【海士町】いろんな人の“らしさ”がもっと見られるとわくわくするし、面白いんだろうなって思う島留学のインターン生だった人
私の父親は旅行会社に勤めていた人で、こうやって無名人イン旅ューという企画を私qbcがするっていうのは、実はけっこう人生の中の点と点が線になったなって感じがあって、こう、しかもそれが未来に伸びていきそうってことで、まあちょっとした人生の神秘を感じる出来事であったというわけです。
人生の中に宝物を見つける方法があるとしたら、この、点と点を結んで線になるやつだと思うんですよね。しかも、無名人インタビューという世界では、それを他人の質問で行うので、コミュニケーションの快楽というのも発生するんですよね。はああーいいことばっかりだあ(自画自賛)。まあ毎回毎回、この点と点が線に、が起きるわけではないですが。
でも自分がお薦めできるものじゃないと続けられないですからね。
この点を見つける作業って、けっこうね、自分で見つけるのって大変なんですよ。自分の長所には自分では気づきにくい(あるいは気づいたとしても的外れだったり)ってことと似てると思うんですけど。でも、他人から、まさしく客観的な視点からだと、案外見つけやすくて、スってですね、こう線を引いてみると、思わぬ発見があって、面白いものです。
そして、その何気なく発見された一筋の線が、ね、未来に伸びていくかもしれないという可能性なんか秘めちゃったりすると、それが叶わなかったとしても、人生、生きててよかったな、なんてほっこりいたします。ふふ。
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
この記事は「無名人イン旅ューin海士町」で実施したインタビューです。
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今回ご参加いただいたのは 若奈 さんです!
現在:私は「わかり合いたい」って思ってるんですが、でも、全部わかるわけないじゃないですか。
toki:今、若奈さんは何をしていらっしゃる方ですか。
若奈:今は、教育委員会でスポーツ関係のことを中心に関わっています。
toki:スポーツ関係といいますと、例えばどんなことをされてるんですか。
若奈:海士町内で行われるスポーツ関係の運営のサポートをさせていただいています。
一番大きなものでいうと、5月、6月に行われるソフトボール大会。参加者が大体200人くらい。町内2,200人くらいいるから、10人に1人ぐらい参加されるような大会を運営したりとか。
toki:スポーツ関連のイベントっていうのは、海士町ではよく開催されているんですか。
若奈:そうですね、時期にもよるんですけど。
ただね、参加される年齢層が上がってきてたり、そもそも人口が少ないので、規模が縮小していて、全盛期ほどではないんだろうなっていうのは感じます。
toki:今のお仕事はいつ頃からやられてるんですか。
若奈:ちょっとややこしくなってしまうんですけど、今年度から、この教育委員会の職員として所属しておりまして。ただ関わり始めたのは、一昨年(2022年)の4月。その時は島留学のインターン生だったんです。で、去年(2023年)の4月から、職員としてそのまま教育委員会のスタッフになりました。
toki:なるほど。ご出身はどちらですか。
若奈:大阪です。
toki:今おいくつですか。
若奈:26歳です。
toki:そうなんですね。島留学されて、海士町に就職されたと。
最近のお仕事の調子はいかがですか?
若奈:スポーツ関係はだいぶ落ち着いてきましたね。今は来年度に向けて、よりスムーズにやっていけるように、年度末までに何かやれるといいのかなみたいなところではあるんですけど。
toki:今、お仕事の話をしていただいたんですけど、お仕事以外に、私生活とかで趣味や、よくやってること、好きなことは何かございますか。
若奈:趣味。そうですね、趣味、難しいですね。最近はもう寝ることが趣味になってきてるんですけど。
まあ強いて挙げるとするならば、お菓子作りは結構好き。
toki:どんなお菓子を作られるんですか。
若奈:最近はそれこそ教育委員会の管轄の交流施設の一環として、「あまマーレ」っていう施設があるんですけど。先週ちょうど「感謝祭」っていうのをやってて。そこで、何か一品を持ち寄って参加するみたいなところで、料理は得意ではないなので、チーズケーキを作って持っていきました。
toki:料理は得意ではないけど、お菓子作りが好きなのはどうしてですか?
