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【磐梯町】ロックな生き方がしたい人

高校3年の佐藤龍(りゅう)は、両親や先生たちの期待に押しつぶされそうだった。大学進学、就職、結婚...。誰もが「普通の」人生を歩むことを求めていた。
しかし龍の心の中では、別の音楽が鳴り響いていた。
放課後、龍は古びたギターを手に取り、ガレージで練習を始めた。曲がりくねった音符が空気を震わせる。それは彼の魂の叫びだった。
「何をやっているんだ!」父親の怒鳴り声が響く。「受験勉強はどうした?」
龍は黙って首を振る。言葉では説明できない。この音楽こそが、自分の生きる道だと感じていた。
週末、龍は地下のライブハウスに足を運んだ。そこで出会ったのは、同じ思いを持つ仲間たちだった。
「俺たちでバンド組まないか?」スキンヘッドのドラマー、健太が声をかけてきた。
龍の目が輝いた。「ああ、やろう」
それから毎晩、彼らは音楽に没頭した。学校の成績は落ち、両親との関係も悪化した。でも、龍は初めて自分の人生を生きている気がした。
ある日、龍は両親の前に立った。
「俺、音楽で生きていく」
父親は激怒し、母親は泣いた。しかし、龍の目には決意の色が宿っていた。
高校卒業後、龍はアルバイトをしながらバンド活動を続けた。昼は工事現場で汗を流し、夜はステージで魂を燃やす。
苦労の日々が続いた。しかし、少しずつファンが増え始めた。龍たちの音楽が、同じように悩む若者たちの心に響いたのだ。
デビューから5年後、龍のバンドは大きな音楽フェスに招待された。ステージに立つ龍の目に、観客席の両親の姿が見えた。
マイクを握り、龍は叫んだ。
「これが俺たちの生き方だ!ロックンロールだ!」
轟く歓声の中、龍は思った。
「ロックな生き方って、結局のところ、自分の心に正直に生きることなんだ」
その夜、バックステージで両親が龍を抱きしめた。
「お前の生き方を、誇りに思うよ」
龍の目から涙がこぼれた。長い旅路を経て、やっと自分の場所を見つけた気がした。
それは、まさにロックンロールな人生だった。
と思う2024年8月31日10時55分に書く無名人インタビュー879回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 五十嵐 大輝 さんです!

年齢:30代前半
性別:男性
職業:地域コンテンツの企画・プロデュース


現在:自分の中ではレペゼン福島、レペゼン磐梯、そういうのを大事にしながら仕事をしてます。

ゆいぴ:
五十嵐さんは今、何をしている人ですか?

五十嵐 大輝:
今ですね、ざっくり言うと福島県の地域活性化に関するお仕事をしております。

ゆいぴ:
それは具体的にどのようなお仕事ですか?

五十嵐 大輝:
僕が所属している会社、郡山市にあるスリーツリークリエイト(https://threetree-c.com/)っていうんですけど。そこで福島県から事業を受託してまして。福島県と首都圏の個人や企業さんをマッチングして継続的な関わりやお仕事につながるきっかけづくりをしています。一言で言うなら福島県の関係人口づくりですかね。元々クリエイティブの会社なんすよね、Web制作とかチラシとか。そこから始まって、ここ4、5年で県や自治体の事業にも取り組んでまして。なので事業の柱としてはそういうクリエイティブ事業と県や自治体の事業ですね。僕はクリエイティブなところだと写真撮影も担当しています。

ゆいぴ:
関係人口を増やすお仕事っていうのは事業的にはどういう内容ですか?

五十嵐 大輝:
例えば、福島県でのワーケーションなんですけど、ただのワーケーションじゃなくてですね。首都圏の企業さん向けのワーケーション。福島に来てもらって地域の事業者さんと接点をつくるっていうのを入れてます。そこで、地域で活躍しているキーパーソンと企業さんをお繋ぎして、そこから継続的なお仕事に繋がったりとか、何回か福島県にまた来てもらうみたいなことも生まれてます。

ゆいぴ:
そのお仕事はどうですか?

五十嵐 大輝:
とてもやりがいはあります。企業さんからのリアクションがすごくいいんですよね。Google検索とか旅行ガイドブックとかで引っかからないような方々を紹介するようにしてるし、そういう情報を提供しているんですよ。福島に来てもらって初めて知る情報や体験を、意識的に提供しているのですごくリアクションが良くて。それが福島の再来訪だったりビジネスに繋がってるかなと思います。

ゆいぴ:
お客様の反応が良いことをどう思いますか?

