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「好きです!」が繋げる線

流行りの音楽を積極的に聞くタイプではないため、周回遅れの出会いとなったが、とても好きな歌詞を見つけた。


嗚呼、いつものように 過ぎる日々に あくびが出る
さんざめく夜越え 今日も渋谷の街に朝が降る
どこか虚しいような そんな気持ち つまらないな
でもそれでいい そんなもんさ これでいい
知らず知らず隠してた 本当の声を響かせてよ ほら 見ないフリしていても 確かにそこにある
感じたままに描く 自分で選んだその色で
眠い空気まとう朝に 訪れた青い世界
好きなものを好きだと言う 怖くて仕方ないけど
本当の自分 出会えた気がしたんだ

嗚呼 手を伸ばせば 伸ばすほどに 遠くへゆく
思うようにいかない今日も また慌ただしくもがいてる
悔しい気持ちも ただ情けなくて 涙がでる 踏み込むほど 苦しくなる 痛くもなる  
感じたままに進む 自分で選んだこの道を
重いまぶたこする夜に しがみついた青い誓い
好きなことを続けること それは楽しいだけじゃない
本当にできる 不安になるけど
何枚でも ほら何枚でも 自信が無いから描いてきたんだよ
何回でも ほら何回でも 積み上げてきたことが武器になる
周りを見たって 誰と比べたって 僕にしかできないことはなんだ
今でも自信なんかない それでも
感じたことない気持ち 知らずにいた想い
あの日踏み出して 初めて感じたこの痛みも全部
好きなものと向き合うことで 触れたまだ小さな光 大丈夫 行こう あとは楽しむだけだ
全てを賭けて描く 自分にしか出せない色
朝も夜も走り続け 見つけ出した青い光
好きなものと向き合うこと 今だって怖いことだけど
もう今はあの日の透明な僕じゃない ありのままの かけがえのない僕だ

知らず知らず隠してた 本当の声を響かせてよ ほら
見ないフリしていても 確かにそこに今もそこにあるよ
知らず知らず隠してた 本当の声を響かせてよ
さあ 見ないフリしていても 確かにそこに君の中に

YOASOBIの『群青』
本当に今更。2024年9月時点でもうすでにYouTubeのMV再生回数は1.8億に達しているし、THE FIRST TAKEも1億回を突破している。
意識していなかっただけで何回も耳にしたことのある曲ではあるが、歌詞を見ながら聞いたのは初めてで、そしてその歌詞の力強さと儚さに共感して好きになった。
ただ、この曲の良さを語るのはもっと他に適した人が大勢いると思うので、『群青』を聞いて思い出した、私の思い出話を少ししようと思う。

高校生の時は文章を書くのが好きなことを周りにアピールしていた。私が脚本を書いたことも、それが賞をとったことも、賞をとったが故に全校表彰されたことも、みんな知っていた。知っていたと思う。先生方も知っていた。だから、私が国語が得意で、読書が好きで、文章を書くことが好きだと、わざわざ宣言する必要はなかった。

大学に入っても演劇を続けるか、正直とても迷った。
私の出身大学の文学部には演劇専攻も日本文学専攻も地理学専攻もあった。いずれも入試に必要な科目は同じだった。
受験をするうえで
①演劇を続けるために演劇専攻に行く
②文学にもっと触れるために日本文学専攻に行く
③恩師の背中を追って地理学専攻に行く
この3択で迷った。
特に①と③で迷った。

演劇が好きで、脚本を書くのが好きだ。でも、大学卒業後も演劇で生きていくほどの自信はないし、演じるのが好きなわけではないからいつか文章が書けなくなった時、自分の人生は何もなくなってしまう。

地理を好きになったのは恩師がきっかけだ。でも、恩師の姿が好きだから地理を好きになったのかもしれない。専門的に学んでついていけるのだろうか。恩師のように地理の先生になりたいけど、果たして地理の先生になって納得のいく人生を送れるのだろうか。

どちらか一つを選ぶのではなく、両方を選ぶという選択肢ももちろんあった。地理学専攻に進んで、趣味としてサークルで演劇を続けても良かった。
でも、高校3年生の私は、中途半端に両方を選ぶことをしたくなかった。二兎を追って二兎を得る自信がなく、一兎を確実に仕留めたいと思っていた。
結果として私が選んだ兎は地理学だった。

自分がどんな大学生だったのか、まだ数年しかたっていないのに思い出せない。
ただ、自分が高校演劇をやっていたこと、脚本を書いていたこと、文章を書くのが好きなことはそこまでオープンにしていなかったと思う。
演劇サークルに入ることは考えていなかった。二兎を追って身を滅ぼすのが怖かった。好きだとは言え、高校生の時も脚本を書いているときは躁鬱状態を繰り返して自分の身を削っていたから、また同じように自分のことを蔑ろにしてまで向き合うことだとは思えなかった。

文章を書くのは好きだ。間違いない。でも、好きで楽しいわけじゃない。

自分にそう言い聞かせて、コロナ禍のおうち時間を除いて、ほとんど文章を書くことから遠ざかっていた。(もちろん絶望的な量の課題で大量のレポートは書かされた。辛かった。)