若奈:料理は味が定まらないのがちょっと。「何とか少々」みたいなのが難しいというか。「みりん大さじ1」とかでちゃんと作るんですけど、同じ味にならなくて。
お菓子作りの方が、砂糖と卵白をどれだけ泡立てるかで大体決まるので、わかりやすくていいですね。
toki:お菓子作りって例えば、作るときとか、できた時とか、人に食べてもらうとき、あるいは自分が食べるときとか、色々な過程があると思うんですけど。どの瞬間が一番好きですか。
若奈:包装してるときが好きかもしれない。誰に渡そうかなって包んでる時。
本年度は職員になったので、あんまり時間がなかったんですけど、昨年度はインターン生だったので、結構時間もあって。職場の方に、バレンタインの時とかメッセージ書いたりして。
なので、大まかにいうと、包装している時。
toki:そうなんですね。では、今好きなことについてお伺いしたんですけど、逆に嫌いなもの、ことって何かありますか。
若奈:なるほど、その質問はなかなか面白いですね。なんだろう、嫌いなことかあ。
今パッて出てきたことなんですけど、人との距離感が近いがゆえの、どこまで外に行こうかなみたいなのはありますね。
私自身、大阪にいたときは、わりとアクティブな方かなって思ってたんですけど、そうでもないなっていう。インドアだなって思いましたね。
toki:「外に出る」っていうのは、物理的にというか、人と会うとかそういうことですか?
若奈:そうですね。外に出ると人と会うので。それもそれで楽しいんですけど。用事がないとなかなか、出ようってならないかなっていうのは思いますね。
toki:それは海士町に来てからの気づきだったんですかね。
若奈:どっちかっていうとそうですね。お休みの日とかに。
toki:海士町でおよそ2年暮らしてみて、いかがですか。ここでの生活は。
若奈:大阪にいるときは、なんだかんだ、ものすごい疲れて、1日終わるなって思って。電車移動するだけで、体力が例えば5減るなとか。HP減ったな、みたいな。っていうのが、海士町では全部半分ずつになるので。関わってる方も、皆さん知ってる方が多いし。
極端に言うと、都会で働いてたときは、1日おうちに帰ったときに120%使い切って、疲れて家に着くっていうのが基本だったんですけど、こっちに来てから、疲れてても大体80%くらいでお家につけるので、もう全部使い果たしてもう家で何もできないみたいなことは、本当にバタバタしてる日以外はない。自分の中の心地よさみたいなところは、変なストレスがなくていいなって、すごく感じますね。
toki:なるほど。ありがとうございます。
2年間過ごしてみて、海士町という町は、若奈さんの目からみて、どんな町として映っていますか。
若奈:自分が育ってきた環境であったり、関わってきた人と、同じ日本人ではありますけど、住んでる場所が違うだけでこんだけ文化も違えば、コミュニケーションの仕方も違って。それは、海士町だからなのかって言われると、正直断言はできないんですけど。
私にとっては、ざっくばらんにいうと、いろんなことに気付かされるというか、そんな町? そこが違うからこうなんだなとか、具体例を挙げるとっていうとなかなか難しいんですけど、コミュニケーション一つとっても、自分と違うなって。それが良いとか悪いとかではないんですけど、その感覚が一番近いかな。
toki:思いついたらで大丈夫なんですけど、来て一番ハッとなったことって何かありますか?
若奈:今まで大阪人としかほとんど関わってなかったから、こっち来たときに、コミュニケーションが全然違うって思って。「これが文化の違いか」って。
例えば、私が捉えている中では関西人ってボケとツッコミ。じゃあ次の人はなんて言ってくるかなって思ったら、ここの人はボケにボケ重ねてくるとか。ツッコんだけど誰も気づいてくれないとか。このツッコミ、ウケてないかもしれないとか。ちょっとこれは本当に、関西人的な感覚になっちゃってて、微妙かもしれないんですけど、「え、これ、誰もツッコまなくていいの!?」ってまま進むみたいな。「これがカルチャーショックか」って思って、1人おどおどしてますね。
toki:へえ〜、関西の方だからこそ感じるギャップですね。ありがとうございます。
ちょっと質問の方向が変わるんですけど、若奈さんは、身近な人からどんな人だねって言われることが多いですか。
若奈:どんな人。どんな人ですか?(隣でインタビューに同席していた、役場職員の天正さんに尋ねる)
toki:本当に身近なところに(笑)。
若奈:一緒にご飯食べに行ったりとかしてるので。身近ですね、うん。信憑性が高い。
toki:天正さん、いかがですか。