五十嵐 大輝:
嬉しいですよね。ちょうどコロナ禍ぐらいから磐梯町の地域おこし協力隊を2年半やってまして。磐梯町が好きで、10年ぐらいいた東京からUターンしてきたんですけど。磐梯町を知ってもらうのも嬉しかったですし、その範囲が広がって福島県全体になっているっていうのにやりがいを感じてますね。一つのところに留まったりとか一つの道を究めるっていうよりは何でもやりたいタイプ、広くやりたいタイプなので、自分の中にある福島の情報、食べ物、観光、アクティビティ、個性を持って活躍してる人々を紹介して、それに対して良いリアクションをいただくっていうのはすごくやりがいがありますね。

ゆいぴ:
何でもやりたいっていうのは、またなんで?

五十嵐 大輝:
なんでですかね。なんでだろうな…。結構ちっちゃいときから好奇心というか、何でもやってみたいようなタイプでしたね。っていうのがですね、黒歴史がありまして。僕、福島高専っていうとこ出身なんですけど、全然高専生っぽくないんですよ。高専って工業高等専門学校って言って結構エンジニア志望の学生が集まるところで、就職率もいいし進学率もいいんで受験して合格したんですけど、入ってみたら勉強に興味が湧かなくて(笑)電気科だったんですけど、電気の勉強は全然ダメで。でもやっぱり卒業はしたいじゃないですか。留年すると1年ぐらい棒に振っちゃうんで。なのでそこでどうやったら自分が得意なこと見つけられるかなと思って。みんなができる電気の勉強とかエンジニア系の勉強を究めても絶対勝てないんで、学年行事の実行委員とか飲み会の幹事とか、結構そういうのやってたんですよ。みんながやらないようなこと。そこで処世術というか、社会で生きていく術を身につけた気がします。

ゆいぴ:
へえ。

五十嵐 大輝:
みんなと同じところで戦わないという。レッドオーシャンじゃなくてブルーオーシャンで戦う。なんかそれが今も活きている気がしますね。

ゆいぴ:
写真を撮ってるという話でしたが、写真は何きっかけです?

五十嵐 大輝:
洋服が好きで、ファッションが好きで。高専出身なんすけど、新宿三丁目にある某百貨店に就職したんですよ。なんかそういう業界に憧れて。ちょっとご縁があって出会ったデザイナーさんがいて、その人が写真も好きで、かっこよく写真撮るんですよね。なので自分もやってみたいなと思ってカメラを始めて。そこからいろいろ撮るようになって、磐梯町でも町の観光素材とか、周りの市町村からもそういう依頼もらって写真を副業的にやってた。そういうスキルもあったので、今の会社でも役に立ってるって感じ。

ゆいぴ:
写真を撮ってるときはどうですか?どういう気持ち?

五十嵐 大輝:
そうだな、偶発性みたいなことは大事にしてますかね。例えば飲食店だと物取り、ケーキとかコーヒーとかそういう止まっているものを撮ることが多いんですけど。ってよりはやっぱり人の手が入ってたりとか、ケーキをカットする瞬間だったりとか、そういう不確定要素、たまたまっていう要素が入ってくるとすごく楽しいですね。楽しいし、そこが写真の魅力ですかね。たまに奇跡が起こるんで。そういうのに出会えたときっていうのはすごく面白いですよね。磐梯町にはシグマっていうカメラメーカーの世界唯一の工場もあるんで、もちろんシグマのレンズで撮ってますね。

磐梯町のそば畑と電車

ゆいぴ:
そうなんですね。今までに起きた奇跡って何かあります?

五十嵐 大輝:
人が入ると奇跡が起こることが多いですかね。今の仕事ではなかなかないんですけど、例えば磐梯町でだと子供の運動会。リレーで第4コーナーを先頭の男の子が走ってきて、そこのコーナー曲がってきたとこから大変さと喜びが伝わってくるような表情を撮れた瞬間とか。ちゃんと目も半目じゃなくて、しっかりと見開いてるタイミングで撮れたとか。やっぱそういう奇跡に出会えると嬉しいですかね。

ゆいぴ:
奇跡に出会えて嬉しいってのはただ嬉しい?もっと複雑な感情とかあります?

五十嵐 大輝:
シンプルに嬉しいですかね。でも割と深掘りしたくなるんで、なんでうまく撮れたのかなーとか、構図が良かったんだなーとか、ピントの感じが良かったんだなーとか。やってみて自分で振り返って、良かった原因や悪かった原因を追及するってのが結構好きだったりしますね。たぶんその連続で技術が上がってくるのかなと思います。今だとYouTubeやSNSでいろいろ勉強もできますけど、やっぱりアウトプットしてみないとわかんないんで。コロナ禍でカメラとか映像配信とかに力入れ始めたけど、外出しにくかったんでYouTubeだったんですよ勉強相手が。本も買ってないし、映像クリエイター系YouTuberの動画を見てそれで勉強して、自分でやってみて、復習しての繰り返しですかね。

ゆいぴ:
写真に関しては専門的な学校に通ってたっていうわけではなく?

