何とかして世界中に広まれへんかなみたいなことをやってます。
これだけが僕の今生きている理由といいますかね。もう一生かけてこれをやってから、もうできるだけたくさんの人に届けてから死のうと思ってます。
toki:その『モトの話』を書き出したのは、いつ頃なんですか。
日南本:実際に書き始めたのは45歳のときかな、もっと前かな。2019年ぐらいから書いてるんです。最初はブログに自分の思想を書き殴る形で書き始めて、それを1年ぐらい続けて、全部で100本ぐらい書いたんですけど。
それで、そのブログ記事をもっと広めるために何とか本にしたいと思って、それで本を書いてみたんですよ。全体の内容を1冊の本に、と思って書き始めたんですけど、12万文字書いたところでまだ半分しかいってなかったんですよ。12万文字って言ったら新書1.5冊分ぐらいあると思うんで、これはちょっとやばいなと思って、一旦ここで切ろうと思って。最初の半分だけやけど、そこまででも結構新しいことがガバガバ出てくる本なんで、それでもいいかと思ってとりあえずAmazonで出してみたんですよ。
で、鳴かず飛ばずと言いますか、もう何の話題にもならなくてですね。素人が初めて書いた本ですからね、今読み返してもひどいですよ。そんなんでね、友達にも読ませてみたんですけど、意味がさっぱりわからないと言われまして。新しすぎるんですよ、内容がね。誰も知らないことを一生懸命書いてるんで。新しすぎる内容をじゃあどうやって伝えるかっていう、その伝える技術がね、全然なかったもんですから当時ね……今でもそうなんですけど。
toki:ほうほう。
日南本:なんで、これどうしようかなと思って。それだったら、もっと内容をものすごく細かく刻んで、1日1つって決めてラジオ番組をやろうと決めたんですよね。それで、インターネットでね、ラジオ番組をやってる友達がいたんで、その子にやり方習って、1日5分ぐらいの長さで、1日1つのテーマに沿って喋るっていうことをずっとやりまして。毎日1本ずつ吹き込んで、1年かけて最後まで喋ったんですよ。
最後まで喋れたから、いける! と思って。じゃあこれ本にすりゃいいじゃんと思って、ラジオ番組で喋ったことを元にまた文字起こしする形で本を書いてみたんです。要は、本に書いたことを1回喋って、また本にしたんですよ。そういう活動をね、3年ぐらいずっとやってたんですけど。
toki:おお。
日南本:それで、ラジオの内容を文字起こしする形でその本を書いてたら、それだけで5冊になっちゃったんですね。最初の一冊が12万文字で、ちょっと多すぎたんで、短くしようと思いまして。ペラペラの冊子みたいなものを作ろうと思ったら、結局5冊になっちゃったんですけど。
その(新しい)5冊の本をね、1冊ずつAmazonで出す形にして、3,4ヶ月に1冊ずつのペースでずっと出して、それが今年の7月にやっと全部出し終わったんですね。
結構書きましてね、その僕のしてる『モトの話』っていうのを最初から最後まで全部文字にしたら5冊の本になっちゃったんですよ。そういう分量だってことなんですけど。
で、5冊書き終わったあと、ふっと(新しい)1冊目を読み返してみて、なんじゃこりゃと思ったんです。1冊目がひどかったんですよ。1冊目ってあれです、新しく書いた5冊のうちの1冊ですね。その1冊目をどうしようかなと思って、えいっと思ってもう1回全部書き直してるんですよ。それが今です。
toki:なるほど。ブラッシュアップをし続けているんですね。
日南本:そうですね。僕の話は、その5冊の本に書いたことだけで全部なんです。この5冊をしっかりしたものにしさえすればあとはもういいのかなっていう感じで。だから、話をずっと繰り返していく形に今後はなっていくと思うんです。そういう現状ですね。この『モトの話』をなんとかしてみんなに伝えていきたいなと、そういう活動です。
toki:5冊ってかなりの分量だと思うんですけど、書き上げたときはどういうお気持ちでしたか?
日南本:もうやり遂げましたね。あれですわ、なんて言うのかな、自分の中にあるものを全部出して、爆発四散してしまったような感じですね。爆発してしまって、何も残らなかった感じでした。去年の7月にも、Kindle版を表紙まで作って出して、ほいで宣伝もかけて、んで読みたいと思ってる人に一通り読んでもらって(3、4人ぐらいだったんですけど)、もうこれで一通りできることは全部やったと思って、1ヶ月ぐらいボケーッとしてたんです。そんな感じでしたね。で、そうこうしているときに、今までやってきたことは何だったのかなみたいなことで1冊読み返して「ガーン!」ってなって、じゃあもう書き直そうと思って9月から書き直して今に至ります。
toki:本の内容を広めたいというお話がありましたが、本の執筆って「この話をみんなに広めなくては」という使命感からやっているのか、それとも、書くことそのものが楽しいとか、やりたいとかそういう気持ちからやっているかでいうと、どちらの方が近いですかね。
日南本:ちょうど半々ぐらいだと思いますね。当然書くことそのものが自己表現になりますので。僕も市井の人間ですので、人に認められたくてたまらないんですけど。なので、自分の中にあるものを出して、皆に聞いてもらいたいって気持ちももちろんありますし。
それとは別に、その『モトの話』っていうのも、人生とは何かって話みたいなもんなんですけど、そういった話をできるだけたくさんに広めることが自分にとって一番有利になることだっていうのがすごくわかりましたので。だから自分のためにも、できるだけ世界中のたくさんの人に理解してもらおうと、そのための使命感みたいなものもちょっとありますね。
まあちょうど半分半分ぐらいかなと思いながら書いてます。
toki:「自分にとっても有利になる」っていうのは、もう少し噛み砕いて言うと、どういうことですか?