天正:でも本当に、同じ関西人なので、ノリとしては2人でポンポン喋る。さっきも言ってたみたいに、ボケたらツッコんでくれる。リズム感よく喋れるので、すごくストレスを感じない人なんですけど、でも、そうやってリズム感よく喋っている中でも、本当にちゃんと自分の中で、きちんと相手の言葉を受け止めて、噛み砕いて、またアウトプットしていくっていうところを、すごく丁寧に丁寧にしている子だなって、思います。
若奈:すごい。良い言葉がいっぱい。私のここまでのふわふわした会話を全てまとめるような感じで。
toki:どうですか、言われてみて。確かにそうかもとか、意外かもとかでいうと。
若奈:それでいうと、まず本当にありがたいなと思っていて。確かにそういうことは大事にしているなって、内省してましたね。それがちゃんと、伝わってる人には伝わってるんだなと思って、「嬉しかった」が今一番最初にきました。
「丁寧に」っていうところは、確かにすごく意識はしているなって思いましたね。
私は基本「わかり合いたい」っていうタイプなんですけど、でも、わかるわけないじゃないですか。結局自分と相手は違う人間であって、究極つめたい言い方をすると、その人の気持ちになりたくても、悲しみも喜びもやっぱ分かち合うことはできても、完全に理解することはできない。
だから、その人がその言葉を使った、「嬉しい」「楽しい」でも、「なんで今楽しいって言ったのか」とか、「何で今回は楽しいじゃなくて嬉しいって言ったのか」とか、できる限り、自分自身としてはその理由であったりとか、細部の気持ちみたいなところは、理解できる部分は理解したいし、知りたいなっていうふうには思ってはいるので。「なんでそう思ったのか」っていうところは、無意識に聞いてる気がします。
toki:ありがとうございます。ご自身では、自分のことをどんな人だな、どういう性格だなって思いますか。
若奈:基本的に、真面目って言われることが多いかなっていう気はします。
toki:自分でも真面目だなと思いますか?
若奈:細かいことも探求したくなっちゃって。そういう変な真面目っていうか、「それってなんでその発言したんだろう」っていうのが気になり始めちゃって、考えちゃう。思考癖が強いかもしれないですね。
過去:「自分はできない」って思い込んで、ずっとできないみたいな。本当はそんなことないのに。本人自身が可能性を諦めちゃってるなって思ったときに、すごいもったいないし、何でそうなっちゃうんだろうって。
toki:小さい頃はどんなお子さんでしたか?
若奈:ちっちゃい頃の方がもっと控えめで、幼稚園の先生に「若奈ちゃんは神経質な子ね」って言われるような子でした。
家族構成でいうと、父と母と、4つ上の姉、私だったんですけど、なかなか姉が強キャラで。自分の思い通りに世の中を動かしたいタイプだったので、そんなお姉ちゃんを見ながら、私は「こんな大人にならないようにしよう」って思って、おとなしい。かと思いきや、お姉ちゃんの言ってることに対して、「それは屁理屈なんじゃないの」って思うことに対しては、はっきり言う。そういう意味で、真面目というか、正義感が強い部分は母親譲りというか。おとなしいけど、言う時は言う。そんな子だったかなって思います。
toki:お母さんもそんな感じだったんですか。似てるなって思う部分ありますか?
若奈:母親とはすごく仲が良くて、今もよく電話したりとかするんですけど、私が「これはこうだと思うんだよね」っていうことに対して、「それはそうだね。正しいけど、でも世の中はそうじゃないよね」みたいなときに、「私も若い頃は正義感が強くて」「一緒だね」って言われましたね。
toki:今言っていただいたのは、どれくらい小さい頃ですか?
若奈:大体、小中学生ぐらいかな。
toki:小学校時代についてお伺いしたいんですけど、小学生の頃は、ざっくり振り返ってみていかがでしたか。
若奈:なんだかんだ小学生の頃から、基本的には周りの様子を見て、合わせてるような子だったかなって思うんだけど、小学生の頃って、男の子とかしょうもないじゃないですか。そこに対しては、結構はっきり言うみたいな。そういう気の強さも同時に持ち合わせてるって言う感じでした。
toki:周りに合わせることと、はっきり言うことと、どんな違いがあったんですかね。何に対してははっきり言いたくなったんですか。
若奈:理不尽なこと。すぐ男の子って「ばーか」とか言うじゃないですか。「何がばかなの?」って急に気になっちゃって。許せないって、スイッチが入っちゃうんです。
合わせる部分で言うと、やっぱ女の子同士で仲良いグループの中で、余計なこと言わないみたいな。「みんな今どういう気持ちなのかな」っていうのは、すごい気にかけてた気がします。控えめだったかな。
toki:友達は、多い方か少ない方かでいうと。
若奈:その頃はそんなに多くなかったですかね。
toki:子供の頃は、どんな遊びをしてました?
若奈:あの頃は、シール交換とかが流行ってた気がするけど。何をしてたんだろう。割とおうちで遊ぶことが多かったかな。
toki:中学校は受験されましたか?