五十嵐 大輝:
まったく。

ゆいぴ:
独学?

五十嵐 大輝:
はい。もうYouTube先生のおかげで。あとは洋服屋さん、そのデザイナーさんにちょっと教えてもらったりとかはしましたけど。

ゆいぴ:
仕事以外で何か他にやってることってあります?普段やってること。

五十嵐 大輝:
多趣味なんですけど。写真は好きだし、あとはガンプラも好きだし、料理も好きだし、最近行ってないですけど釣りも好きだし。冬だとスキー、スノボですかね。最近はジグソーパズルかな、嫁とやってますね。あとはアニメ。結構ね、サブカル好きなんすよね。音楽だとヒップホップが好きで、MCバトルとか。最近だとBAD HOP、Creepy Nuts、Zeebraさん、Awich、ZORNとか。ああいうカルチャーが好きですかね。そうそう、カルチャーとかバックボーンがあるのが好きなんですよね。

ゆいぴ:
なるほど?

五十嵐 大輝:
ヒップホップだと歴史的背景があって、それが思想や音楽やファッションとかに派生してるじゃないですか。例えば、パンクロックもそういう歴史的背景があったり、政治とか、もちろんファッションもアートも入ってくるし。だからそういうカルチャーで世界観ができてるコンテンツが好きだったりしますかね。

ゆいぴ:
今挙げた中で、特に最近のめり込んでるものというか、夢中になってるものって何かあります?

五十嵐 大輝:
最近かー…。新しいガンプラ作り始めたんでそれはそうなんですけど(笑) でも仕事と関連付けると、やっぱヒップホップは昔から好きで。僕、平成元年生まれなんですけど、高校生のときにELLEGARDENとかBUMP OF CHICKENとかマキホルとか、ああいうメロコアが流行った世代なんすよ。でも僕は、黒夢とかX JAPANとかMIYAVIとかちょっと大人なビジュアル系ロックバンドと、ヒップホップが好きだった。当時m-floとかが好きだったんですけど。RIP SLYMEとかKICK THE CAN CREWとかもちょっと流行って、あとSOUL'd OUTかな。nobodyknows+のココロオドルが最初にブレークしたような時代に高校生だったんですね。で、好きだったんですけどヒップホップブームが一時期落ち着いて。フリースタイルダンジョンってわかります?

ゆいぴ:
はいはい。

五十嵐 大輝:
フリースタイルダンジョンでまたヒップホップ熱が再熱して、僕もそこでヒップホップとかラップの楽しみってこんなのも、バトルもあるんだなって知って。そっからまた好きになったんですよね。深掘りしていくとヒップホップって、地元を上げてこうぜ、みたいなのが始まりのカルチャーなんで。そのときぐらいからまちおこしとか、福島や磐梯町をもっかい盛り上げてこうって仕事にも携わりだしたんで、なんかすごく共通点を感じたんですよね。っていうのがハマってるきっかけですかね。

福島出身のアーティストもいっぱいいるし、歌詞の中で例えばね、小名浜が出てきたりとか。小名浜港のちょっとアングラなとこから前進していく人生を歌ったりとか、白河の街を歌ってたりとか。会津は残念ながらまだ聞いたことないんすけど(笑)カルチャーを通すことで自分の地元がかっこよく見えたりするなと思って、そういうとこは結構好きですかね。なので自分の中ではレペゼン福島、レペゼン磐梯、そういうのを大事にしながら仕事をしてます。

ゆいぴ:
五十嵐さんにとってカルチャーって何ですか?

五十嵐 大輝:
世界観かな。イメージしやすいのはディズニーランドですかね。ディズニーランドも夢と魔法の国っていうコンセプトのもと大きな指針があって。ディズニーって聞いたら、全て連想されるじゃないすか。空気感とか香りとか、ファッション、音楽も。なのでそういう世界観があるものですかね。

ヒップホップって聞いたらイメージ的にちょっとアングラでオラオラしたような感じかもしれないすけど、でも本当の意味はそうじゃなくて、地元を背負いながら上げていくぞ、みたいな。ヒップホップの大きなテーマはLove、Peace、Unityなんですよ。愛と平和と仲間。それがディズニーのコンセプトでいうと夢と魔法の国と同じ位置。そっから始まってるようなカルチャーだから、そこが良いですね。MCバトルもディスり合いながらバチバチやってますけど、あれも暴力的な殴り合いじゃなくて言葉で解決しようっていうすごくピースフルな方法なんですよね。だからそういうのがグッときたとこですかね。

ゆいぴ:
ちょっと質問を変えて、自分はどんな性格だと思いますか?