日南本:僕の『モトの話』は、自分が幸せになるためにはどうしたらいいのかを一生懸命考えた結果、生まれたものなんです。その結論は、この話をできるだけたくさんの人にすることによって、その人に幸せになってもらうことなんですよ。他人を幸せにした分だけ、自分が幸せになる。定量的な話なんですね。
幸せの内容自体はね、人それぞれだとは思うんです。例えばお金持ちになることが幸せだったりとか、愛に溢れた人生を歩むことが幸せだったりとか。自己実現を突き詰めていくことが幸せだって言う人もいると思いますし、女王様に耳もとで罵詈雑言をささやかれ続けてるときが一番幸せな人も世の中にいますし。
幸せの形自体はもう本当に人それぞれだと思うんですけど、それぞれの皆さんに絶対共通しているものは何かというと、心が幸せを感じていることなんです。この心が幸せを感じる機序はどういうものなのかっていうのを言葉で説明するために作ったのが『モトの話』なんですよ。
toki:ほう。
日南本:だから、幸せの形はどうであれ、万人共通の心の動き方のメソッドといいますか、そういったものなんです。で、僕はね、心っていうのは人と人の間で、具体的なやり取りが行われているものだと考えてまして(この辺からちょっと内容に踏み込んでるんですけど)。言われてもピンとこないかもしれないですけど、人間の心ってのには、物理的な量があると考えているんです。その量が人と人の間でやり取りされることによって、良い気持ちが出たり、嫌な気持ちが出たりするだろうっていうのが僕の考えなんですけど。
この考えに従っていくと、要はできるだけたくさんの人に幸せな気持ちになってもらうと自分自身が幸せになるんです。なぜなら、心には量があるからなんです。
こういう理屈でもって僕はできるだけこの『モトの話』を多くの人に伝えていかなっていう使命感みたいなものを持ってるわけです。
toki:なるほど。『モトの話』を広めて、他の人が幸せになることによって、日南本さんご自身にも幸せが返ってくる、だから『モトの話』を広めることが「自分にとっても有利」と。そういうことですね。
では今、何もストレスがなく楽しいっていう状態を100%だとすると、今の自分の生活の楽しさって、何%ぐらいになりますか。
日南本:将来こうだったらいいなっていうことはいろいろあるんです。僕、体が悪いんでね、良くなったらいいなと思いますし。犬を飼ってるんですけど、犬の世話もままならないぐらい体が駄目なときもありますんでね。あとは、貧乏なのでお金持ちになりたいなとちょっと思ってますし、本がばかばか売れたらいいなみたいなことも思ってるんすけど。
それも含めてね、不満というか、将来こうなりたいなっていう気持ちはあるんですけれども、ストレスに関してはもうほぼゼロですね。
社会的に恵まれない境遇ではあると思うんです、客観的な見方をするとですね。ただ、そういう生活をしている僕自身がストレスを感じているのかと言われると、もうノーと言ってもいいですね。ストレスはゼロです。
toki:おお、ゼロなんですね。
日南本:なぜかといいますと『モトの話』を知ってるからなんですよ。
心というものの正体って、マニュアルがないじゃないすか。説明書といいますか。
例えばね、テレビを見てて急に映らなくなったとき、説明書見るじゃないですか。説明書を引っ張り出してきて、「故障かな? と思ったら」って書いてあるでしょ、一番最後のページ。あそこ見るじゃないですか。「テレビが急に映らなくなったら、電源プラグを挿し直してください」とか「リモコンのボタン押してください」とか書いてあるわけでしょ。
でも、僕たちの心って、生まれつきついてるもんで、生まれたときに「はいこれトリセツね」って説明書渡されるわけじゃないじゃないですか。だから、僕たちの心が、例えば「なんでかわかんないけど心が苦しい」「何だかわからないけどストレスを感じてる」っていう状況ってあると思うんです。僕もたくさん経験してきましたけど、そういうときに引っ張り出してきて読む説明書がないんですよ。ないですよね? なければ作ろうと思って作ったのが『モトの話』なんです。だから、僕は『モトの話』があるのでストレスフリーです。
toki:自分の心をどのように取り扱えば良いか、その説明書を持っているということなんですね。
日南本:そうです。だから、『モトの話』の1冊目も『ニンゲンのトリセツ』っていう、そのままのタイトルを付けてるんです。
心の中で起こってることに関する本って、スピリチュアルであったり、哲学であったり、「こういうことが起こったらこういう気持ちになるね。だから人にはこうしましょう」っていう、そういうことが書いてあるじゃないですか。僕の本はそれらとどう違うのかっていうと、心というものがどういう機序で動くのかってことを、きちんと定量的に書いてあるんですよ。マニュアル本なんです。
書く時には、癒し要素を絶対に入れないっていうのを決めてたんですよ。例えば心が苦しいときはこういうことを考えましょうね、世界は平和だったらいいよねみたいな、そういうのは一切排除しようと決めて。とにかく理屈だけを書くっていうことにこだわって書いたんです。だから本当に、ガチガチのマニュアル本みたいになったので、タイトル考えるときには「もう『ニンゲンのトリセツ』でいこう」って。
日常生活で、ストレスを感じること自体はちょいちょいあるんですよ。例えば、嫌な奴がいるとか、道路であおられるとかあるんですけど。そういう時、自分の心をどういうふうにしたらいいのかっていうのがマニュアルがあるのでわかるんですよ。マニュアル通りにやればいいんです。説明書の「困ったな? と思ったら」のところを、ペラッて見たら書いてあるみたいなもの。その通りやってます。
toki:本の趣旨を、ざっくりですけど掴めた気がします。
日南本:ありがとうございます。なかなかね、ここまでの説明でも理解していただける方いないんですよ。そんなわけないじゃんって思われて終わることがよくあるんで。そんなもの作れるわけないじゃんって言われて、それ以降何のアクションも無い方、結構いるんですね。
そりゃそうだろうなとは思うんです。僕みたいな、社会的地位が1つもなくて、お金も全然持ってない人間が、「人生の謎を解き明かしたよ」とか言って信じられるわけがないじゃないですか。逆の立場だったら信じられないですよね。馬鹿じゃねえのこいつって思うと思うんです。
そう思われているだろうな、と思いながらやってるんですわ。だからそこまで聞いていただいて、それで理解を示していただけること自体、本当にありがたいですね。
過去:あのとき1回人格が崩壊するの感じましたね。今までの僕は全部間違ってたんだって
toki:小さい頃は、どんなお子さんでしたか?