若奈:いや、そのまま地元の中学に。
toki:中学校時代はいかがでしたか?
若奈:より強気に拍車がかかった感じ。
toki:それは何かきっかけとかはあったんですか。
若奈:それまでは多分、自分に自信がなかったけど、何かを頑張ろうって思い始めたのかな。中学校になると、部活とか勉強とか、結構順位が出るじゃないですか。運動もちょっと頑張ろうと思って、どっちかって言うとぽっちゃりだったんですけど、バドミントン部に入って頑張ろうとか、勉強もちょっと、小学校の高学年から謎に気合が入って、その流れで良い成績を取りたいみたいなところで、「頑張らなきゃ」って強気だったんじゃないですかね。
toki:その「頑張りたい」っていうのは、自然と起きた気持ちだったんですか。
若奈:それでいうと、ネガティブな感じになるんですけど、「劣りたくない」みたいな、そういう感覚の方が近かった気がしますね。
toki:中学校時代で、印象に残っていることはありますか。
若奈:なんだろうなあ。いやでも本当に、先生に文句言うような子でしたね。あんまりいいエピソードじゃないけど。
toki:どういう文句ですか。
若奈:先生もなかなか変なキャラというか、頑固な人もいたので。その男の子も、ちょっと先生を馬鹿にするような子だったんだけど、先生も先生でその子に対して感情コントロールができなくなって、何か変なことを言ってて、確かにその子も間違ってるんだけど、先生も私的には感情入れすぎじゃないって思った時に、「それって違くないですか」って言っちゃうような感じ。
曲がったことが単純に許せないみたいな。曲げたくないし、曲がってるところは嫌だ。「それって理屈通ってなくないですか」とか言っちゃうような感じでしたね。
toki:そうなんですね。中学卒業後の進路は、どんな考えでどんなところを選びましたか?
若奈:本当にそのまま、自分の学力に合った高校に行く、みたいな。その辺は全然、将来こうなりたいとか本当になくて。母親も「学力に合ったとこでいいんじゃない」っていう感じだったので、地元のある程度、見合ったところに。
toki:高校生活はいかがでしたか。
若奈:いわゆる高校デビューみたいな感じで。家からちょっと遠いところだったのと、受験する子が少なかったので。
そこから結構、いろんな人と関わることがわりと増えて。外交的な期間だったかなっていう。
toki:高校では部活とかって入られてましたか。
若奈:軽音楽部に入っていて。自分の高校と、周辺の高校の生徒が集まるようなライブハウスがあって、よくそこでライブさせてもらったり、他の高校の子と交流していろいろ話したりとか、バンド組んでライブしたりとか。その辺から、いろんな人と関わるの楽しいみたいになっていった。
で、そこのマネージャーさんに、「ちゃんと音楽やりたい」みたいなことを伝えた。自分の高校でも、バンドは組んでたんだけど、みんな結構ゆるくふわふわって「楽しかったら良くない?」みたいな感じで、嫌だなって思って。そんなにはっきりは言わなかったけど、そのマネージャーさんにライブハウスで「もうちょっとちゃんとやりたいんですよね」みたいな相談を、夜までし、お母さんに怒られるみたいな。そういう夜遊びをしてました。
toki:軽音楽部にはどうして入ろうと思ったんですか。
若奈:母親がピアノの先生で、やっぱり音楽は好きだなっていうふうに思ってて。母親の影響というか、教えられて、ピアノをちょっとやってみたりとか、あとはなぜかヴァイオリンをやってみたりとかして。
ってなったときに、軽音楽部だと、ボーカルで前に立つのは嫌だなと。弦楽器はやったことあるしなって。じゃあドラムしてみたいなって。で、ドラムをちょっとやってました。
本当はオーケストラとかあったら入りたかったけど、なかったから、音楽系のクラブに入りたいなって思った時に、軽音楽部に入ってみようっていう。
toki:へえ、そうなんですね。
部活のことでも、それ以外でもいいんですけど、高校生活で一番印象に残ってることってどんなことですか。
若奈:いろいろあった気もするんだけど、言われると難しいですね。
外部の子とバンド組ませてもらって、そこで色々ライブ出させてもらったりとかしてる中で、最後に記念じゃないですけど、大学の入試に向けて活動を終えるときに、企画をさせてもらおうって言って、自分たちが好きなバンドさんとか、先輩とか呼んだりとかして、1日、バンドの企画ライブをさせてもらったときが、楽しかったなっていうのは、すごい印象に残ってますね。
toki:なるほど。その後の進路は、どんな考えでどんな進路を選んだんですか。
若奈:そのときも基本、学力中心でっていうところだったんですけど。中学校までは勉強も、負けたくないから頑張るみたいな感じで、高校はぼちぼちのとこに行ったんですけど、高校に入ってから軽音楽部に入って、勉強以外のコミュニケーションとか、そういうことに労力が割かれちゃって、あんまり高校は勉強しなかったんですよね。でも、自分の受けられるところで、あとはいろんな学部があると思うんですけど、そのときに正直、経済学部とかはなんかちょっと嫌だなって思って。強いて言えば何が面白そうかなって考えたときに、心理学部が面白そうだって。その時の私はそう答えを見つけて、心理系で学力がいけるところ。で、試験を受けました。
toki:当時、経済学部は嫌で、心理学は面白そうと思ったのはどうしてだったんですかね。
若奈:理由になってるかわからないけど、あんまり経済とか社会のことに対して興味関心がなくて。っていうのも、いわゆる“日本人のサラリーマンが疲れて帰ってる姿”みたいな、そんな社会のことを学んで何が面白いんだろうみたいな。ちょっと屈折してるんですけど、ざっくり言うとそういうようなことを思っていて。それだったらもっと違うことがいいなって思ったときに、そのときはその選択肢しかなくて。なぜか心理がいいって。
toki:実際、大学入って学んでみていかがでしたか?