五十嵐 大輝:
性格かー。やっぱ変わってるかな(笑)あとは相対するようですけど、割とバランス取るのが得意かもしんないっすね。今の仕事も自治体、役所の方々と、あと県内の事業者さんとか首都圏の企業さんとか、人と人との間に入りながらいろんなとこを調整して関わってくださる皆さんがハッピーになるように動く。ビジネス的に言うと三方よしみたいな考え方がありますけど、皆さんの一番のメリットが取れるように動くことが好きだったり得意だったりするんで。橋渡し役っていうんすかね、そんな性格かなと思いますね。

ゆいぴ:
自分の性格を自分でどう思います?

五十嵐 大輝:
便利だなと思いますね。

ゆいぴ:
というと?

五十嵐 大輝:
僕、プレイヤーではないかなと思うんですよ。プレイヤーとか職人ではなくて、プロデューサーとかマネージャーとかそういうポジションの方がやっぱ得意だし、そういう人に憧れるんすよね。日本で言うと小室哲哉さんとか秋元康さんとかつんく♂さんとか。僕だったらモー娘世代ですけど、辻ちゃん加護ちゃんっていうダイヤモンドの原石がいて、その人たちを輝かせるのがつんく♂さんだったりするんで。福島とか磐梯町にはいろんな魅力的なものがあるんで、自然もだし人もだし。だからそれらがもっと輝けるステージをつくる、みたいなとこが好きですね。

過去:そのときからみんなと同じフィールドで戦ってはいけないっていうのを意識し始めたと思うんすよね。

ゆいぴ:
五十嵐さんは子供の頃、どんな子供でしたか?

五十嵐 大輝:
毎日外に出て虫捕りしてました。虫捕りと釣り。

ゆいぴ:
それは何歳ぐらい?

五十嵐 大輝:
もう気づいたらって感じですかね。5歳頃には確実にしてましたね。虫かごにトンボいっぱい詰め込んでました。

ゆいぴ:
当時どんな気持ちでやってたんですか?

五十嵐 大輝:
単純に面白い。やっぱり逃げてるものって追いたくなるじゃないですか。だから捕まえたいんですよね、オニヤンマとかね、セミとかも。でもやっぱそれも偶発性みたいなのがあるんすかね。トンボ捕まえるのもその一瞬じゃないすか。そのときはもう二度と訪れないタイミングとチャンスだし。そういうのが面白かったんじゃないですかね。

ゆいぴ:
へえ。

五十嵐 大輝:
外に出て遊ぶのも好きだったし、ブロックとかクリエイティブな遊びも好きでしたね。ジグソーパズルとか。

ゆいぴ:
ガンプラもそういうところから?

五十嵐 大輝:
ガンプラはね、たぶん幼稚園か小学生のときだと思うんですけど。ヨークベニマルに行って、そこでお母さんに買ってもらった500円のガンプラが初めてですね。だからそっからつくるとか組み立てるとかそういう楽しみを知って、今でも続いてますね。中断時期を挟みましたけど、大人になってまた財力もついて再開してしまったと(笑)

ゆいぴ:
組み立てること、つくることって何が楽しいんですか?

五十嵐 大輝:
形になることかな。男の子だからなのか、物とか形あるものが好きなんですよね。だから15、6万かけて国内旅行に行くより、僕だったら革ジャンやブーツが欲しいですね。っていう価値観です。革ジャンとか革のブーツって着込むほど変化していくんで、どんどんかっこよくなっていくんで。1回の旅行を我慢してもそれを着て出かける。その革ジャン1着にいろんなところに出かけた思い出が詰まっていく、みたいな。自己満の世界なんですけど、そういうのが好きです。いい靴はいい場所へ連れて行ってくれる、という言葉が大好きです。

お気に入りのブーツ 5年着用

ゆいぴ:
ちょっと小さい頃の話に戻って、小学生のとき特別やってたことって何かありますか?

五十嵐 大輝:
なんかね、小学生のときからみんなと違うことをやるのが好きでしたね。

ゆいぴ:
へえ。例えば?

五十嵐 大輝:
合唱コンクール、音楽祭の指揮者とか。あとは劇とかも主人公やったりしたかな。アリババと40人の盗賊でアリババやりました。スイミーのときはワカメだったけど(笑)小学校のときって絵に描いたような普通の小学生だったと思うんで。そのときからみんなと同じフィールドで戦ってはいけないっていうのを意識し始めたと思うんすよね。

ゆいぴ:
意識し始めるのが早いですね。

五十嵐 大輝:
僕、12月生まれなんですけど。やっぱね、4月5月生まれの子って体もでかいし、運動もできるし、たぶん脳の発達も早くて勉強もできるんですよ。12月生まれなんで、身長もずっと前から2番目とかだったし。そこでどうやったら楽しくみんなの気を引いて仲良くやれるだろうみたいなのを意識し始めたと思うんですよね。その結果、みんなが手をなかなか出せないものに手を出していたという感じかなと思いますね。

ゆいぴ:
それはその後も変わらずですか?