日南本:嫌な子供でしたね。気が小さい人間なんです、僕。母親に叱られるのが本当に嫌で怖かったんですね、母ちゃん怖い人だったんで。とにかくいい子でいないといけないってプレッシャーがすごかったですね。
だから、鼻持ちならない人間だったんです。世の中の間違ってることは僕が正さなければならないって。品行方正なとてもいい子っていうのをずっとやってたんですよ。だから、友達がいなかったんですね、ひたすら。ひたすらずっと1人だったんです。そういう子供でしたね。何か良くないことが起こったら、もう完全に隠蔽したりとか、嘘をついたりとか、誰かのせいにしたりとかね、そういうことをする人間だったんです。嫌な子供だったと思いますよ。
toki:嫌な子供っていうのは、”周りの人にとって”嫌な子供だったってことですか?
日南本:そうです。僕自身も、そういうことをしているってのは自覚がありましたし。周りの人見てると楽しそうなんですよ。僕ちっとも楽しくなかったんです、生きてて。もうただひたすら母親が怖いだけの子供だったんで。
で、まあ学校とかに通うようになるじゃないですか。小学校とか入って、友達みんなが集まって遊んだりしてるけど、僕は輪に入れなかったんですよ。全くね。僕はこんなに品行方正で素晴らしい人間なのに、どうして誰も友達になってくれないんだって思ってて。僕は正しい生き方をしてるはずなのに、周りの人の方が楽しそうなのは何でだろうなっていうのは、ずっと子供の頃から疑問で。
疑問だけど自分のやり方しか知らないんでね、とにかく母ちゃんとか先生とかに怒られたくないってところに、すごいこだわりみたいなのがありましたんで。そういうんだから、鼻持ちならない子供だったと思います。
toki:怒られたくなくて、良い子として正しい生き方をしているのにも関わらず、友達の輪には入れないと。
日南本:そうですね。だって、みんなは悪いこととかやるじゃないですか。怒られても結構へへっみたいな感じで平気じゃないですか。信じられなかったんですよ。もう叱られたらそれで人生が終わりだぐらいに思ってた。
toki:怒られることへの恐怖心がすごく大きかったんですね。
日南本:そうですね。その裏返しで、怒られるようなことをする周りの奴らを、完全に見下して生きてたんですよ、もう子供ながらにして。お前らより俺の方が優れているぞと思ってるから、その馬鹿な人たちの輪には入りたくないじゃないですか。そういうことを考えたんですよ。今思うと馬鹿だなと思うんですけど、そういう子供でしたね。
本当にずーっと、小学校の頃から友達づきあいをするのがものすごい下手で。その割には寂しがりなんですよ。だから今思うとね、本当はあの輪の中に入って馬鹿なことをしたかったんですよ。けど、なんやろう、周りの人間より自分の方が優れているってプライドで生きてたんで、できなくて。どうしたらいいかわからなくて、寂しかったんです、ずーっと。そういう人生が高校生ぐらいまでずっと続きましたね。
つまんなかったですよ。もう学校が本当につまらなかったです。
toki:そこまで、自分の方が周りの人よりも優れているって思うことができた、その根源って何だったんですかね。
日南本:あのね、勉強ができたんですよ、中学の頃までなんですけど。中学の頃までは学年でダントツ1位の成績をとってたんです。
で、調子に乗って、高校は地域で一番頭のいいとこ入っちゃったんですよ。そっから間違ってたって気がついたんです。なぜって、高校に入ったら僕の成績最下位だったんですよ。その中学では1位だったんですけど、その地域の中学校ってあんまり成績が良くない学校だったんですね。要は井の中の蛙だったんですね、僕は。
高校にポーンと入ってよしここでも無双してやるぜと思ったら、どんなテストでも最下位になったんですよ。数学で0点取ったんですよ……「そんな馬鹿な!!」って思って。
あのとき1回人格が崩壊するの感じましたね。今までの僕は全部間違ってたんだって、あのとき、愕然としたんですよ。それまで自分が頼っていた成績ってものがスポーンってなくなって。プライドを維持するための仕組みが一つもなくなったんですよ。そこで僕、どう生きたらいいのか全くわからなくなって。