若奈:これは勉強のことではないんですけど、そのときに初めて、大学の友達が「すごい病むわ」みたいなこと言ってて。「病むってなに?」みたいな感じになって。そういう感情があるんだっていうのは、一つすごいびっくりしたことでしたね。
大学に入ってからは、大学の授業っていうよりは、それ以外での自分がやりたいことをやっていたので。大学生として、みたいなところは、正直あんまりこれが印象に残っているみたいなのはあんまりないなと思ってて。
ただ本当に、規模が小さい大学だったので、先生方すごいよくしてくださったなっていうのはありますね。
toki:やりたいことっていうのは、どんなことされてたんですか。
若奈:本当に、いろんなことをやってみたいというふうに思っていて。例えば、海外に行ってみたりとか、ボランティアをやってみたりとか、キャンプしてみたりとか、そういうアウトドアなのかな。とにかくいろんなことを見てみたいしやってみたい、みたいな感じで。
海外に行ってることが多かったかな。海外ボランティアとか。
toki:その「やってみたい」っていうのは、何か目的みたいなのはあったんですか。どういう動機でやってみたいって思ってたのかなと思って。
若奈:本当にきっかけは些細なことで。
大学が福祉の大学の心理学部で、規模が小さいので、部活とかサークルの数も少ない中で、ボランティアだけ三つぐらいあるみたいな。そっからボランティアちょっといいなって思い始めて、調べてる中で、説明会行ったら面白そうってなって。海外も行ってみたいし、ちょっと海外ボランティア行ってみようみたいな。本当にするきっかけはそんな感じ。
toki:そうやって海外に行くとか、新しいことをやってみるときに、不安と楽しみの比率ってどれくらいなんですか。
若奈:ああ、でも不安は感じにくい方かも。誰かが運営してるんだから、まあいけるでしょうみたいな。
toki:結構、やってみたいって思ったらすぐ飛び込める感じですか。
若奈:うん。
toki:ちょっと話遡るんですけど、友達が「病む」と言っていたことに対して、そんな感情があるんだと驚いた、というお話があったと思うんですけど。若奈さんご自身は、それまで「病む」みたいなことを経験したことはなかったんですかね。
若奈:なかったんでしょうね。そう思ったってことはきっと。
toki:大学卒業後の進路についてはどういうふうに考えてましたか?
若奈:大学は一応、ストレートで卒業して。海士町に来る前の2年間は、ざっくり言うとフリーターをしていました。
就職活動してもよかったんですけど、正直、あんまり社会の枠の中で生きていける自信がなくて。今だったら、いろんな会社さんも団体もありますし、もっと色々見てみればよかったなとか思うんですけど、そのときの自分は、ちゃんとした大手の企業に就職しないと意味ないのかなって思っていて。そうなったときに、言葉は微妙ですけど、自分が“社会の駒”としてとして生きていける自信がなくて。それだったら、もっと色々模索してみようって、就職活動を一切しなかったんですよ。謎にね、変なところ振り切ってるんですけど。
大学卒業してからは、自分が大学4年生のときに、参加者として参加していたプログラムの会社がやってることが、すごい素敵だなと思って。社会人インターンとして、ちょうどコロナが始まった時期にオンラインでインターンをしながら、カフェのアルバイトもしながらっていう感じで。そこで社員になれたらいいなと思いながら、インターンして。結局やめたんですけど。その後、どうしようかなと思いながら、フリーターをして過ごしていて、ここ(海士町)を見つけたっていう感じです。
社員になりたいなって思った会社のプログラムは、ざっくり言うと、教育系の会社で、若手社会人とか大学生の方に対して、対話をしながら、自分がどういうキャリアや人生を描いていくのかを一緒に考えていくもので。人をサポートすることとか、対話の中でその人の気持ちを引き出すことが素敵だなと思って、自分も参加していいなって思って、1年間働いたって感じです。
toki:そうだったんですね。ちなみに、海士町は何で知ったんですか?