五十嵐 大輝:
結構そうかな。そこは共通してるかもしんないっすね。中学校高校になると、みんなと違ったことをやると目立つじゃないですか。目立つと何か言われるじゃないすか。気にするじゃないすか、中高って。だから目立たないところを探しながらやってましたね。それこそ裏方だったりとか花のお世話とか。でもそれは共通してるかもな、大人になっても。何かしら違うことをやってみようみたいな。

ゆいぴ:
中高あたりで印象的な思い出ってあります?

五十嵐 大輝:
中学校のときは部活かな。

ゆいぴ:
部活は何をされてたんですか?

五十嵐 大輝:
卓球部でしたね。スポーツマンの友達とかはサッカー、野球に行きがちなんですよ。でもそんなに運動得意じゃなかったし、それで卓球っていう。最近やっと石川佳純ちゃんとか水谷隼さんのおかげで盛り上がってきましたけど、僕が卓球やってたときって福原愛ちゃんが出始めだったんでまだまだマイナーというか、パッとしないイメージだったんですよね。で、卓球部に入ったんですけどやってみると面白くて。それで部活プラス隣の猪苗代町のクラブチームの練習にも連れてってもらって。地元の知人が連れてってくれたんですけど、その方の息子さんが僕の1個下なんで一緒にやってたんすよ。それで毎週連れてってくれて。卓球は本気で頑張ってやってたかな。できる環境の中で。

磐梯中学校ってちっちゃいんで部活兼務ができたんすよ。合唱部とか陸上部って、常設じゃなくて特設っていう扱いなんすよね。特設で陸上部があったんで、卓球うまくなりたいなと思って陸上部で長距離走り出して、やってみたら学年で2番目ぐらいに良いタイムを残すようになってしまって。それで駅伝の大会に出たりとか。中学校になるとだんだん体も成長してくるんで、小学校のときに足が速かった友達よりタイム良くなったりしたんですよ。それは結構ね、嬉しかったりしましたかね。努力が実ってくる感じというか。たぶんそういう成功経験があるんで、高専受験するときも…S判定からE判定ぐらいまで出る模試があるんですよ、福島県内の。

ゆいぴ:
はいはい。

五十嵐 大輝:
中学校2年の終わりぐらいから受け始めるんすけど。中2のときは学力とかも全然普通だったんですよ。でも中3ぐらいから部活がすげえ楽しくなって、努力したらちゃんと結果になるっていうのもわかり始めて、そしたら勉強も頑張るようになっちゃって。福島高専って自分で言うのもあれなんすけど、県内では割と偏差値高めの学校なんですよ。そこも最初に受けた模試だと、D判定かE判定だったんすけど、S判定までいきましたね。

ゆいぴ:
へえ、すごい。

五十嵐 大輝:
成功体験があって勉強も頑張るようになって、それで高専も行ったと。それがすごく中学校のときのやりがいがあった思い出ですかね。それを応援してくれる担任の先生も良かったですね。あんまりいないんですけど、3年間ずっと同じ先生だったんすよ。芳賀先生っていう先生なんですけど。芳賀先生とたぶん相性も良くて、いろいろかわいがってもらえて。良い先生だったなと思いますね。先生には恵まれていて、高専のときの山田先生も良い先生でありがたいことに今でも関わりがあります。

ゆいぴ:
何がそんなに五十嵐さんを突き動かしたんですか?

五十嵐 大輝:
たいそうな目的ないんですよ、いっつも。やってみたら面白くてやっちゃうタイプですね。磐梯町、ここら辺のエリアで事業をやりたいとかって移住してくる子もだんだん増えてきましたけど。そういう中長期のビジョンを持って頑張ってる人たちはすげえなと思いますね。

ゆいぴ:
うんうん。

五十嵐 大輝:
目の前のことが楽しくてやってるほうが多い気がしますね。

ゆいぴ:
高専を卒業した後っていうのはどういう生活を?

五十嵐 大輝:
ファッションが好きで、シティボーイになりたくて、新宿三丁目の某百貨店に就職しましたと。なかなか高専から行くパターンってなくて、福島からは僕が初めてだったらしいんすけど。販売の仕事もちょっと研修でやったりするんですけど、ショップ作ったりとか機械設備のメンテナンスとか、そういう裏方の仕事だったんですよね。それでたぶん4、5年ぐらいいたんですけど。でも一番思い出に残ってるのは、3ヶ月ぐらいやった販売の研修なんすよね。

ゆいぴ:
へえ。

五十嵐 大輝:
そこに絵に書いたような百貨店のボスみたいなお姉様がいたんすけど。その人が本当に百貨店の人なんすよね。厳しいし、でも言うこと何も間違ってないというか。そこで社会人というか、仕事することの価値観とか心意気みたいなのは教わった気がしますね。やっぱり伊勢丹って、百貨店業界というか小売業界ではトップレベルだし、接客サービスもお客さまへのフォローも。そういう環境を支えてるっていうか、すごく責任感と誇りをもってやってる人に触れることができたんで。それはすごく今も活きているかなと思いますね。トップレベルのサービス業に触れられたっていうのは良かったかなと思いますね。