性格がもともと良くなかったわけですよね。だから、高校に入っても当然友達ができるわけもなく、ずっと1人だったんです。しかも嫌な奴だったから、向こうから興味持ってアクションかけてきたの、全部はねのけちゃったんですよ。だからもう本当に、高校3年間友達らしい友達があんまりできなくて。
ただ、そういうの何とかしたいと思ってたのもあったし。だから部活には入ったんですよ。吹奏楽だったんですけど。吹奏楽部だからね、人数そこそこいるんで。学年の中でも何人かはね、顔見知りというか、喋ってくれる友達みたいなのは、3年生の最後の方には出来たんですけど。
1年生のときにガビーンってなって、どう生きていいかわからなくなって、そっからいわゆる自分探しみたいなことを始めまして。僕はどう生きたらいいんだろうってことを真剣に考え始めたのがその頃で。
toki:ほうほう。
日南本:どうやったら友達ができるんだろうみたいなことをずっと考えて。最初は、魅力的な人の真似をすることから始めたらいいんじゃないかって考えて、そういう生き方を目指してましたね。だから、高校生の頃は嫌な人間から脱却するためにどうしたらいいのかっていうことを真剣に考えた時期でもあって。
ただうまくいかなかったんですよ、あんまり。それまでやったことないことだけをやり続けなければならないっていうちょっと難しいシチュエーションだったので。しかもね、進学校だったんで、成績が最低の人間である僕にあんまり「人権」がなかったんですよ。それで性格があまり良くない上に、見た目もすごい悪いんですよ。太ってて眼鏡なんで。しかも汗臭かったんですよ。だから周りに「誰も近寄れない輪」みたいなのがいつもできてたんですけど、そういうタイプの人間だったんで、そっから皆と仲良くして高校生活楽しくやっていくぞって無理だったんですよ。3年間かけて一生懸命頑張って、ほぼなれなかったんですね。最後の方は、さすがにもう3年も一緒に部活やってる同級生の仲間は、そこそこ楽しい付き合いみたいなことをさせてもらったし、その子らの良いところを取り込もうみたいなことを、頑張ってやってはみたんですけどね。
そんなこともありまして、高校3年間女の子と一言も喋ったことないって記録みたいなものを達成しまして。もう記録だと思います。共学だったんですよ。で、女の子の比率が高い吹奏楽部に入ってたにもかかわらず、女子と喋る機会が1回もなかったっていう寂しい高校時代を送りました。そんな子供時代ですかね。
さっきの『モトの話』に戻りますけど、僕は『モトの話』を30年間考えましたってよく言うんですけど、考え始めた原点がその17歳ぐらいの頃かなっていう。
その頃が、だからもう僕の原点といいますか。自分の中にあったもの何もかも剥ぎ取られてポンッて集団の中に放り込まれたあの経験が、僕の思想の原点になってるんじゃないかなと思います。
toki:高校生活を送る前は、プライド高く生きようとされていたわけじゃないですか。それは、物心ついた時からずっとそうだったんですか?
日南本:そうですね。根っこにあったのは、さっき言った通り、周りの人に怒られたり馬鹿にされたりするのが怖い気持ちだったと思うんです。怖がりだったんでね。だからこそ、品行方正で正しい人間でなければならないみたいなプレッシャーで生きてきましたね。
だから、周りの人間は俺よりも劣っている、見下される人間なんてことを常に考えてました。本気で考えてたんですよ。それがポンってなくなったのが高校生です。
toki:どうしてそんなに怒られるのが嫌だったんですかね。
日南本:単純にうちの母親がすぐ叩く人だったんですよ。もう物心つく前から、粗相したら必ず叩くって教育方法をわざととってたらしくて。もうとにかく痛いのが嫌なんで、叩かれるのが怖かったんですよ。そこからですね。
お母さんの機嫌を損ねて叩かれることが、もう3歳ぐらいから恐怖の塊みたいな感じですね。そこから派生して、例えば先生に叱られるんだとか、同級生とかに馬鹿にされるとか、そういったことはもう、僕の中では人生が終わるぐらいの恐ろしい出来事だなって意識でしたね、今思うと。
toki:ちなみに、家族構成は?
日南本:30代の頃に両親が亡くなったんですけど、家族構成自体は兄が1人と両親ですね。4人家族でしたね。
toki:小さい頃、ご家族との関係はいかがでしたか?