若奈:海士町は、自分が運営のサポートスタッフとして入っていったときの参加者さんが、島留学に参加していて。
その人のInstagramをみて、自然だったり、すごく楽しそうな投稿をみて、素敵だなと思って「今どこにいるの?」っていうところから。本当にそれがきっかけ。フリーターで、特に縛られることもなかったので、ちょっと行ってみようかなって、来た感じですね。
toki:実際来てみて、最初の1年間はいかがでしたか。
若奈:コミュニケーションの違い、カルチャーショックから始まって、本当に、今まで自分が見てきた世界線と全く違う。じゃあ何が違うかって言われると、すごい難しいんですけど、大阪生まれなので、都会と田舎みたいなところもそうですし、利便性みたいなところもそうですし、生活の仕方も全然違うし。色んなことを感じた一年だったなって。すごい雑になっちゃって申し訳ないんですけど。
toki:島留学の最初の1年はどんなことされてたんですか。
若奈:基本的には、教育委員会がやってる事業全部のお手伝いをさせていただいて。あとは、教育委員会としてやってる事業をサポートさせてもらってるので、どういう思いで職員さんがその事業を作ってるかとか、具体的にどうやってるのかっていうのを、noteを書いて外部に発信するっていうのをやっていました。
toki:では、インターン生のときから教育委員会に関わっていらっしゃったんですね。
インターン生は、自分がする仕事を選択することができると聞いたんですけど。若奈さんが教育委員会の関係のお仕事をやられていた理由はなんですか?
若奈:卒業して、教育系の会社に1年間ちょっとインターン生として関わってた時に、カウンセリングやコーチングみたいなことも少しさせてもらって。その時に、皆いろんな悩みがあるんだなって。その中でも、「自分はできない」って思い込んで、ずっとできないみたいな。本当はそんなことないのに。本人自身が可能性を諦めちゃってるなって思ったときに、すごいもったいないし、何でそうなっちゃうんだろうって。本人がそれを勝手に思い込んじゃってるっていうのもあるんですけど、それ以外に要因があるとしたら、それまでの幼少期の体験とか、周りの大人や友達同士の関わりとか、そういうことなんだろうなって。
そう思ったときに、個人的には周りの大人との関わりみたいなところを見てみたいなって。そのときに、学校か教育委員会かってなって。でも学校はなんか違う気がするって思って。周りの大人がどういうことをやっているかが見たいって言ったら、教育委員会の方がいいんじゃないっていうふうに提案していただいて。それで、教育委員会に所属させてもらったという。流れとしてはそんな感じですね。
未来:“0から1”を作るのが得意な人もいるけれど、私は“2から8”くらいが得意。作り出すってよりかは、良くする方が達成感を感じるし、「誰かの役に立ててる」って思えてる自分が好き。
toki:最後に、未来についてお伺いしていきます。自分の1年後、2年後、5年後、10年後、何年後でも構いません。自分の未来について、どんなイメージが思い浮かびますか。
若奈:今現在思ってることとしては、居場所作りみたいなことがしたいなって。最近流行りの言い方であれですけど、心理的安全性が高いみたいな、安心安全の居場所作りができたらいいなって。それは結局、自分がそういう場所にいたいってことだとは思うんですけど、そういうことができると面白いなっていうのは思ってます。
例えば、大規模シェアハウスに住むとか、そもそも自分の家をシェアハウスにして、色んな人に住んでもらうとか。そういうことができると楽しそうだなって。
子供1人を自分だけが育てるっていうのが、絶対しんどいじゃんって。そうなったときに、色んな大人に自分の子に関わってほしいし、他の人の子も、色んな大人と関わって、みんなで育てた方が、私はいいなって思ってて。そういう居場所作りができると面白いなって思ってますね。
toki:自分もそういう場所にいたいと思う以外に、居場所を作りたい理由って何かありますか?