でも辞めちゃうんですけどね。あんまり合わなかったんですよね。毎日満員電車で通勤して、自分にとってはちょっと閉塞感もある職場だったし、事務所が地下にあるんで全然日の光が入ってこないんすよ。天井も低いし、そんなに広いオフィスでもないし、終電帰りとかもあったし。そこに5年10年とかいれる気がしなくて、辞めちゃったんですけど。でも多趣味な性格なんで、いろんな友達を社外でつくったりとかは結構してたんですよね。それで中小企業の社長さんとかフリーランスやってる人とも知り合えてたんで、そういう人たちにちょっと拾ってもらって、そっからフリーランス人生に突入しましたね。だから会社員を5年やって、そっからフリーランスになって。お店の設計とかそういう裏方の仕事とかやってたんで、それで飲食店をつくり、飲食店の店長をやり、あとは小売、ちょっと雑貨屋さんをやったりとか、化粧品ブランドに関わったりとか、あとはソーシャルビジネスみたいなところに関わったりとか。人伝手でいろいろ仕事をもらいながら、東京で10年ぐらい過ごしましたね。

東京フリーランス生活の後半で磐梯町の人たちと再会するんですけど。有楽町の国際フォーラムで福島県の物産展みたいなイベントやってたんですよ。コロナ禍の5、6年前なんですけど。そこにたまたま行ったら磐梯町ブースがあって。磐梯町ブースに立ち寄ったときに、昔ミニバスやってたときのコーチとか、道の駅の駅長とか、知ってる顔がいて。そこで「おめえ何やってんだー」みたいな話になって。その当時飲食店やってたんで、飲食店やってますって言って磐梯町のものを置かせてもらったりとか。今の町長が当時観光協会の会長だったんすけど、観光協会として来てもらってお客さんと交流してもらったりとか、っていうイベントをやり始めて。そんなふうに磐梯町と再び関わり始めて、協力隊の募集があるっていうのでそこに応募して、それがUターンのきっかけになったと。

協力隊のときはコロナ禍で、様子見ながら東京と磐梯を行き来してて。そのときSHIBUYA QWSっていうスクランブルスクエアにある磐梯町の共創拠点、いろいろな人と関わって関係人口をつくっていきましょうという拠点の立ち上げ、盛り上げを任されて。首都圏の方々といろんなイベントやったりしてましたね。福島出身で東京にいるっていう人たちを呼んでイベントやったりとか、SHIBUYA QWSで活動してる高校生と磐梯町でイベントをやったりとかっていうのをやったかな。オンラインオフライン問わず。そういうのをやってた経験もあるので、今の仕事にも活きてますね。っていう感じかな、東京時代の話は。

企画運営を担当したオンラインイベントの様子

ゆいぴ:
磐梯町に地域おこし協力隊としてUターンして…。2年でしたっけ?

五十嵐 大輝:
2年半やったかな。

ゆいぴ:
どうでした?協力隊としての2年半は。

五十嵐 大輝:
コロナっていう制限はありながらも、それなりにできたかなっていう感じですかね。今までに前例がない、磐梯町がやったことがない取り組みばっかりやってきたんで。今それが根付いてるかどうかは置いといて、良い刺激を作れたのかなと思いますね。

ゆいぴ:
気持ち的にはどうですか?どんな気持ちを抱いて2年半活動しました?

五十嵐 大輝:
協力隊になるときに佐藤淳一町長が「自分のためにやってください」って言ったんですよ。町のためにってやると疲れちゃうし。町長は言ってなかったですけど、誰かのためにやると誰かのせいにすると個人的には思ってるんですよ。なので結果的に町のためになればいいですけど、最初は自分のキャリアとか経験のためにって思いながらやってましたね。だから町にとってもプラスになり、自分にとってもプラスになるコンテンツを結構やってたかなという感じですかね。そんときの人の繋がりが今の仕事にも活きてたりするし、やって良かったかなって思いますね。

未来:生き方がかっこいい大人になりたいですね、抽象的ですけど。ちょっと中二っぽく言うとロックな生き方がしたいんすかね。

ゆいぴ:
この先、近い未来から遠い未来まで、最後に自分が死んじゃうところまで考えて、未来に対してどういうイメージを持ってますか?

五十嵐 大輝:
未来かー。未来はあんま考えてないんですよね。でも近い未来、この会津地域で幸福度が高いと感じているので、これが続いていくような町になっていったらいいなと思いますね。そのまちづくりにちょっとでも力になれてたらいいのかな。

ゆいぴ:
幸福度が高いってのは五十嵐さん自身の?