日南本:もう父親がね、変人だったんですよ。今思うとね、すごくすごく不器用な人だったんだなと思うんですけど。なんやろう、よく喋る迷惑な碇ゲンドウみたいな男だったんですよ。喋らなかったらいいのにと僕はずっと思ってて。喋るたんびに自分の自慢話だったりとか、会社での自分の活躍だったりとか、そういう話しかしない男だったので、もう辟易してたんですよ。今考えると、いかに自分が素晴らしいかを一生懸命アピールしてたんだと思うんですね。
大人になって分析してみてわかったんですけど、僕も子供の頃、同じことをしようとしてたんだと思うんです。母親に叱られないために、いかに自分が素晴らしい人間であるか、一生懸命周囲にアピールしてたんだなって。多分父親譲りなんだと思います。
そういう人間だったんで父親は家族からも凄く浮いてたんですよ。なんで父親VS母&僕と兄みたいな関係ですね。
toki:ちなみにお兄さんとのご関係はいかがでしたか。
日南本:あの男はね、僕のことはそれなりにかわいがってくれまして、2つ上なんですけど。
なんていうか、あいつは僕とは正反対の性格してましてね、気さくでいい男なんですよ。周りに常に友達がいっぱいいて、学校終わったあとわざわざね、家に遊びに来るんです兄貴の友達が。わいわいやってて、外に野球しにいったりサッカーしにいったりもしてたし。自分から行くんじゃなくて、向こうから来るタイプの人間だったんですね。
ちびっ子の頃はそんな兄貴より僕の方が「正しい」んだというぐらいのことを思ってたんです。けど、中学生の後半とか高校生ぐらいになって、その自分の何もかもがなくなってしまった後、兄貴の方が絶対正しいってのはすごい感じたんですよ。
この生き方をしなければならなかったんだって気づいて、でもやり方が全くわからないので、不思議だったんです。あいつがいつも、どうして異性にも同性にもすごいモテるのかがすごい不思議で。今だったらね、当たり前のことを当たり前にしてるからってのがわかるんですけど、当時の僕にとっては、兄貴とはとても不思議な男でしたね。
toki:ありがとうございます。
高校入学が原点とのことでしたが、高校卒業後はどんな人生を歩まれたのですか?
日南本:僕、地元が福岡県北九州市って場所なんですけど。北九州市の高校出て、家がそんなに金持ちじゃなかったんで、大学を進学することにはしたんですけど、進学した先が東京だったらね、お金かかるし嫌だなと思ってたら、その年たまたまね、地元の大学が吹奏楽の九州大会で優勝して、全国大会に出ちゃったんですよ。
あ、この大学なら吹奏楽もできる! と思って、そこに即決しまして。僕、受験勉強をね、3年生の10月から始めたんですよ。推薦とかそういうのは何もなかった時期だったし、アホでしょ。それまで全く何もしてなかったんですよ。大学行くかどうかも決めてなかったんで。ただ、その大学行くって決めちゃったらもうそっからバーって勉強始めて、その大学で自分が得意な教科で何ができるかなって考えて、結局外国語学部に進んだんです、英語専攻なんですけど、英語しか成績がなんとかなるものはなかったので。なんとか一番下の補欠で潜り込めたんですよね。
そこで初めて、自分を変えてやるぜって覚悟を決めまして。結局、学校の勉強そこそこに吹奏楽部にべったり入り浸る形になるんですけど、そこでいわゆる「大学生デビュー」みたいなことをしたんですよ。それまで、ぼっちの寂しい男だったけど、みんなと仲良くワイワイやれる人間を演じてやるぜみたいな感じで、「大学生デビュー」するぞって決めてやったんです。その結果、わりと友達ができたんですよ。これだっていう感覚が、その時初めてありまして。
ただ、やっぱり作りものだったんですね。僕の中ですごい違和感があったというか、今までの自分と全然違う自分をあえてやってる感覚ってのがずっとあって。これは素の自分じゃないなっていうのはどこかにずっとあったんですね。
周りの人らはね、やっぱりある程度素の自分で生きてるんだろうなってのはわかるんです。そういう人たちを見ながら、演じている自分ってのに違和感を感じてて。じゃあどう生きていったらいいんだろうなみたいなことを、ずっと引きずって考えながら、本を読んで、また考えてみたいなことしてましたね。
おかげさまで大学4年間は吹奏楽べったりですごく楽しく過ごせたんですけど、一方で勉強の方が全くおろそかになってたんです。
大学4年生の生活って、大体ゼミで論文を書きながら、就職活動をするものじゃないですか。その辺が大体夏ぐらいに収まったら、みんなで卒業旅行の計画立てたりとか、そういうのが大学4年生の標準的なモデルとして当時の僕にはあったんですけど……僕、大学4年生のとき週16コマあったんですよ、成績を落としすぎて。ほぼ毎日、1限から5限まで学校におらなあかん状態になったんですよ。だから就活も卒論もできなかったんですよ。それどころじゃなかったんですよ、卒業するのに必死で。
で、うちの大学、幸いなことに、単位の数があれば卒論書かなくても卒業できるっていう謎のシステムがあったんですよ。これを利用するしかないと思って、ゼミも1回も出ずに、卒論そっちのけで、とにかく単位だけ取りまくったんですよ。で、まあ何とか卒業に至ったんですけど……さすがに週16コマあったら就職活動がままならなくてですね。しかもね、その前後にちょうど就職氷河期が始まったんですよ。僕は97年卒なんですけど、先輩も確かに就職にかなり苦労してらっしゃったんすけど、僕の卒業した年に証券ショックみたいなのがあって、さらに就職活動厳しくなったんです。だから全く就活をやってない僕なんか、居場所があるわけないんですよ。100人の応募に2席とかしかなかった時代ですから。
就職活動できるやつは、もう春ぐらいからエントリーシート投げまくってて、そんな中、就職活動全くできなかった僕が就職できるわけもなく、そっからずっとフリーターやってますね。
当時、「フリーター」っていう考え方そのものが新しくて、でもアルバイトでも生きていけるぜみたいな風潮がちょっと出来かけてた時期だったんだよね。だからこのウェーブに乗ってやるぜと思って。そっからずっと、34歳のときまでフリーターをやりましたね。
ただ大学出た後に、就職率98%って書いた専門学校を見つけたんですよ。あまりに職がないので、そっちに入ろうと思って、大阪にあるその学校に移ったんです。
toki:何の学校だったんですか?