若奈:居場所を作りたいっていうよりかは、安心安全である状態を作りたいの方が多分近いと思ってて。それがいつの間にか居場所になってるなっていう意味で、居場所を作りたいって言ったなと思って。
さっき言った話で言うと、自分が子供を1人で育ててるっていう将来像が、あんまり幸せじゃない気がしていて。いろんな人が自分の子に関わってほしいし、自分自身もいろんな人に支えてもらいたい。協力し合いたいなってすごく思っている。そういう安心とか、支え合いみたいなところで、居場所があるといいなっていう感じなのかな。
toki:なるほど、居場所を作ることが目的というより、それによって安心安全の状態を作りたいと。
では、自分自身の生活についてはいかがですか。将来こういう暮らしができたらいいなとか。
若奈:それで言うと、例えばシェアハウスで家族で暮らしたいとか以外で言うと、野菜を自分たちで育てたいなっていうか。
それも、自分がただ野菜を育てたいというよりかは、「生きてることの豊かさを感じられる生活ができるといいな」って意味で、野菜を自分で育てて、料理に使えるといいなって。だから別に、何を育てたいとかじゃなくて、それを他者や子供たちと、「自分たちで作った野菜だから美味しいね」とか言いながら、ご飯食べたいなって。そういう感じ。生きてることに対して、普段から意識して食事に感謝することは少ないけれど、ふとした時に「豊かだな」って心が満たされてる状態があるといいなって、すごく思っていて。
それはやっぱり、海外ボランティアに行ったときに感じたこととか、無人島キャンプに参加したりとか、そこで感じたことが、今こう思ってることに繋がってるなっていうのはありますね。
toki:死ぬまでにやっておきたいこと、これをやらないと死ねないなと思うことって何かありますか。
若奈:ええ、死ぬまでに? 難しいな。なんだろう。
ああでも、子供産みたいかな。家族を作りたい。
父、母、姉、私で、自分が小学生くらいまではおじいちゃんおばあちゃんもいたので、家族はメンバーとしてはいたんですけど、正直仲がいいかって言われると、仲良い人も、仲良くない人もいて。今、父親と母親は離婚しちゃって、別にそれを悲観的には思っていないんですけど、ただ正直、仲の良い家族に対しての憧れ、みたいなものすごいあって。だから多分、シェアハウスで子供を育てたいなとか、そういうことを思うんだろうなっていうのは、今思い出しました。
家族って何だろう、みたいなのが、常に私の頭のこの辺にあって。仲の良い家族ってどうやって努力してるんだろうって。素敵だなって憧れてる。
家族が、自分自身にとっては安心できる場所ではなかったけど、子供にとって、血が繋がっていなかったとしても、安心できる場所があるといいなって思うし、その場所が家族であればいいなって思います。
toki:将来家族を作るとしたら、どんな家族にしたいですか?
若奈:一緒に何でも楽しめるといいな。ちょっとしたことで、幸せを感じられる家族。
toki:ありがとうございます。
毎回、皆さんに「もしもの未来」について質問しているんですけれども、もしも今の状態で、若奈さんが卒業間近の瞬間に戻ったとして。これからどんな進路でも選択できるっていう状態だったとしたら、どんな道を選択しますか、
若奈:いやでも、結局同じ進路をたどるんじゃないかなって。
もちろん嫌なこともあったし、嬉しいこともあったけど、そう思えるくらい色んなことは感じたし、それって結局自分にとって全部必要だったなっていうのは思うので。そういう意味で、結局同じことを選ぶだろうなって。後悔はしてない。
toki:そうなんですね。ありがとうございます。
海士町には、これからもいるご予定ですか?
若奈:2、3年とかはいるかなとは思うんですけど。でも、正直絶対「海士町じゃなきゃだめ」みたいなのはなくて。もしもこっちで結婚相手見つけたら、そのまま住むかもしれないし、でもずっとこの教育委員会じゃなきゃだめとかもない。ご縁があるところに行きたいなって。自分がより良い状態であれるところにいれるといいなって思います。
toki:なるほど。
今まで、未来のことについてお伺いしてきて、若奈さんが思い描く将来の中には、必ず他者の存在があるなと思いまして。やりたいことを尋ねた時に、例えば「旅をしたい」とか「〇〇の仕事をしたい」とか、自分がこれを成し遂げたいというよりかは、「誰かと〇〇をしたい」「誰かのために〇〇をしたい」というように、自分だけではなくて必ず他の誰かの存在がありますよね。
自分の未来に他者が出てくることについて、ご自身で何か思うところ、考えるところってあったりはしますか?