五十嵐 大輝:
そうですね。東京も楽しかったけど、戻れないっすね東京には。

ゆいぴ:
何がそうさせてると思います?

五十嵐 大輝:
なんだろうな。やっぱ広いっていうとこかな。空も広いし、土地も広いし、静かだし。そんなとこですかね。ストレスがない。すれ違う人も少ないので。

ゆいぴ:
広い空や土地を見てどう感じるんですか?なんでそれが幸福に繋がっていくんですかね?

五十嵐 大輝:
逆にね、狭いのが苦手なんだと思いますね。地下のオフィスで、天井が低いとこで、スーツも嫌いなんですよ。天井低いとこにスーツ着て出勤してっていうことに、負の感情がだいぶインプットされてしまってるんで。それ以外ならいいかなって感じですかね。

ゆいぴ:
未来に向けてやっていきたいこととか、将来成し遂げたいことっていうのは?

五十嵐 大輝:
ないかな。

ゆいぴ:
ないんだ。

五十嵐 大輝:
革ジャンをかっこよく育てていきたいぐらいですかね。あんま考えてないかな、自分がこうなりたいとかは。時代の流れも早いし、コロナがくるのなんて誰も予想できなかったし、地震もですけど。あんまり先のこと心配しすぎてもなっていうのはありますかね。

ゆいぴ:
じゃあ、やることとか成し遂げることじゃなくて、自分自身の姿や気持ちの面でこういう自分でありたいみたいなのあります?

五十嵐 大輝:
あー。50歳、60歳ぐらいでタトゥーを入れたいですね。生き方っていう観点だとMIYAVIが好きなんですけど、タトゥーを刻みたくなるぐらい強い信念が宿っていたらいいなと思いますね。今、ふと、そう思いつきました(笑)

ゆいぴ:
50歳、60歳くらいでっていうのはなぜ?

五十嵐 大輝:
今タトゥーいっぱい入れちゃうといろいろ支障が出るので(笑)

ゆいぴ:
なるほど。

五十嵐 大輝:
なんか生き方としてかっこいいかな。そういう信念みたいなのがあると…生き方がかっこいい大人になりたいですね、抽象的ですけど。ちょっと中二っぽく言うとロックな生き方がしたいんすかね。

ゆいぴ:
ロックな生き方、かっこいい生き方の最終地点がタトゥーを入れること?

五十嵐 大輝:
一つの表現方法としては。おっさんになっても革ジャン革パン革ブーツで、あのおっさんかっけえなーって思われたいですね。人の目を気にするんじゃなくて、自分が好きでそういうのを着てそういうライフスタイルを送って、結果的に周りからどう思われてるかはちょっとあれですけど、かっこよく映っていたらいいかなって感じ。いわゆるイケオジの方々ってやってることもかっこいいんですよ。仕事も本気でやってるだろうし、人も大事にするし、だからそういう生き方をしたい。それのわかりやすい姿は、今はMIYAVIだったりしますかね。最近テレビにも出てますけど、やっぱMIYAVIは生き方もかっこいいし、ビジュアルもかっこいいし。たぶん内面がにじみ出てると思うんですよね、外見に。そういう人になっていきたいなと思いますね。

ゆいぴ:
憧れの人がいるってのもあると思いますが、そう思い始めたきっかけって何ですか?

五十嵐 大輝:
なんだろうな、もう単純にかっけえーっていう。そこに理由はないかな、かっこいいと思うことに。何なんですかね、理由付けるとしたら。わからんな。まだ答えは出ないですね。あ、やっぱ、さっき言ったみたいにストーリーや世界観があることですかね。

ゆいぴ:
出身も育ちも磐梯町である五十嵐さんにとって、磐梯町はどんな存在ですか?

五十嵐 大輝:
磐梯町も福島県もそうなんですけど、アトラクションみたいな感じです。わかりやすく言うとディズニーランドみたいな存在。

ゆいぴ:
ふうん。その心は?

五十嵐 大輝:
磐梯山はあるし猪苗代湖もあるし、遊ぶとこもいっぱいあるし食べ物も揃ってるし。磐梯町、福島県って世界観、カルチャーがあって、なかなかそれがディズニーみたいにわかりやすく言語化やビジュアル化はされてないんですけど。でもそういうされてないとこに面白さがあったりすると思うし。僕自身はアトラクションのキャストとか住人みたいな考え方でいますね、磐梯町という。

磐梯町にある史跡慧日寺

ゆいぴ:
そういう考えに至ったのっていつ頃なんですか?