日南本:何の学校だったかというと、アニメ声優の養成所だったんですよ。馬鹿でしょ。でも就職率98%って書いてあるからね、このご時勢でそれだけいけているなら行ってやれって、1年バイトして金ためて、勢いで行ったんです。その時に初めて九州の地元を出て、大阪に移り住んで、今も関西に住んでるんですけど……もちろん就職率98%は、当然そんなことなかったんですけど。
たしかにそっから面白い勉強を1年間させてもらったんですけど、アニメ声優としては鳴かず飛ばずのままフリーターをずっと続けることになりまして。2008年かな、リーマンショックで首切られたんですけど、それまでずっとフリーターだったよね。貧乏だったんですよ。
貧乏エピソードが2つあるんですけど、まず1日3食うまい棒生活をしたことがあるんですよ。
toki:それは…かなり大変ですね。
日南本:本当に何にもないんですよ。お金も食べ物も何にもなくて。だからコンビニに行ってうまい棒をを買ってきてっていう、そういう生活をしばらくやったりとか。
あとね、一番困窮してたときは1ヶ月50円生活になったことがあるんですよ。
toki:1ヶ月ですか?
日南本:そうなんですよ。すごいでしょ。誰も経験したことないと思うんですよね。家賃と光熱費を、当時のバイト代からポンと下ろされたら50円しか残らなかったんですよ。その次の給料日までの50円でやらなきゃいけなくなって、不可能じゃないっすか。
ただ、当時たまたまコンビニで深夜アルバイトしてたんですよ。社員さんには廃棄したものは持って帰っちゃ駄目よ、捨ててねって言われたんすけど、社員さんがいない隙を見計らってカバンの中にガサガサってパンとかお弁当とか廃棄物を詰めてって、それを食って1ヶ月しのぎましたね。意外とそれで満足して。
これはちょっと極端な事例ですけど、ずっとそんな調子ですね。今でもそうですけど。お金持ちになったことがないんです。
未来:だからもう今100%です。自分大好き人間です。
toki:5年後とか10年後とか、何年後でも、死ぬときまでにでもいいんですけど、どうなっていたいとか、こういうことをしたいとか、ありますか?
日南本:もう僕は、死ぬまで『モトの話』だけをし続けようと決めてるんです。だから5年後も10年後も、生きてさえいればきっとしてると思います。
toki:それだけをしていたいんですか。
日南本:そうですね。本が売れたらね、クルーザー乗り回して船上寿司パーティーとかやりたいなと思ってはいますけど、それがそんなにやりたいわけではなくて。『モトの話』をたくさんの人に伝えた結果、そういうふうになれたらいいなぐらいの、ちょっと憧れみたいなものがある程度ですね。そうなりたいわけではなくて、僕自身はできるだけ死ぬまでにたくさんの人に『モトの話』を伝えたいなと思ってます。
toki:こういう人になりたいみたいな、内面的な部分についてはいかがですか?
日南本:僕は、人間の究極の生き方ってのは、『強くて優しくて賢い』ことだと思ってるんです。だから常にそうありたいなと思ってますし、そうなれるならばなそうなりたいですね。
それは体が強い弱いとか、メンタルが強い弱いとか、そういう話でもなくて、なんというんですかね、人から好かれる人になりたいんだと思いますね。人に好かれるにはどうしたらいいんだろうっていうのは若い頃から常に考えてきたんですけど、結局好かれる人って自動的に好かれるわけじゃないですか。そういう側面がやっぱあると思うんです。うちの兄貴の話もそうですけど、好かれる人って自動的に好かれるんですね。
なぜ自動的に好かれるのかというと、その人がそういう人だからなんですよ、逆説的な話になるかもしれないんですけど。だから、そういう人であることがまず大前提な訳ですね。人に好かれたいという欲望は誰でもあると思うんですけど、そのためには自分がちゃんとしてることなんです、やっぱり。
そのためのマニュアル本として作ったものが『モトの話』。だからできるだけね、皆さんにこれを読んでいただきたいなと思ってます。
toki:ちなみに、今の自分はどんな人だと思いますか?
日南本:昔よりマシな人っていう認識です。
きっかけがありましてね。僕、41歳のときに『大人の発達障害』の診断が出たんですよ。ASD(自閉症スペクトラム障害)っていうタイプなんですけど。でね、ASDってものすごく個人差があるんです。この人はこういう特徴、この人はこういう特徴、でもみんなASDだよ、ってね。
僕の場合は、例えばこだわりが強いとか、人の気持ちを読むのが苦手だとか、教えられるまで自分のやってることに気が付けないとか、そういう特徴があるらしいです。だから僕今までめちゃくちゃだったんだなっていうのに、その時初めて気がつきまして。
toki:はい。
日南本:その後、病院に附属のデイケアがありまして。社会性訓練、略してSSTをやってくれる病院だったんで、無職だったのをいいことにそのデイケアに通い詰めて、SSTをみっちり3年間学ぶことができたんです。
そこには、人に好かれる良い人になるにはどうしたらいいかっていうマニュアルがあったんですよ。笑顔を他人に見せましょうとか、必ず挨拶をしましょうとか。当たり前のことじゃないですか。僕も知識としてはあったんですよ。人には挨拶すべきだとか、人には笑顔を見せるべきだとか、頭にはあったんですけど、それが行動に全く結びつかなかったことに気がついてなかったんですよ。それに気がつく機会になりましたね、そのデイケアは。
で、その3年かけてみっちりね、たたき直されるといいますか。例えば、別室に連れて行かれてね、「日南本さんはああ言ってたけど、あんなふうに言ったら、あの人どう思うと思う?」みたいなこと担当スタッフに言ってもらうんです。そう言われるまで、僕には「自分ではわからない」っていう特性があるんで、その時に「そうか、あの人傷ついてたんだ」と初めてわかるんですよ。そういう訓練を3年みっちりやりまして、スタッフさんには「ちょっとマシになった」っていう評価をいただきました。
toki:なるほど。今「日南本さんってどんな人間ですか」と聞かれたら、何と答えますか?