転機が訪れたのは大学4年生の秋学期だと思う。
大学4年生の秋学期は、もうほとんど単位を取り終えていて、興味のある授業を適当に受けるだけだった。卒論のために学校の図書館に通うから、その息抜きに授業に参加するくらいの気持ちだった。
教職課程の中で、最も受講する必要がない授業が教職特論Bという授業だった。教職課程の中でも選択科目で、今思えば教職課程の単位がどうしても足りない生徒の救済のために設置された授業なんじゃないかと思うくらい、誰も単位を欲しがっていないであろう授業だった。

ただ、その教職特論B。とんでもない授業だった。
なぜなら、担当する教授が母校を代表するタレント教授、齋藤孝であったからだ。
齋藤孝先生の講義は3年生の時からいくつか受けていて、授業の中での信頼もあり、良い関係も築くことが出来たので、ここからは当時の呼び方である
”たかし”
と呼ぶ。

春学期の教職特論の授業はシラバスがあってないようなものというか、とにかくたかしの思い付きで行われている授業であった。だからおそらく秋学期も思い付きの授業となるであろうと思い初回授業に参加した。

大学生というモラトリアムが残り半年となって、何かやり残したことは無いかととても考えた。自由な時間があるからこそやりたいこと。そこで真っ先に思ったのが、もう一度自分の書いた文章を多くの人に読んでもらいたいということだった。
20人程度の受講者しかいないため、初回授業は自己紹介だった。
好きなことを好きだと言って、やりたいことをやりたいと言える最後のチャンスだと思った。

「私は文章を書くのが好きです。高校生の時は演劇部で、私の書いた脚本が県大会で一番になりました。」


自己紹介にしてはだいぶ傲慢であったと思う。
でも、それを傲慢と思わず、「すごい」と言ってくれる受講者ばかりだった。
そしてそれはたかしも同じで、
「じゃあジョージ(私のあだ名、みんなのことをあだ名で呼びあっていた)のかいた文章をみんなで読もうよ」
と、授業の方向性を提案してくれた。

それから、毎週月曜日の2限、教職特論Bの授業は私の書いた文章をみんなで円になってマル読みする授業になった。マル読みが終わるとみんなが感想を言い合ったり、自分の似た経験を話したりして活発な話し合いが行われた。
私の夏休みの思い出とか、私の好きなものの話とか、大したことのないエッセイを書いた。
次第に、他の受講者もエッセイを書いて持ってくるようになって、多い日では8人くらいのエッセイを読んだ。
印象深いのはバックパッカー体験記を書いたミゾくんのエッセイ。確か5週くらいに渡ってミゾくんの冒険を読んだ。自分の知らない世界の話が広がっていてとても面白かった。
ワードセンスとユーモアが抜群のKJの初恋の思い出未練話は大爆笑だったし、音楽センス抜群の金マヨくんの音楽愛や、年上彼氏に振られた好きな女の子とのわんちゃんを企むヒビキ、東京オリンピックにボランティアで参加してどこかの国の代表選手と仲良くなったエリカ、古代の何かついて熱く熱く語っていたフライパン…。(記憶違いもあるかも)
みんなが競うようにエッセイを書いてくるから、私も負けじとエッセイを書いた。卒論に追われていても、エッセイを優先した。
またかつが失恋したときには、またかつを慰め励ますふりをして話を聞き出し、勝手にまたかつの元カノになったつもりでエッセイを書いた。

エッセイは日記じゃない。と私は思っている。
というか、エッセイが何を指すのかよくわからない。
私はとにかく、実際に合った出来事に誇張や嘘を足して、起承転結を付けつつ、自分の意見も主張する文章を書いた。それは今も変わっていない。

ただ、高校生の時に自分を削って躁鬱を繰り返しながら脚本を書いていたあの時よりもずっとずっと楽しかった。
何回か脚本も書いた。
でも、全く苦しくなかった。
卒論に追われて徹夜してヘロヘロでも、月曜2限の教職特論Bのための文章は欠かさず書いた。書くことが出来た。

好きなものを好きだと言う 怖くて仕方ないけど 本当の自分 出会えた気がしたんだ

あの教室にいるみんなが私の書く文章を受け入れてくれて、認めてくれて、楽しみにしてくれて、褒めてくれて、
私は本当に文章を書くのが大好きなんだ
と、自信を持つことが出来た。
文章を書いているとき、それが本当の自分なんだと自信をもって言えた。


それから、大学を卒業して先生になって、好き勝手に文章を書く時間が無くなって、自分をすり減らして、うつになって、今に至る。


うつ病になってよかったことなんて一つもない

と、言いたいところだが、文章を書ける体調になってからは少しだけ、休職して文章を書く時間が十分にとれるようになって良かったと思う。

全てを賭けて描く 自分にしか描けない色

今、私の書く文章はまさにこれだと思う。
もちろん先生に復職することを考えているが、それまでの時間の少なくない時間を、好きなことを好きなように続けることに捧げてみようと思う。

今でも教職特論BのLINEグループは存在していて、そこにnoteのURLを送ると、リアクションしてもらえる。
それぞれの人生の、ほんの一瞬、偶然生まれた接点で、私が自分の好きなことを自信をもって言えたことで、接点が増えて線になって、今に続いていると思う。

もし私がエッセイを書き続けて、noteを更新し続けて、LINEグループに共有し続けることで、その線が途切れずにこれからも続いていくのなら、それだけでも私の好きなことを続けることは、怖いことじゃなくなると、私はそう信じている。

#挑戦してよかった

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