五十嵐 大輝:
東京にいたときかな。東京もいろんなものがあるけど…ありすぎるんすよね。コンテンツ、情報量が。五条悟の無量空所みたいな感じ(笑)でも田舎に行くほどそれが絞られてきて、ある意味では多様性とは逆の方向にあると思うんですよ。東京とか原宿って多様性の象徴みたいな感じだと思うんですけど、やっぱり田舎って個性が際立つじゃないすか。多様性と対義語になるのかどうかわかんないけど。例えば京都はすごい個性的じゃないすか。沖縄も個性的じゃないすか。それと同じ並びで福島っていうのも、わかりにくいけど通で燻し銀的な個性があると思うんですよね。だからそこが好きかな。そんな世界中日本中いろんなとこ行ったわけではないですけど、自分の中で比較できる範囲でしかないけど、でもそん中で選ぶんだったらやっぱ福島、磐梯町っていいなと思いますね。

ゆいぴ:
その通な個性とか魅力とかって、もっと言語化できます?

五十嵐 大輝:
磐梯町は生まれ育った町っていうのもありますけど、そうだな、普遍性の中にある創造性かな。磐梯町って僕が生まれたときは人口4800人ぐらいいたのかな、今3200人切ってて。人口は減りつつも外からいろんな人が入ってきたりとか、いろんな政策、新しいことやってたり、デジタル化頑張ってたりとか。そういうポジティブな変化を感じながら生活できるっていうのは面白いとこかなと思いますね。磐梯もだし福島県内、会津もそうだし。そして、変わり続ける一方で自然とか文化とか普遍的なものと共存しているところが魅力ですかね。

ゆいぴ:
東京の福島物産展で磐梯町ブースとたまたま出会ったと言ってましたが、その出会いがなかったとしたら、今どういう人生を歩んでると思いますか?

五十嵐 大輝:
それでも福島に帰ってきてると思いますけどね。やっぱり地震があったんで。もし地震がなかったら、っていうふうに考えると、たぶん東京にいたと思いますね。

ゆいぴ:
地震って東日本大震災?

五十嵐 大輝:
そう。幸い会津は直接的なダメージはなかったですけど、福島高専っていわきの方にあるんで、いわきの友達は家がなくなっちゃった人もいるし。亡くなった人は僕の周りではいなかったですけど。ああいうことがあって、それが大きいですかね。

ゆいぴ:
具体的にどういう影響があったんですか?心情的には。

五十嵐 大輝:
なんかもう自分の家みたいに捉えてるんで、福島県っていうのを。自分の家がやばいとなんとかしたくなるじゃないすか。その気持ちが大きかったですね。なんとかしたくても当時社会人1年目で、ちょうど有給使って連休取って会津に帰ってこようと思ってたんです。ただ帰ってこようと思ってたところで、地震が起きてどうしようもなくなっちゃったんで。出勤して何かしたかったんですけど、とりあえず家で休んどけって言われて。でも家でもテレビで原発のあの様子を見てるしかなくて。なんかすごい無力だったので。やっぱそれがあるかな。

例えばキャンドル・ジュンさんとか福島に来てくれてイベントやってますけど、そういうのも自分でいろいろ自由が利くようになってから参加するようになったし。だからあのときの無力だった気持ちが今も役に立ってる気がしますね。原動力というか。逆に地震がなかったら、普通に生きてると思いますね。

ゆいぴ:
普通にとは?

五十嵐 大輝:
ずっと会社で働いて、1回ぐらい転職して、東京で満員電車を我慢しながら通勤して。絵に描いたような、田舎から東京に流出した一人を演じてた気がしますね。

ゆいぴ:
最後に言い残したことっていうのを聞いていて。人生を振り返った上での遺言でもいいですし、読者へのメッセージでもいいし、インタビューの感想でもいいんですけど、最後に何かありますか?

五十嵐 大輝:
福島に「来て。」ってことですかね。いいとこですよ!
よろしければインスタもフォローください。(https://www.instagram.com/dik50arashi

夕暮れの磐梯山と猪苗代湖

ゆいぴ:
はい、ありがとうございます。

あとがき

ロックンロールって何でしょうね。調べたら意味は出てくるんだけどそういうことじゃなくて。昔から馬鹿の一つ覚えみたいに愛と平和を叫び続けているバンドがいるんですけど、結局はそれに尽きるんだよなと思う。愛と平和、それは現在過去未来、生と死、ひいては私とあなた。そしてそれは何よりも美しく輝く。だから人は素晴らしく面白い。そう、誰でも。
もしかして『無名人インタビュー』ってロックンロールなんじゃないか?だったら私が共鳴するのも頷けますね…。音楽、つまりはロックンロールが歴史やカルチャーの上に成り立つのなら、無名人インタビューとローカルってやっぱり相性良いんだなー。そんなことに気づかされた夏の終わりでした。

【インタビュー・編集・あとがき:ゆいぴ】

#無名人インタビュー #インタビュー #この街がすき #一度は行きたいあの場所 #磐梯町 #福島県 #地域プロデュース

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