日南本:変人だと思いますよ。
toki:いろんな変人がいると思うんですけど、どんな変人ですか。
日南本:なんだろう、独自のやり方にすごいこだわりがあるといいますか、なければ作ってしまえと思ってしまうタイプの人間なんですよ。
例えば、家にある必要なもので、買うと高いなと思ってるのは、大体100均で買ってきたものを組み合わせて作っちゃったりするんで。お金がないっちゅうのもありますけどね。
なんで、その点に関しては多分周囲からはちょっと浮くのかなと思ってまして。独自のやり方にこだわりがあるっていう点で、ちょっと変な人だと思われてるだろうなという自意識も僕の中にあります。
toki:自分のことがどれくらい好きかを%で表すとしたら、何%になりますか?
日南本:100パーです。大好きです。
昔は嫌いだったんです。発達障害の訓練を受けるまでは、大嫌いでしたね。変わりたいのに変われない自分が本当に嫌で、0%でしたね、本当。自分が死ぬのは嫌なんで、世界中の人間が滅びないかなと思ったんです。滅びるとしてもマクドナルドとファミリーマートが無くなったら困るので、それだけを残して全人類滅びないかなと思って生きてたんです。それぐらい0%だったんですよ。
でも、社会性訓練を経て、周りの人も同じことで悩んでるんだなっての、初めてわかったんですよ。だから、それに気がついて、自分のやってることを総ざらいして、初めてやっと自分を好きになることができましたね。だからもう今100%です。自分大好き人間です。
toki:社会性訓練を受けたことが一つのターニングポイントだったんですね。その訓練は、大人の発達障害の診断が出たから、受けることになったんでしたっけ。
日南本:そうですね。元々、僕、電話恐怖症だったんです。とにかく電話が怖くて。電話で聞いたことが右から左に抜けてしまう特徴があるんですよ。今なら自分の特徴として把握してるんですけど、その当時そんなこと知りもしませんでしたから、なぜ自分が電話が得意じゃないのかわかんなくて、とにかく怖かったんですよ。
で、フリーターやってるときにバイト先で電話番を任されることになりまして、嫌でしょうがなかったんです。だから、何とかしなきゃと思って最初に心療内科に行ったんですね。そこが僕の精神治療の最初なんですけど。そっからその電話恐怖症の治療をやりつつ、鬱もあるねっつうんで鬱病の治療もしつつ。
でもなかなか改善しないというか、何年治療しても全然よくならないんで、おかしいなと思ってて。先生に相談してみたら、じゃあ検査を受けてみればって言われて検査したのが41歳のとき。そこで発達障害の診断が見事に出てきたんですよ。そんな感じでしたね、治療に関しては。
toki:なるほど、ありがとうございます。
『モトの話』のことに少し戻るのですが、『モトの話』のようなことは、高校生の時から考えていたとおっしゃっていましたよね。
日南本:そうですね。
toki:その考えが、『モトの話』として形を成したのはいつだったんでしょうか?