若奈:正直、自分ですごくこれをしたいっていうのは、全く欲がないわけじゃないんだけど、あんまりなくて。
お仕事でも“0から1”を作るのが得意な人もいるけれど、私は“2から8”くらいが得意。誰かの思いを元に、それをもっと良くするにはどういうふうにしたらいいよねって関わる方が好きだし、何か作り出すってよりかは、良くする方が達成感を感じるし、「誰かの役に立ててる」って思えてる自分が好き。だから、逆に他人がいないと、「自由にアイディア出していいよ」って言われても迷っちゃう。誰かの何かを中心に関わらせてもらう方が、私としてはすごく楽しいし、誰かを応援してる自分が、なんかわかんないけど一番エネルギーが出ている気がする。これはもう、染み付いちゃってるのかな、そういう性質なのかもしれないけど。
toki:なるほど、ありがとうございます。
最後の質問が「最後に言い残したことは」というものなんですけれども。今回のインタビューの感想でもいいですし、今頭に思い浮かんでいることでも、この世に残したい言葉でも、記事を読んでいる方へのメッセージでも、何でも構いません。最後に何か言い残したことはありますか?
若奈:最近、自分自身が感じてる疑問として、どうやったらもっと自分自身の可能性を信じられるのかな、どうやったらその人が自分らしく自己表現できるのかなっていうのがあって。もちろん相手を尊重するっていうことは大前提、必要だし、大事なことなんだけど、その上で、それぞれが好きなようにすればいいのになってすごく思ってて。
じゃあそれをどうやって実現するのかは、今考えているし、何をしたらそうなるんだろうっていうのは全く何も描けてないん。個性とか“らしさ”とか、自分自身も出せてるかっていうと正直そうではないんですけど、いろんな人の“らしさ”がもっと見られるとわくわくするし、面白いんだろうなって、そう思っています。
toki:ありがとうございます。では、これでインタビューを終わりにさせていただきますが、よろしいですか。
若奈:はい。
toki:1時間ありがとうございました!
若奈:ありがとうございました!
あとがき
無名人インタビュー初の試みである、地方での対面イン旅ュー。
そのはじまりの地となった海士町で、私が3人目にインタビューさせていただいたのが、若奈さんでした。
さて、私はたまに料理をするのですが、料理をする中で一番好きな瞬間を聞かれたら、迷わず「食べる時」と答えます。
「あ、今日ルーローハン食べたいかも」
「どうしてもオムライスが食べたい気分だ」
と思い浮かんだ日に、自分1人のために、自分1人が食べるためだけに料理をします。
私が料理をする目的は、何を隠そう「自分が食べたいものを食べるため」であり、それゆえ「出来上がった料理を食べる瞬間」が料理における全工程の中で最も好きです。
そんな食い意地の張りすぎている私の回答とは裏腹に、若奈さんは(若奈さんの場合は料理ではなくお菓子作りですが)「包装する時」が好きだと答えます。
若奈さんがお菓子の包装について語った時間は、文字数にして135文字と短いものの、今回のインタビューの中で、若奈さんのお人柄を最も象徴する回答の一つであると、私は密かに思っていました。「現在パート」のタイトルにこの部分を引用するか、本気で迷ったほどです。
そもそも「包装」という過程は、作ったものを誰かにあげるというゴールがないと発生しません。
「包むのが好き」というお話は、若奈さんとしては何気なく言ったことだったと思うのですが、誰かを思い、関わりを大切にしようとするところ、それが「お菓子作り」という日常のささやかな場面にさえ滲み出ているところが、若奈さんの大きな魅力だなと私は感じました。
余談ですが、今回は、若奈さんと親交のある海士町役場の天正さんが横でずっとインタビューを聴いていてくださり、初めて「参加者以外の誰かが同席している」という状況でインタビューをさせていただきました。
インタビュー中、参加者さんにとって身近な第三者が隣にいると、より落ち着いて話ができたり、「周りの人からどんな人だと言われますか」系の質問において、その場で直接、考えを聞いたりできたりするのだなと、インタビュアーとして新しい学びを得ることもできました。
本当にありがとうございました!
海士町イン旅ュー、どの方の記事も、魅力と個性にあふれた素敵なものばかりです。ぜひ他の方の記事も覗いてみてくださいね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
【インタビュー・編集・あとがき:toki】
#無名人インタビュー #インタビュー #この街がすき #一度は行きたいあの場所 #海士町 #離島 #無名人イン旅ュー #無名人イン旅ューin海士町
この記事は「無名人イン旅ューin海士町」で実施したインタビューです。
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