日南本:あのね、大学卒業してから、社会人1年目か2年目のときに、僕の『モトの話』のきっかけとなった本に出会ったんです。ニール・ドナルド・ウォルシュっていう人の『神との対話』ってシリーズで。その本を初めて人に紹介されて読んだときに、もう何て言うんすかね、人生であれほど衝撃を受けたことはなかったですね。もうすごい衝撃だったんですよ。
どんな本か簡単に紹介しますと、そのニール・ドナルド・ウォルシュって人生に悩んでる著者が、神様に対して怒りの手紙を書くんですよ。「僕の人生はひどい。お前が僕を作ったからだ」って書いたんですよ。そしたら、頭の中に文字が浮かんできてね、続きが書けちゃったんですって、神様から返事が来て。でね、神様から返事が来たのを自動筆記したんですよ。そういう書き出しなんですけど。
本当か噓か知らないですよ。ただ、そのオカルト的な出来事が嘘であったとしても、そこに書かれてる内容は本当に衝撃的だったんですよ。なぜだか僕は、初めてその本を読んだとき、「これ教科書ガイドだ」って思ったんですよ……教科書ガイドってご存じです? 学校の教科書にのってる演習問題とか、あれの答えと解説が全部書いてある本。
toki:ありましたね、そういうの。
日南本:僕、『神との対話』を初めて読んだ時、「これ教科書ガイドだ」と思ったんです。なぜかっていうと、人生のマニュアル本みたいなものだったんです。あなたの人生というのはこういう仕組みでできていますよ、だから今あなたはこうなんですよってことが書いてあるんですね。ニール・ドナルド・ウォルシュへの返事として。
で、じゃあ社会というものはどういうものなんですかって質問すると、その答えがまた書かれてみたいな、そういう内容でずっと進んでいくんですけど、「どうして私は貧乏なのですか。金持ちになるにはどうしたらいいのですか」とか、「宇宙人やUFOはいるんですか」とか、そういう(ゲスい)質問に対する神様の真面目な答えが、びっちり書いてある本だったんですよね。で、そこに僕の知りたい情報が全部書いてあったんですよ。びっくりして。僕はどう生きたらいいんだろう、人というのは一体何なんだろう、なぜ生命というものがあるんだろうって、それまでずっと悩んでいたことの答えが、全部書いてあったんですね。
toki:すごい本ですね。
日南本:ただ、ニールの個人的な質問に答える形式だったから、順番がバラバラだったんですよ。理解するのに時間がかかりまして、それこそ何十回も読み返しましたね。
それで、ニール・ドナルド・ウォルシュのこういう本があるんだったら、僕ももしかしたら作れるんじゃないかと思って、ずっと考えて、考えに考えてできたものが『モトの話』なんで、そこが原点。『モトの話』のそのものの原点はそこにあるといいますかね。その本の影響を強く受けてるのは感じます。
toki:なるほど、ありがとうございます。
毎回、皆さんにもしもの未来っていうのをお尋ねしているんですが、2つお聞きしたいと思います。まず、もしも高校に入学してもなお、一番の成績を取り続けていたとしたら、その後の人生ってどういうものになっていたと思いますか?
日南本:鼻持ちならないまま今に至るでしょうね。多分、そのまま会社に就職したりとかして、いわゆる嫌な上司をやっていたと思います。部下の手柄を横取りしたりとか、自分の言う通りに動かない、正しいことを言うけど自分の言う通りにやってくれない人とかを左遷したりとかね、そういうタイプの嫌な上司になってただろうなと思います。だからよかったですね、あそこで挫折してて。
toki:もう1つ、もしも自分が大人の発達障害だということを知らず、社会性訓練を受けることができていなかったとしたら、その後はどんな人生になっていたと思いますか。
日南本:多分、今でもマクドとファミマ以外の人類が滅べと思っていたと思います。1人で周りの人を見下しながら腐って生きてたんじゃないかなと思いますし。
あとね、最近なんや、不特定多数を狙った独り者のテロみたいな事件ってちょいちょい起こるじゃないですか。そういう人になっていたかもしれないなっていうのは思いますね。
だからこそ、そういう人が少しでも減ればいいなっていうふうに思ってます。そのために『モトの話』が絶対に役に立つはずなんで、できるだけたくさんの人に届けたいなと思ってます。
toki:ありがとうございます。そろそろインタビューも終盤ですが、最後に何か、言い残したことや、もっと話したかったことがあれば、お伺いします。
日南本:僕は心の材料『モト』研究家、通称モトおじさんっていう肩書きでやってるんです。だから、これから『モトの話』だけをずっとし続けていくはずなんで、どっかでね、目に触れていただけたら、ぜひお話を聞いていただきたいなと、ぜひ皆さんにお伝えしたいなと思ってます。それ以外のことは何も考えてないです(笑)。
toki:ありがとうございます。では、これでインタビューを終わります。
日南本:ありがとうございました!
あとがき
今回のインタビューは「わかること」が一つのキーワードだったような気がします。
わからない状態って、人を不安にさせますよね。
今の自分の気持ちとか、将来のこととか、あの人が何を考えているかとか、この人にどう思われているかとか。答えが一つではないもの、調べたって答えがわからないものに関してはは特に。
調べても無駄だとわかっていながらも、「やる気でない なぜ」とか「元気 出す方法」とか打ち込んで、googleの検索窓に救いを求めてしまったり。検索候補に出てくるワードをみて、同じようなことを考えている人がいるんだなあと少し安堵しつつも、根拠のよくわからないWebメディアのコラム的なものを読み流して、ああ結局何も解決しなかった、ただ時間だけを無為にしてしまったなあと、余計にむなしい気持ちになったり。そんな経験ないですかね。
でも、そんなわからないに振り回されている状態でも、誰かの何気ない一言だったり、ふと目に入った本の一文によって、「だから今自分はこんな気持ちなんだ」ってちょっとわかっただけで、なんだかほっとした気持ちになれたりしますよね。
今悶々としている理由がわかったからといって、自分の悩みが解決するかと言われたら、必ずしも、そういうわけではない。苦しみや悲しみを感じた事実は変わらないのに、その感情たちがどこからきているのかがわかっただけで、なんとなくすっきりした気持ちになれたりする、私たちの心。不思議ですよね、
日南本さんも、病院の診断を受け、社会性訓練で自分の特徴を把握したことによって、自分への好き度が0%から100%にまで上昇したとのことでした。
自分が持っている特徴の内容自体は変わっていないのに、です。
それだけ、「わかること」には大きなエネルギーが秘められているんだなと、そんなことを考えさせられたインタビューでした。日南本さんありがとうございました。
この無名人インタビューも、皆さんの「わかった」がちょっとでも増える一助になれたら嬉しいですね。
それでは、次回の無名人インタビューもどうぞお楽しみに。
インタビュー担当:toki
編集協力:生きにくい釘
#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #ASD #心